■豊洲問題で一番大切なこと
豊洲問題は、ますます混迷しているようですが、その一方で、市場建設地としての安全性の問題があまり議論されていないのがとても気になります。
問題の捉え方が、ずれているのではないかという気がしてなりません。
豊洲の地下空間に地下水がしみだしてきているという報道に接した時に、私がまず考えたのは、これほどの地下水がしみだすという場所に、果たして市場をつくっていいものだろうかということでした。
地下水だけではなく、おそらくさまざまな目に見えないガスも出ていることでしょう。
そういう視点からは、誰が地下空間を設けたかどうかという問題よりも、果たして豊洲が市場建設地として適切なのかどうかを、原点に戻って考えるべきではないかと思います。
私自身は、最初から、豊洲市場はあり得ないと思っていましたし、なぜ問題の多い、豊洲に決まったのかが理解できませんでした。
正直に言えば、いまや大量の商品が流通する大型市場に並ぶ食品の安全性などは望めないものという思いがありますので、その後、関心を全く失っていました。
築地市場組合の人たちが、豊洲を受け容れたのは、そういう「産業化」された市場に身を任せたのだろうという思いがありました。
福祉や環境に取り組んでいる人たちの多くも、そういう時代の大きな流れに身を任せだしていますから、築地市場の人たちを批判するつもりはありません。
ですが、それでも、少しくらいは良識が残っていると思っていました。
しかし、自らがこれから舞台にしていく豊洲の「市場施設」の作り方に、これほど無関心だったとは、驚きました。
最近は、みんな「現場」には行かずに、事務所で判断するようになっているのかもしれません。
築地で働く人たちは、都庁の職員に怒りをぶつける前に、まずは自らのそうした姿勢をこそ問い直してほしかったと思います。
会長の発言には、当事者意識が全く感じられませんでした。
大切なのは、問題は責任者探しではなく、豊洲がはたして市場としていいのかどうかです。
答えは、私自身は明らかではないかと思います。
専門家による、盛り土対策は、それ自体が、豊洲は安全ではないと物語っているはずです。
専門委員会の有識者たちにも、私は大きな違和感を持っています。
私は、そもそも専門家会議の委員が、問題の発端だと思っていますから、彼らこそ責任を感じてほしいと思いますが、むしろ今の報道では、彼らは被害者的になっています。
私にはまったく納得できません。
事件としての責任者探しはするにしても、いまこそ安全性という見地から、市場の立地の適格性をこそ考えるべきではないかと思います。
問題は、安全性をどう高めるかです。
経済の問題や組織の意思決定の問題は、副次的な問題でしかありません。
いまの報道は、問題の本質をずらして騒ぎ立てているだけのようにしか思えません。
私たちの生活につながっていく多くの問題が、経済的な問題や政治的な問題にすり替わっていくことに、とても歯痒い思いをしています。
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