■カフェサロン「病原体から人間を考えるパート2」の報告
昨日のカフェサロン「病原体から人間を考えるパート2」は、10人のサロンになりました。
今回も、益田さんの話に、みんなが質問しながら、話し合うスタイルで進みました。
前回のレビューから話は始まりましたが、ポイントは、「生物と環境」というところです。
生物にとって環境は自らの存在基盤ですが、問題は環境をどうとらえるかです。
病原体は、みずからにとっての環境である人間を、発病させて死に至らしめると考えがちですが、益田さんは、前回、ジフテリア菌を例にして、そうではないのではないかと話しました。
ジフテリア菌は、そもそもそれ自身は、人間に対する毒素を持っておらず、実は発病させるのは、ジフテリア菌に寄生しているファージが毒素を出すというのです。
つまり、ジフテリア菌そのものは、自らの環境である人体を壊そうなどとはしていないわけです。
これを少し広げて考えると、生物は自らにとっての直接の環境を損なうようなことはしないが、その環境のもう一つ外側にある環境を損なうような行為をすることがあるということになります。
そこで生物主体と環境の構造を複層的に考えるという視点が出てきます。
いささか粗っぽい言い方をすれば、人間は自らの直接的な環境である、いまの生活を良くしようと思いながら、その外部にある自然環境を壊す(環境破壊)という生き方をしているわけです。
前回、糖尿病を例にして、食欲あっての自分と考えるか、肉体あっての自分と考えるかで、行動が変わるだろうという話が出ました。
これも、生物と環境の構造をどうとらえるかに関わってきます。
そして益田さんは、前回同様、同心円で、人間の環境構造を図解してくれました。
益田さんの考えは、人間のど真ん中には「欲」がある。
その外側に、「心」があり、さらにその外に「肉体」、そしてその外に「自然環境」という図です。
同時に、その構造は、外から内内部が創りだされていくとも言います。
自然が人間を生み出し、人間が心を生み出し、心が欲を生み出す、というわけです。
そこで、「生物は、自らの直接外側の環境を壊すことはない」と言う命題に戻って考えると、どうなるでしょう。
益田さんは、「自殺」を例に挙げます。
自殺は、肉体のみならず、心をこわすわけですが、先の命題に従えば、それを行うのは「欲」であるはずがないと言うのです。
欲の直接の環境は、心であり、肉体だからです。
とすれば、欲の中に、実はもう一つの「何か」が寄生しだしているのではないか。
それが、直接の環境である「欲」のために、その外側にある「心」や「肉体」を壊すのではないかというのです。
問題は、その「何か」とは何か、です。
それは益田さんにも分からないと言いますが、いくつかの示唆はありました。
たとえば、社会構造、たとえば、名誉心、です。
そして、益田さんは、自殺の問題は、そこから考える必要があると言います。
うまく伝わったでしょうか。
他にも破傷風菌の不思議な行動の話もありましたが、普段、考えたこともないような、いろんな話が出ました。
話し手の益田さんも、大学教授を辞めて以来、こんなに頭を使ったことはないと言いましたが、参加者はもっと頭を使ったと思います。
まあ、そんなサロンでした。
ちなみに、以前、何か似たような話し合いがあったなと思いだしました。
その時には、ど真ん中に「金銭」があるという話も出ました。
さて、ど真ん中にあるのは、いったいなんでしょうか。
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