■節子への挽歌3246:反省すべきは常に自分
節子
生きていると、楽しいことにも付き合えますが、嫌なことにも付き合わなければいけないことがあります。
嫌なことが増えてくると、生きることに押しつぶされそうになります。
こうしたことを、一度でも体験していないと、他者を思いやることは難しいかもしれません。
注意しないといけないのは、「思いやること」が相手を「追いやること」につながっていくことも、あることです。
「思いやった」つもりが、思わぬ「反撃」を引き起こすことがある。
自分の生き方の甘さの咎を、いま受けています。
この2週間、気分がすぐれないのは、そのせいです。
だからといって、生き方を変えるつもりはないのですが。
よく、佐藤さんのまわりに集まる人たちは、特殊だからといわれます。
実際にはそんなことはなく、私ほどさまざまな人たちに接している人はいないのではないかと思っていたこともあります。
しかし、それは私の思い上がりであることを最近痛感しています。
私が接している世界は、ほんの小さな世界でしかないのです。
世界は実に広い。
そして、人は実に多様です。
もしかしたら、世の中には「悪い人」がいるのかもしれない。
そんな疑心が浮かんできそうです。
他者の気持ちなど、わかりようもない。
自分はいささか世間から脱落している。
そんな気に、最近落ち込んでいました。
昨日も、ある集まりで、そう感じました。
しかし、話しているうちに、まさにそう思うのは自分の心がゆがんでいるからだと気づきました。
そして、その心のゆがみに気づけば、人はわかり合える。
人がわかりあえないのは、それぞれが自らを防衛しているからではないか。
私が、これまで自分の生き方ができてきたのは、無防備だったからではないか。
それなのに、最近少し防衛的になってきているのではないか。
反省すべきは、常に自分です。
迷いを解きほぐしてくれる人がいないのは、本当につらいです。
伴侶やパートナーも持たずに、一人で頑張っている人たちを尊敬します。
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