■節子への挽歌3238:幸せにすること・幸せになること
節子
今日は明け方、とても夢を見ました。
内容は思い出せませんが、最後のシーンは覚えています。
ある人を幸せにしたという夢です。
それも1人ではなく、別々の2人です。
しかもなんとなく感じたのは、その2人は別々ではなく、仏教でいう「不二」の存在、もっと言えば、「一即多」あるいは「ホロニック」な存在を感ずるものでした。
そこに、私自身もれ場、節子もいる。
目が覚めて気づきました。
宮沢賢治は幸せだったことを。
少し説明が必要かもしれませんが、これまでこの挽歌を読んでくださった方ならわかってもらえると思います。
そして私自身の幸せにも気づきました。
さらに、私のこれまでの生き方が、すべて理解できたような気がしました。
幸せにすることが幸せになること。
そして世界はすべてつながっていること。
菩提樹の下で悟りを得たブッダのような気分です。
久しぶりにさわやかに目が覚めました。
いろいろな「難事」や「課題」が持ち込まれ、降ってくるのは、すべて意味がある。
正面から受け止めないといけません。
不幸を嘆いては行けません。
自らが不幸なのは、誰かを幸せにしていないからなのです。
気持のいい朝です。
改めて生きる意味がわかった気がします。
| 固定リンク
「妻への挽歌17」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌3500:庭の整理という大仕事(2017.04.05)
- ■節子への挽歌3498:手賀沼公園がにぎわっていました(2017.04.02)
- ■節子への挽歌3497:桜の季節がきました(2017.04.01)
- ■節子への挽歌3496:節子がつなげてくれた縁(2017.03.31)
コメント