■天皇のお話に、上山春平とオメラスを思い出しました
昨日、2016年8月8日、天皇が国民に向けてビデオメッセージを発しました。
天皇の誠実さと思いの深さを改めて感ずることができました。
テレビで、天皇のお話をお聞きしながら、2つのことを思い出しました。
ひとつは、上山春平の言葉です。
ある本(「公共圏という名の社会空間」)からの孫引きですが、見つけたので2つ引用しておきます。
朝日新聞(1989/1/16)に載っていた座談会の発言。
今の日本は国家組織の中枢に近い人々がけがれた印象を与えている。その中から選ばれた人が国の中心にいたのでは、やりきれない思いになる。しかし幸い、われわれはそういう汚さから無縁で真っ白な方を中心におくことができる。これは国の姿として実にありがたいことだ。1990年11月号の「思想」に載った文章です。
天皇制は、国制の頂点に聖域を設け、権力競争に汚れやすい政治家たちをシャット・アウトする。その聖域から権力とのかかわりを最大限に排除したのが、今日の天皇制である。非権力という点では、世界の君主制のなかで最も徹底したケースといえるかもしれない。もうひとつは、『ゲド戦記』の原作者アーシュラ・ル・グィンの『オメラスから歩み去る人々』です。
その短編小説の書き出しだけ引用しておきます。
此処ではない何処か遠い場所に、オメラスと呼ばれる美しい都がある。オメラスが求めた犠牲。それは思い出すのさえおぞましい話です。
オメラスは幸福と祝祭の街であり、ある種の理想郷を体現している。
そこには君主制も奴隷制もなく、僧侶も軍人もいない。
人々は精神的にも物質的にも豊かな暮らしを享受している。
祝祭の鐘の音が喜ばしげに響き渡る中、誰もが「心やましさ」のない勝利感を胸に満たす。
子供達はみな人々の慈しみを受けて育ち、大人になって行く。
素晴らしい街。人の思い描く理想郷。
しかし、そのオメラスの平和と繁栄の為に差し出されている犠牲を知る時、現実を生きる自分達は気付くのだ。こ
の遥か遠き理想郷は、今自分が立っているこの場所の事なのだと。
オメラスが求めた犠牲。それはこんな姿をしている。
ましてや、天皇のメッセージにつなげて書くのはさすがに憚れますが、実は私が最初に思い出したのは、オメラスの話です。
それがあまりに誤解されそうなので、書くのをおもんばかっていたのですが、何回も聴いているうちに、上山春平さんの言葉を思い出したで、一緒に書けば、真意はそれほど誤解されないだろうと思い、書く気になったのです。
私の生活の平安が、いかに天皇に依存しているのか、ようやく実感できるようになりました。
ちなみに、オメラスについては知らない人もいるかもしれません。
以前、ブログでシリーズで書いた記事をホームページに転載しています。
「オメラスとヘイルシャムの話」です。
あまりお勧めはしませんが、よかったら読んでください。
長いですが。
http://homepage2.nifty.com/CWS/heilsham.htm
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