■節子への挽歌3220:弱い人と強い人
節子
人生は思うようにはいきません。
昨日は朝からちょっとしたアクシデントがあり、予定をすべてキャンセルさせてもらいました。
昨年もそうでしたが、7月はやはりまだ「魔の月」です。
今年は大丈夫だろうと思っていましたが、最初の日から大変でした。
節子がいたらとつくづく思いますが、いないものは仕方がない。
依存しあってきた夫婦の一方がいなくなると、残された者はつらいものです。
それに、そもそも7月がわが家の「魔の月」になったのは、節子から始まったのです。
それからもう9回目の7月です。
もっとも夫婦いずれも健在なのに、依存関係のない夫婦がいいわけでもありません。
せっかく夫婦健在であれば、仲良く時間を共にすればいいと思うのに、留守にするのが伴侶への思いやりなどという話を聞くと、それがたとえ冗談であろうとも、複雑な思いになります。
一緒にいたくても、そうできない寂しさをわかってもらうのは無理でしょうが。
それはともかく、なんとか問題は克服しました。
気は許せませんが、昨年の二の舞にはならないでしょう。
しかし、問題は一つだけではありません。
まあ生きているといろんなことがある。
それは誰も同じでしょうが、完全に心を開いて話せる伴侶がいないのは、私のような弱い人間には辛いものです。
そもそも私の生き方を理解してくれる人は、そうはいないのです。
節子は、たぶん完全に理解してくれていました。
だから、弱い私も何とか強く生きられたのです。
しかし、強い人もいます。
実は今朝、節子も知っているOSさんからフェイスブックでメッセージが届きました。
「了解しました」という書き出しでした。
私から何か送ったわけではないので、何のことかとわかりませんでしたが、その前に私のメッセージが書かれていました。
なんと5年前の7月2日に出したものです。
なんと返事が来るまでちょうど5年もかかったのです。
まさにOSさんらしいですが、了解しましたの後に、その5年間のことが書かれていました。
どうやらずっと博士論文を書いていたようです。
彼は、NPO研究者ですが、日本でのNPO研究の分野で草分けの一人です。
生き方が不器用なので、時流に乗れるタイプではありません。
ですから有名な学者になったわけでもありませんし、NPOの支援者や実践者になったわけでもない。
私も、NPOに関わりだした時に、彼にはいろいろと手伝ってもらいました。
私が愛した若手研究者はそれぞれに活躍していますが、彼はあんまり見えてきませんでした。
気になりながらも、このところご無沙汰だったのです。
しかし、5年ぶりの返信とは、おそれいりましたとしか言いようがない。
この間、彼はずっと博士論文に取り組んでいたのです。
強い生き方をしています。
ところで、了解しましたの中見ですが、何を了解したのかといえば、一度、湯島に遊びに来ないかという私の連絡に、了解しましたと言ってきたのです。
私もたぶんにそういうところがありますが、彼はもう世俗的な時間を超えている。
来週、早速会うことにしました。
さて、彼は5年間、少しは成長しているでしょうか。
相変わらず、自分の世界を強く生きているでしょうか。
楽しみです。
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