■節子への挽歌3269:節子からの贈り物?
節子
今日はとてもいいことがありました。
節子がいなくなってから、一番のうれしいことかもしれません。
なんと「沢蟹」がわが家にやってきたのです。
もしかしたら、節子のお土産かもしれません。
といっても自然に移住してきたわけでも、天から降ってきたわけでもありません。
午前中、だらだらしていたら、近くに住んでいる娘のジュンから電話が来ました。
買い物に行ったスーパーで、沢蟹を配布しているという電話です。
2匹ずつ入った箱を自由に持っていっていいと書いてあるのだそうです。
もちろん、もらっておいてと言いましたが、2匹では少ないので、私ももらいに行くことにしました。
残りはもう10匹だそうなので、念のために私の分ももらっておくように頼みました。
それから急いでひげをそり、自転車でそのスーパーに向かいました。
自転車で10分近くのところです。
幸運にもまだ残っていました。
その場所に行くとだれも持っていこうとはしていません。
たしかに、もらっていっても飼うのが結構大変です。
しかし、わが家の庭には10年以上かけて用意している沢蟹の棲家があります。
もちろん私が勝手にそう思っているだけなので、沢蟹にとって快適かどうかはわかりません。
しかし、棲息地としては私の考える限り、まあ比較的恵まれているでしょう。
いまのところ、天敵のガマガエルなどの小動物もいないようですし。
それでもう2箱、もらうことにしました。
こうして8匹の沢蟹が、わが家に来てくれたのです。
すぐに放すと、きちんと餌が確保できるか心配です。
彼らはまだ自然の中で生きる訓練ができていないでしょう。
それにお店などで配られる沢蟹は、十分の餌は与えられていないはずです。
そこでしばらく室内で休んでもらって、それから池に放そうと思います。
わがには雑食ですので、いろんな食材を与えました。
食べすぎは注意しなければいけませんが、まあいいでしょう。
節子が帰ってきたのもうれしいですが、沢蟹がやってきたのはもっとうれしい気分です。
節子は、私がどれほど沢蟹が好きかを知っていますから、怒ることはないでしょう。
元気だったころも、そして病気になってからも、節子は私と一緒に沢蟹探しに行ってくれたほどですから。
さて10年後には、この辺りは沢蟹の生息地になっているかもしれません。
そのために頑張らなければいけません。
沢蟹は、私には神の使いのような気がしてなりません。
ずっと昔から、そう思っています。
幸せなお盆になりました。
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