■節子への挽歌3244:節子、自慢話を聞いてくれますか
節子
人は時に、自慢をしたくなることがあるものです。
しかし、自慢をすることは難しいことですし、誰にでも自慢できるわけでもありません。
でも、時に自慢をしたくなる。
節子がいなくなってから、私ができなくなったことの一つは、「自慢」かもしれません。
誰かにほめられることがあります。
たとえそれが過大評価であっても、うれしいものです。
そして元気が出てきます。
めげている時の一番の薬は「ほめられること」かもしれません。
私でも時にほめられることがあります。
そんな時、少し誇らしくなることもあります。
そして、誰かに知ってもらって、その嬉しさを分かち合いたいと思うこともあります。
でも誰に言えばいいでしょうか。
それを「自分のこと」として、聞いてくれるのは、伴侶だけではないかと思います。
節子がいなくなってから、自慢する相手がいなくなってしまいました。
それがちょっとさびしいです。
自慢といってもたいした話ではないのですが、例えば、一昨日、こんなメールが届きました。
気分が少し萎えていることもあって、このメールには元気が出ました。
節子はいないのですが、挽歌で節子に聴いてもらうことにしました。
佐藤さんのお力、つながりはすごいと思います。 みんなをつなげて、一人ではできないことができていく力になっていると思います。 生きる元気にもつながります。 佐藤さんを尊敬し、いいなあと思う人は大勢いると思います。佐藤さんの記事を見てはいつも考えます。
自分のしていることを。
むなしいとも思います。
でも、いいのだとも思います。人間の持つ精神力のすごさは計り知れないとも思いますが、反面弱いことも弱いですね。
自分で自分を励まし、支え、歩く、活動をしながら、
さみしいと深く思い、だから楽しいことをやろうとも思う。本当に優しいということは、本当に強いのだと言います。
佐藤さんは優しいです。息長く、無理しないでご活躍、お願いします。
健康に気を付けてください。
応援しています!
節子
どうですか。
みんなにほめられて生きているのです。
そちらに行くのは、もう少し後になるかもしれませんね。
久しぶりに自慢してしまいました。
やはりいささか恥ずかしいものです。
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