■節子への挽歌3199:付き合っていて煩わしくないのが伴侶
節子
人との付き合いは難しいです。
人との付き合いには、必ずと言っていいほど、なにか行き違いが生じます。
私のように、かなり我儘に付き合っていても、それは避けられません。
ですから、本当は人との付き合いはできれば避けたい。
それが本音です。
今日は自宅で1日過ごしましたが、人に会わないとわずらわしさがなくて幸せです。
心の平安が保てます。
しかし、人に会わないでいると、どこかさびしくなります。
人と会うのが嫌いなはずなのに、人と会わないではいられない。
そこがややこしいところです。
昨日、ある人に、あなたもそうでしょうと言ったら、その人からそうだと即答が返ってきました。
たぶんみんなそうなのです。
会うとわずらわしいのに、会わないとさびしい。
人とは複雑な存在です。
昨日会った人は、私と同じく、伴侶を喪った人です。
伴侶とは、付き合っていても煩わしさがない人だと私は思っています。
逆に言えば、付き合っても煩わしさを感じない人が、私にとっての伴侶なのです。
でも多くの場合、伴侶と付き合うのも煩わしいと言う人が多い。
私にはそれがあまり理解できません。
煩わしかったら、伴侶であることをやめればいいだけのことですから。
人と付き合うのが煩わしいことだということを意識しだしたのは、実は節子がいなくなってからです。
人と会わないとさびしくなるということを意識しだしたのも、節子がいなくなってからです。
昨日会った人もそうなのでしょうか。
それを訊くのを忘れました。
ちなみに、今日は誰にも会わずに心の平安が保てると思っていたら、ふたりの友人から長電話をもらいました。
ちょっと心が乱れました。
それで少し過激な発言をしたら「佐藤さんは厳しい」といわれてしまいました。
自分の未熟さを実感して、また自己嫌悪に陥りそうです。
そして夜になって、今度は苦手の人からある問い合わせがメールできました。
その人の、あまりに不躾な態度に、私はめずらしく縁を切りたいほどの怒りを感じているのですが、彼女は私が応援していると思い込んでいるのです。
もしかしたら、周囲の人もそう思っているかもしれません。
さてさてどうしたものか。
やはり人と付き合うのは、平安をもたらしてはくれません。
付き合って、平安をもたらしてくれたのは、節子だけです。
そして、その節子は、私の平安をと一緒に、先に旅立ってしまったのです。
悪いのはすべて節子なのかもしれません。
困ったものです。
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