■フェイスブックの「いいね」から見る現代人の生き方
私にとってとても気に入らないことの一つが、フェイスブックの「いいね」から感ずる、みんなの生き方です。
そこにこそ、いまの社会のもろさと虚しさが象徴されているような気がします。
私の友人知人への批判になりかねませんのが、書いてしまいましょう。
さすがに、フェイスブックにはアップするのは躊躇しますが。
フェイスブックに、どうでもいいようなこと、例えば、食事の話やきれいな景色や花などの写真を載せると、たくさんの人が「いいね」を押してくれます。
ところが、政治的なことや思想的なことを書くと(まあ私の場合、長いということもありますが)、「いいね」を押してくれる人は限られてきます。
つまり、みんなどうでもいいことには意思表示するが、思想的、政治的なことには積極的に意思表示しないということです。
これは、まさに現代社会のコミュニケーション状況というか、人て人との接し方を象徴しています。
そして、どうも組織に属している人は、そうした問題には基本的に反応しない傾向が感じられます。
組織に属する人には、政治的、思想的な意思表示に消極的、抑制的な人が多いということです。
組織に属することは、自らの考えを抑制することだと思っている人が多いのかもしれません。
しかし、自らの考えを抑制するような人が構成する組織は、健全な組織とは言えないと私は思います。
組織とは、さまざまな主体性がお互いを活かし合うことで、個人を超えた力が生まれるのではないかと思います。
さらに、思想的、政治的な記事へのコメントの半分は、きちんと読んでいないか、意味を誤解しているということです。
私のメッセージとは正反対な読み取りをして、賛意を表明したり反論を書いてきたり人は少なくありません。
そういうコメントの多くは無視しますが、あまりにもひどい時には反論を書きます。
でも、果たしてそれを読んでくれたかどうかはわからない場合も少なくありません。
自分にとって都合のいい読み方をして、自分の意見を述べるだけの人も少なくありません。
こうしたことから感ずるのは、今や人はコミュニケーションを求めているのではなく、私見を発するという姿勢を強めているのではないかということです。
それは、人とのつながりを回避する生き方とも受け止められます。
ツイッタ―やフェイスブックで、言葉や文字のやり取りは増えていますが、思いを重ねていこうというコミュニケーション姿勢は、むしろ失われているような気もします。
それが私には、とても気にいらないのです。
コミュニケーション・ツールの発展や多様化は、むしろコミュニケーションを阻害しているのではないか。
30年前に書いた「非情報化革命論」は、ますます深化しているようです。
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