■大きなものが見えない恐ろしさ
都知事の政治資金の私的流用問題でテレビニュースは連日にぎわっています。
都知事の答弁のように、どこもかしこも、そして連日、同じことの繰り返しに近いですが。
しかし、どうしてこんな瑣末なことを根掘り葉掘り話題にするのか。
情ない状況です。
その陰に隠れていることの方に、私は関心があります。
たとえば、甘利さんの不起訴問題です。
舛添さんの話は日常的な話なので、私のような人間にもわかります。
金額もたかだか数百万円ですから、まあ想像はつきます。
しかし、甘利さんの話になると、多くの人は想像さえつかないのでしょう。
記者たちにも、理解できないのかもしれません。
最近の報道陣には、基本的な知識さえないような気がします。
ですからみんな舛添さん問題に目が行くのでしょう。
いじましく生活している舛添さんを、まるで自分と同じように感ずるのでしょう。
コメンテーターの発言を聴いていると、そんな気がしてきます。
自らが想像できない大きな問題には、関心さえ持てませんし、世界の狭い記者たちには想像さえできない。
そこで、いつも見逃されてしまいます。
いやだれかによって隠されているのかもしれません。
いままた陰謀論が広がりだしているようですが、それさえも誰かの意図の結果かもしれません。
実に退屈な陰謀論が多く、私の周辺でも何人かがそれにはまっています。
見逃されないような事件もありました。
たとえばロッキード事件です。
しかしそれもまた所詮は、その一部を理解できる部分だけ切り取って問題にしただけの話かもしれません。
だから結局は大きな問題はむしろ見えにくくなってしまったような気もします。
単に見えない世界の権力争いに利用されただけかもしれません。
舛添さんが涙を出してまで懇願している一方で、甘利さんは笑顔でほくそえんでいるでしょう。
甘利さんの後ろにいる人たちは、もっと喜んでいるでしょう。
多くの報道陣の目が、だれでもわかる舛添問題に行けばいくほど、ますます好き勝手なことができるひとがいるわけで、相変わらず政治は市場にできるからです。
舛添問題が都政を停滞させているという声もありますが、停滞どころか、その陰に隠れて、何かが着々と進んでいる。
そう思うと、舛添さんの茶番のような報道にジャーナリストの無責任さを感じます。
攻めて甘利問題をもう少し報道してほしいです。
もちろん沖縄の問題も、です。
何が大切かを忘れた社会は、壊れていくしかありません。
それもティッピングポイントを超えたら、一気にです。
もう超えてしまったとは思いたくはないのですが。
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