■節子への挽歌3224:死を「死」としては語らず、「生」として語りたい
節子
先日、京都でお会いしたTさんから1冊の本をいただきました。
瀬川正仁さんが書いた「自死」(晶文社)という本です。
「現場から見える日本の風景」という副題があるように、自死に追いやられる人がなくならない日本の社会の実相のドキュメンタリーです。
いただいてからもう1か月近く経ちますが、読めずにいました。
そこで書かれていることは、予想されていたからです。
パソコンの横にいつも置いてあるのですが、真っ白な拍子に黒字で「自死」と大きく書かれた表紙を見るたびに、いつも読まなくてはと思う一方、読めずにいました。
しかし、ようやく昨日から読みだし、今朝読み終えました。
読み終えて、なぜかホッとしました。
Tさんからもらった宿題を、ひとつすませた気がしたからです。
このテーマの本は、読むにはそれなりのエネルギーが必要です。
ちょっとした表現や指摘にドキッとさせられたり、自分の身の回りと重なる話が出てくると、不安に覆われたりするからです。
以前、開催したフォワードフォーラムで、話させてもらったことがあるのですが、自死も病死も事故死も、「愛する人との別れ」という点では同じだろうと思います。
自死遺族の人には共感してもらえなかったこともありましたが、それは忘れられもしないし、乗り越えられないものです。
ただただ受け入れるしかない。
受け入れて、「別れた人」との新しい関係を創りだすしかない。
そう考えていますので、私は死を「死」としては語らず、「生」として語りたいという気持ちがあります。
しかし、こういう本を読むと、どうしても「死」がよみがえってくる。
だから、読むのがつらいのです。
しかし、読んでよかったです。
自死に向かってしまう現場の実相がていねいに書かれています。
多くのみなさんにも読んでもらいたいと思いました。
昨日は読み終えなかったのですが、今朝早く目が覚めたので、動き出す前に読むことにしました。
読み終えました。
しばらく、ちょっと心がざわめいていましたが、ようやく落ち着いたので、挽歌を書きました。
まだ頭が整理できていないので、本書の内容までは言及できませんでしたが、心から離れないメッセージもありました。
改めて思うことも少なくありません。
今日は、企業の管理者のみなさんが湯島に来ます。
その人たちにも、何らかのメッセージをしたいと思います。
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