■節子への挽歌3222:「なんでこうなるの」状況
節子
なかなか「ぬかるみ」のような状況から抜け出せません。
ひとつ問題が解決すると、また別の問題が出てきます。
むかし流行った言葉に、「なんでこうなるの」というのがありましたが、まさにそんな気分です。
畑が気になっていますが、畑にも行けません。
困ったものです。
こうした原因の一つは、ネットのせいです。
ネットを通して、いとも簡単にいろんな相談が飛び込んできます。
先日は5年ぶりのメールのことを書きましたが、今日もまた10年ぶりくらいの方から突然の相談です。
10年ほど前、突然手紙が届き、お会いした方です。
節子とな寺名前の「節子さん」だったので、はっきりと覚えています。
今日は結局、対応はできませんでしたが、私を頼ってくる以上は、放置はできません。
一つひとつはさほどの作業量ではないのですが、しかしたぶん頼んでくる人が思うほどには簡単ではありません。
それにそうしたことが毎日いくつかずつ重なっていくと、それなりに時間がかかります。
依頼は一人からだけではありません。
ほかにもあります。
有料にしたら、私はたぶん今ごろ、蔵が建っていたでしょう。
しかし蔵が建たずに、いまもなお、頼りにされるということは、幸せなことでしょう。
蔵が建ってしまうと、そこで人間は終わりですから。
そんな終わり方はしたくはありません。
いささかの負け惜しみの気がしないでもありませんが。
依頼のメールだけではありません。
感謝のメールも届きます。
それには元気づけられますが、感謝されると人はさらに何かをやりたくなるものです。
ですから感謝のメールも、結局は依頼のメールと大差ありません。
困ったものです。
人のいない世界に行きたいと、時々思います。
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