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2016/06/16

■節子への挽歌3208:「見えないところにしまうと、その存在ごと忘れちゃう」

節子
高田馬場にある、大人の発達障害者の憩いの場NeccoCafeに行ってきました。
NeccoCafeを運営しているのも、発達障害の人たちです。
私も、発達障害の長澤さんに誘われたのです。
彼がアレンジしてくれていて、NeccoCafe代表の金子磨矢子さんともお会いしました。
金子さんは「発達・精神サポートネットワーク』の理事長ですが、子どもの頃からADHD(多動性障害)の症状に悩んできたそうです。
ADHDの友人は何人かいますが、金子さんはそういう人たちとは違って、とても物静かな女性でした。
人はみんなちがって当たり前、それを認め合っていけば、生きやすい社会になるのにという点で、私と意見が一致しました。

金子さんのインタビュー記事のコピーをもらいました。
そこに、こんなことが書かれていました。

NeccoCafeは、食器やタオルなどよく使う物は、見えるところに出してある。
「見えないところにしまうと、その存在ごと忘れちゃうことがあって」と金子さんは笑う。
「見えないところにしまうと、その存在ごと忘れちゃう」。
何でもないような言葉ですが、とても深い意味を感じます。
そして、とても心に響いてきます。
愛する子供を亡くされた方が、子ども部屋を片づけずにそのままにしているのも、しまってしまいたくないからなのでしょう。
私も、節子の残したものを整理することに抵抗があって、いまもまだ片づけられずにいるとことがあります。
先日お会いしたTさんは、いつも、息子さんの一生をまとめたA3の記録を持っています。
そしてたぶん、心を開いた人には、それを見てもらう。
私が、この挽歌を書き続けているのも、見えないところにしまってしまわないためなのかもしれません。

しまうことは忘れること。
考えさせられることの多い、NeccoCafe訪問でした。

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