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2016/09/18

■節子への挽歌3301:つがるのりんご

節子
半年ぶりに、渕野さんに会いました。
節子もよく知っている渕野さんです。
渕野さんも一緒になって、3月にフォーラムを開催したのですが、当日、彼は体調を崩し、病院に寄りました。
そこで病気が発見されました。
フォーラムどころではなくなり、フォーラムは渕野さん不在で開催しましたが、その後、気になりながら会いに行きませんでした。

病気は肺がんです、
渕野さんは自らのブログなどでもすでにカミングアウトしていますので、書かせてもらいます。
幸いにステージは1でした。
手術はうまくいきましたが、まだ体調が戻ったわけではありません。
入院中にお見舞いに行こうかどうか迷いましたが、行けませんでした。
退院後も会わずにいましたが、今回、あるプロジェクトに渕野さんを誘いました。
気が向いたら来てもらう程度の軽い関わり方を提案させてもらいました。

渕野さんは、「生かされている」という実感を強く持っているようです。
免疫力を高めることについても、少し話しました。
節子の時にも、さまざまな民間療法を試してみました。
あまりもいろんな意見があって、そうした話に振り回されがちでした。
節子が元気になったら、私たちが試してみたものを中心に記録に残したいと思っていましたが、節子がいなくなった後、その気はすっかりなくなってしまい、思い出すのさえ辛いようになりました。
節子を見送った後は、「がん」という文字を見るだけで、心身が縮まりました。
今日は、久しぶりに少し思い出しました。
しかし結局、節子は回復しませんでしたから、何を薦めていいのか迷います。
いろんな人の体験が、いい意味で蓄積される仕組みがあればいいと思いますが、それがやはり難しいのです。

民間療法は保険も効きませんし、経済的にもかなり大変です。
免疫力を高めることにも、保険が効くようになるといいのですが、日本の医療は近代西洋医学の味方ですから、病気を治すことに主眼が置かれがちです。
その発想を変えていくべきだと私は思っています。
経済の論理で考えれば、医療費は無限に増大します。
生命の論理で考えれば、医療費は無限に縮小できるでしょう。
これは福祉に関しても言えることです。

渕野さんは、青森から送られてきたと言って、つがるのりんごを持ってきてくれました。
節子に供えました。
闘病中、節子はりんごが好物になっていました。
それを思い出しました。

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