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2016/08/02

■節子への挽歌3256:思い出の世界と生きている世界

節子
自分の世界が、どんどん狭くなってきているのがよくわかります。
私の世界が、どんどんと過去の世界、思い出の世界に移行しているのです。
だからこそ、新しい活動を始めたりもしているのですが、見かけの広がりとは裏腹に、私の世界は間違いなく狭くなってきています。
節子と一緒だった頃に比べれば、私の世界はけた違いに小さくなってきています。
多くのことが、二次元的な記録の世界に収納されてしまったような気がするのです。
アルバムは増えても、世界はしぼんでいる。
そんな感じです。

テレビを見ていて、時々、失ってしまった世界を思いだすこともあります。
今日も高原や海水浴場の風景を見ていて、そう思いました。
高原や砂浜で自らを自然にさらけ出すことは、もう忘れてしまいました。
函館の風景にも、阿蘇の風景にも、私はもう記憶としてしか出会うことはないでしょう。
そこに私がいたことが、いまの私の生活とつながっているとは思えない。
節子がいた頃は、記憶の世界にも、明日、実際に行けたような気がします。
ですから、生きてきたすべての世界が、そのまま生きている世界だった。
しかし、どうも今は違います。

自分の人生がどうもつながっていない。
あるいは、生きていない。
私は現に生きているのに、どうもリアリティがない。
うまく書けないのですが、時々、そんな感覚が襲ってきます。
10年前までの私は、本当にいまの私とつながっているのだろうか、と。

生きている世界が、思い出の世界にどんどん浸食されていくような気がしてなりません。
そうだとすれば、私の世界はますます狭くなる。
狭い世界は、私の好みではないのですが。
 

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