■節子への挽歌3306:お天道様の支えに感謝しなければいけません
節子
庭の藤棚を作ってくれる人が忙しくて、なかなか来てくれません。
先日の台風で、藤棚が倒壊し多ために、藤のほとんどはダメになったのですが、幹は地面から2メートルほど残りました。
支えがないので、かなり斜めになっているのですが、けなげに頑張っています。
小枝や葉っぱはほとんどなくなっていたのですが、その後、どんどんと枝や葉が出てきました。
それこそ見ているうちに延びるのがわかると思われるほどに成長はすごいのです。
植物の生命力のすごさには驚かされます。
はやく棚をつくってやりたいのですが、業者の方が忙しくてまだ当分だめらしいのです。
かといって、自分で造ることもできません。
さてさてどうしたものか。
しかし、頑張っている藤の木をみると、なにかしてやりたくなります。
支えがなくとも、大きく生きようとしているのです。
それにしても、すごい成長力です。
まさに生きている。
私とは対照的です。
一方、水槽で飼っている沢蟹は、たぶん私の支えがなければ、元気を失うでしょう。
水を変えたり餌をやったり、時には声をかけないと、たぶん元気を失います。
藤とはだいぶ違います。
いや、同じなのかもしれません。
藤の木は、太陽や雨や、時には風さえからも、支えられているのです。
もちろん土壌が支えていることは言うまでもありません。
支えなしに生きることができる「いのち」はないのです。
私もまた、太陽や雨や風によって支えられている。
人の支えなど、小さな支えでしかないのかもしれません。
今日は大忙し。
そしていささか孤軍奮闘。
この程度の支えしかしてくれないと友人にちょっと失望させられた1日でした。
まあそれも、私の見から出たさびではあるのですが。
でも、そう考えるのは間違いでしょう。
あの藤の木と同じく、私もお天道様に支えられているのです。
いや、節子にも支えられていることも忘れてはいけません。
支えがないなどと愚痴をこぼすこともなく、どんどんと伸びている藤の木に学ばなければいけません。
でも、明日はちょっとゆっくりしたいです。
なんでこんなにやることが多いのでしょうか。
まあそのおかげで、病院に行かずに済んでいますが。
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