■舛添さんの行動は、結局は都庁文化の現れに一つでしかなかった
舛添騒動が終わったかと思ったら、今度は都議たちのリオ視察騒動が起こっています。
構図はまったく舛添さんの海外出張と同じような気がします。
舛添さんの行動は、結局は都庁文化の現れに一つでしかなかったことが明らかになってきました。
辞任後の舛添さんの「怒り」に満ちた表情と大人げない行動の理由がわかる気もします。
舛添さんは、結局は都議たちと都庁の幹部職員たちに、いいように扱われていただけなのかもしれません。
とすれば、舛添さんにはリーダーシップもマネジメント能力もなかったということになるでしょうが、罠にはめられたような気がしてもおかしくはないでしょう。
舛添さんよりも、一番の悪の根幹は都議たちではないかとも言えるでしょう。
後から参加した舛添さんは、郷に入れば郷に従えだけの、人物だけだったかもしれません。
いずれにしろ、都議たちの語っていたことが、いかにも空しく響くようになりました。
都庁の職員すべてが、そうではないでしょうが、そういう職場に甘んじていることは、その無駄使いと公私混同の一端を担っていたということになるでしょう。
もちろん共産党の大山さんも、その例外ではありません。
むかしと違い、いまはインターネットなどを使えば、知ったことを公開していくことはそう難しいことではありません。
情報漏えいはよくないでしょうが、組織の不正を発見したら、それを正す努力をすることは、組織の成員の責務です。
おかしなことを見過ごさずに、きちんと正すように努力していかないと、いつの間にか自らもまた、そのおかしなことの当事者になってしまうからです。
しかし、これは決して都庁だけの話ではありません。
私も、どこかでおかしなことをしていないとは限りません。
都庁の文化が、都庁の職員の行動や意識に大きな影響を与えているように、
現在の日本社会の文化が、そこに住む私の行動や意識に大きな影響を与えていることは否定できないことです。
舛添騒動は、わが身を振り返る良い材料です。
私の中の「舛添」要素を改めて見つけ出して、廃棄しなければいけません。
まずは自らの生き方を問い直す。
みなさんもいかがでしょうか。
余計なお世話ですね。
すみません。
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