■節子への挽歌3285:節子の親友たちと電話で話しました
節子
命日が近づくと、毎年、節子の友だちの福岡さんと田村さんから花が届きます。
この2人は、節子の滋賀時代の友人ですが、節子が発病して以来、節子が滋賀に会いに行く時には私も同行するようになりました。
福岡さんの住んでいる近江八幡でも数回お会いしました。
滋賀時代、私もおふたりとは面識もありました。
とりわけ福岡さんにはお世話になりました。
節子が病気になった時、福岡さんに頼んで節子にお見舞いのぬいぐるみを持って行ってもらったこともあります。
私の記憶に間違いがなければですが。
福岡さんは、とても純粋で正義感の強い人なので、私は一度、節子への態度が不誠実だと叱れらて記憶もあります。
例年のように、花が届いたので、お礼に電話をかけました。
2人とも元気そうでした。
福岡さんは、ちょうどプールに出かけていた時で、ご主人と話ができました。
ご主人も知っているのですが、とても自然に生きている人のようで、話がとても合いました。
節子が元気だったら、もう少し夫婦でお付き合いできたと思うと残念です。
私と同じ世代ですから、友人たちが少しずつ欠けだしているようで、今年は3人の友人を見送ったようです。
まあ私たちもそういう年齢になっているわけです。
田村さんに電話しましたが、数回かけましたが不在でした。
女性たちは、みんななにかと忙しそうです。
お昼過ぎに、ようやく田村さんとも電話が通じました。
夫婦ともども、お元気のようでした。
ご主人は、農業と福祉をつなげる先駆的な活動にたぶんいまも関わっているのでしょう。
節子がいたら、一緒にその施設を訪問できたでしょうが、これまたとても残念です。
電話での私の声は、どうも元気そうだったようで、そう言われましたが、実は電話の前で座り込んしまうほど、疲れていました。
そういえば、節子も病気になってから、電話の時の声が異様に元気そうだったのを思い出します。
もしかしたら、電話の声の元気さは、元気でない証拠なのかもしれません。
夕方、午前中は留守だった福岡さんが電話してきました。
お元気そうでしたが、まあ話題といえば、年齢相応で、いまお墓を探しているというような話でした。
話題がそもそもお互いに「元気」ではありません。
節子と福岡さんと田村さんは、仲良し3人組でしたが、私が最初に会った時は、それこそまだあどけなささえ感じる純情な乙女たちでした。
もっともその頃の私は、それ以上に、子どもっぽい世間知らずに子どもだったのですが。
あれから50年。
みんな大きく変わりました。
いや、実はみんな何も変わっていないのかもしれません。
届けてくれた花を見ながら、少し当時のことを思い出したりしていました。
明日は節子の10回忌です。
昨夜会った人が、妻を亡くした男性は4,5年で亡くなることが多いというような話をしていましたが、私はその倍も生きてしまいました。
自分ながら、信じられない気がします。
今日、まったく元気が出ない理由が、なんとなくわかりました。
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