■節子への挽歌3284:ユリの香り
節子
できるだけ追いつくように、もう一つ挽歌を書きます。
発達障害のコミュニケーション支援の活動をしているKさんから、相談があるとメールが来ました。
電話で話し合いましたが、あるプロジェクトの相談でした。
長電話になりましたが、彼がいささか防衛的になっている気がしました。
彼は、自分に誠実すぎて、いささか世間的ではないのかもしれません。
だから生きづらいのかもしれません。
考えてみれば、私もそうかもしれません。
昨日もある相談で弁護士のところに行ったのですが、同席した友人が私の生き方に改めて驚いたと言っていました。
褒め言葉ではありません。
むしろこれまで「師匠」と思っていたが、ちょっと不安になったというのです。
やっと気づいたのかと言いたくなりますが、なかなかわかってはもらえないのです。
節子は生活を共にしていたから、わかってくれたのでしょう。
自らの生き方をわかってくれている人がいると、とても安心できます。
その節子がいないので、疲れた時に寄港するところがないのです。
まさに彷徨人。
今日は予定を延期してもらったので、その気になれば気ままに過ごせます。
しかし、昨日の疲労感が残っています。
精神内科に行こうかと調べたのですが、前回と同じ検査をやられるのではないかという気がしてきました。
神経内科とか脳外科とか、医学科目の細分化は研究側としてはいいでしょうが、医療の現場からはやめてほしいです。
医学と医療の違いに、なぜ病院は気づかないのか。
毎回、検査をされていたら、たまったものではありません。
むしろかかりつけのクリニックの医師に相談に行くのがいい気がしてきました。
せっかく、昨日は行く気になったのですが、もう今日は行きたくなくなってきました。
困ったものです。
まあ、そんな感じで、今日はだらだらと過ごす予定です。
9年前の今日は、奇跡が起こりかけ、そして奇跡が終わった日です。
あの日から、私の世界は一変しました。
節子の位牌の前は、ユリの香りが充満しています。
奇跡への期待は、いまもまだ消えていません。
きっといつかまた会えるでしょう。
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