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2016/07/01

■節子への挽歌3219:湯島にいると世界の変化が見えないのかもしれません

節子
節子もよく知っている武田さんが「子どもたちを戦場に送らない勇気」という本を書きました。
近々、書店に並びだしますが、これまでの武田さんの本の中で、一番抵抗なく読める本でした。
武田さんの、現政権に対する強い憤りも、激することなく、激しないこともなく、書かれています。

この本の出版を契機に、またリンカーンクラブの活動を再開することになりました。
節子がいたら、どう言うでしょうか。
武田さんと私の議論を横で聞いていた節子は、毎回同じような言い合いをして、よく飽きないものね、と言っていましたが、またその再来です。
しかし、言い合いはかなり減りました。

最近湯島に来る人たちは、節子の頃とは大きく変わりました。
節子を知っている人も少なくなりました。
そろそろ湯島を手放してもいいかなと、最近は思えるようになってきました。
湯島を手放す時は、たぶん私の生き方が大きく変わる時でもあると思いますが、湯島を拠点にした活動する仕組みもいくつか生まれだしました。
私が関わっていたり、提案したりしたものもありますが、よく考えてみると、私というよりも、湯島の空間が生み出しているのかもしれません。

武田さんと私はいずれももうさほど長くは活動できないでしょうから、リンカーンクラブももしやるとしたら、継いでくれる人を探さなければいけません。
活動は人に所属しているという考えのもとに、私の組織観は、とてもゆるいものですので、法人概念にはなじめないのですが、最近、湯島で生まれてきている組織は、法人になりだしています。
私も最後に妥協して、いくつかの法人を生み出して、そこから抜けるのがいいかなと思いだしています。
歳をとると、妥協もまた必要です。

時代がどんどん変わっていく。
私のまわりの世界も、どんどん変わっていく。
湯島にいると、20年の世界にいまでも浸れるので、そういうことを忘れがちですが、時代は10年前とは全く違っているのかもしれません。
今回、いろんなことを手掛け始めて、そんなことを痛感しています。

ちょっとさびしいような気もしますが、どこかで安堵感もないわけではありません。
人はいつまでも、同じ世界には留まれませんから。

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