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2016/09/28

■節子への挽歌3311:葬式がなければ、人は死ねない

節子
一条真也さんが「死を乗り越える映画ガイド」を出版し送ってきてくれました。
副題は、「あなたの死生観が変わる究極の50本」です。
その本の最後に、進藤兼人監督の「裸の島」が紹介されています。
私が大学生だった頃の映画です。

舞台は、瀬戸内海にある、飲み水はもちろん、野菜を育てる水さえ隣の島から運んでこなければいけない小さな島に住む家族の話です。
その家族の息子が急死し、そのお葬式が描かれています。
そのお葬式を見て、一条さんは、感動したのです。

わたしは、こんなに粗末な葬式を知りません。
こんなに悲しい葬式を知りません。
そして、こんなに豊かな葬式を知りません。
貧しい島の貧しい夫婦の間に生まれた少年は、両親、弟、先生、同級生という、彼が愛した、また愛された、多くの“おくりびと”を得て、あの世に旅立って行つたのです。
これほど豊かな旅立ちがあるでしょうか。
そして、こう言います。
水がなければ、人は生きられません。
そして、葬式がなければ、人は死ねないのです。
さらにこう書いています。
「裸の島」は、いわば極限までに無駄なものを削った生活だからこそ、人間にとって本当に必要不可欠なものを知ることができるのです。
そして、その必要不可欠なものこそ、水と葬式でした。
詳しくは一条さんのブログをお読みください。
http://d.hatena.ne.jp/shins2m/20100228/1267364286

葬式がなければ人は死ねない。
いろいろと考えさせられるメッセージです。
私はこの言葉を見て、こう思いました。
葬式がなければ人は死ねないとしたら、いまはまさに、人は死ねない時代になってきているのかもしれない。
ということは、人が人として生きられない時代とも言えます。

最近、いろんな人と会って感ずるのは、最近、生きるのをやめた人がどんどん増えているのではないかということです。
私以上に、生きていない人が多い。
生きていないから、死ぬ必要もない。
そういう人に比べたら、私の方がよほど生きている。
最近、なんとなく感じていることですが、

佐久間さんは、「愛する人を亡くしたとき、人は葬式を必要とするのです」とも書いています。
葬式不要が広がっていますが、もしかしたら、人を愛することもできなくなっている社会になっているのかもしれません。

いつもながら、一条さんの言葉には、考えさせられることが多いです。

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