■節子への挽歌3292:意味の反転
節子
昨日は1日、俗事から解放されて、穏やかに過ごしていたのですが、
人生は、そううまくいくものではありません。
夜、電話がかかってきました。
一挙に現実の世界に引きずり込まれました。
現実の世界で私が抱えている問題は、いささか多すぎます。
元気の時には、多すぎるなどとは全く考えることなく、いろんな問題に関われることの喜びを感じられるのですが、自分の気が萎えてくると、多さは楽しさから負担に一変します。
その途端に、モチベーションは激減し、ひどい時にはやる気さえ起きてこないのです。
今日は病院に行くつもりでしたが、課題リストを久しぶりに見たら、それどころではありません。
それを見て、さらに気が滅入ってしまいました。
そして病院行きを延ばしたうえに、課題リストの消化も延ばしたくなっています。
まだまだ気が萎えているようです。
池に行っても、沢蟹も顔を見せないし。
自分の状況によって、同じものなのに意味が反転する。
そういうことはよくあります。
楽しいことが避けたいことになったり、元気づけられていたことが逆にマイナスに働いたりすることもあります。
褒め言葉が、逆に心に刺さるような非難に聞こえることもある。
節子が亡くなった直後は、そうしたことの連続でした。
世界が一変してしまった。
生活も大きく変わりました。
しかし、そんなことは周りの人には知る由もありません。
だから自然と性格が悪くなってくる。
さて、良い方向に「意味の反転」を行わなければいけません。
課題リストは一時棚上げし、まずは少し身体を動かしましょう。
いまとは別の私が主役の座に出てきてくれるかもしれません。
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