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2016/08/17

■核抑止力信仰の悪夢

前にも書きましたが、広島や長崎の平和宣言に、いつも物足りなさを感じています。
そこであまり「原発」が語られることがないからです。
私には、原発もまた「核兵器」だと思えてなりません。
核廃絶というのであれば、そこには当然、原発も含まれなければいけません。

しかし、現実はどうもそれどころではないようです。
報道によれば、オバマ米大統領が検討しているとされる核兵器の先制不使用政策に関し、安倍晋三首相が反対姿勢を示したそうです。
ワシントン・ポスト紙が1報じたニュースのようですが、同紙によると、安倍首相は北朝鮮に対する抑止力が弱体化し、紛争の危険が高まると伝えたと言います。
私には悪魔の思考のように思えますが、これが日本の核廃絶政策の現実なのでしょうか。

核兵器に関しては、オバマ大統領のアメリカでも驚くべき発言が続いています。
日本のマスコミも一時は持ち上げたトランプ大統領候補が日本の核武装を容認したことに対して、対抗馬のクリントン候補を応援するバイデン副大統領が、「核保有国になり得ないとする日本の憲法を、我々が書いたことを知らないのか」と批判したそうです。

世界は再び、核抑止力信仰が復活し、核拡散へとベクトルを変えるような気配です。
原発がますます必要になるのでしょうか。
原発は、かたちを変えた核拡散政策だと思いますが、安倍首相はどうもそれでも満足できないようです。
原発と核兵器とは別のものだという常識が広がっている日本では、それも仕方がないことなのでしょうか。
いずれも、 nuclear power であることには変わりはありません。

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Dr. Anthony J. Hall: 広島から福島まで、1945-2011:核の傲慢と悲劇の物語 レスブリッジ大、クローバリゼーション・スタディーズ教授Anthony J. Hall (2011年3月28日、第2版、Running Draft) 原子力は、広島の抹殺とともに、世界にもたらされた。歴史学者達は、この致... [続きを読む]

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