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2016/08/03

■節子への挽歌3257:節子がいた頃の湯島のサロンの話

節子
久しぶりに小宮山さんの会社に行きました。
先日、お引き合わせした細菌学の益田さんを連れてきてほしいと言うので、私も1年ほど行っていなかったのでお伺いしたのです。
小宮山さんの経営している会社は、いつ行っても気持ちがいいのです。
これほど気持ちのいい会社はそうはないでしょう。
それに、小宮山さんのおかげで、私はなぜか同社では「有名人」なのです。
ただし、前にも書きましたが、私は「しゅうさん」で通っているのです。
小宮山さんが、私のことを「しゅうさん」と呼んでいるからです。

小宮山さんは私と同世代ですが、私よりも間違いなく頑固です。
よく言えば、信条がしっかりしているということですが、それは見事です。
ですから私と小宮山さんと2人だけで話していると、かならず一度ならず数回は意見が分かれ、論争になってしまいます。
私も頑固だからです。
困ったものですが、幸いに今日は、いつも誰かが一緒でしたので、平和に時間を過ごしました。

小宮山さんは、いまは「ぶんぶんごま」に凝っています。
しかもそれを会社の事業につなげようとして、工場長の田村さんに「ぶんぶんごま」の研究を頼んでいるようです。
今日は、その成果を田村さんから教えてもらいました。
実に面白い会社です。
まあ面白いのはそれだけではないのですが、あまり詳しくは「企業機密」に絡んできますのでやめましょう(本当はめんどくさいだけですが)。

今日は同社の顧問の西山さんも少し付き合ってくれました。
西山さんは、亡くなった黒岩さんの友人です。
帰り際は西山さんに車で送ってもらったのですが、車中で、黒岩さんが文壇デビューできたのも湯島のサロンのおかげですよね、と言ってくれました。
それはいささかオーバーですが、たしかに彼女の本格的著作の「音のない記憶」は、湯島での出会いの仲間が大きな役割を果たしたのです。

節子がいた頃のサロンは、実に多彩な人たちが集まっていました。
そういえば、小宮山さんと聾学校の話をしていたら、紀陸さんの名前も出ました。
何回か湯島にも来た同社にも関わっている経営コンサルタントの大泉さんから、どうして湯島にはあんなにいろんな人が集まるのですかと訊かれました。
どうしてなのでしょうか。
考えてみると不思議です。

久しぶりに、節子がい阿多頃の湯島のサロンを思い出しました。
いまとどこか違っていました。
どこが違っているのか説明はできないのですが。

昔のことを思い出すと、なぜか疲れます。
今日は、もう一人、昔のことを思い出させる人に会いました。
これもまた意味があることなのでしょうか。

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