■節子への挽歌3297:買い物行動の効用
節子
月曜日は近くのマツキヨのお店で、ヨーグルトが100円で売っています。
普段はたぶん150円以上しているはずです。
最近、わが家はそこでヨーグルトを購入しています。
1日100人限定ですので、午後に行くともう売り切れていることもあります。
最近、そこではヤクルトも1割引きで売っているのがわかりました。
週に1回ほど、私は娘の買い物に付き合います。
これは節子がいた頃からの習慣ですが、節子がいた頃と違うのは、私自身が価格を見るようになったことです。
むかしは価格を見ませんでしたから、ほしいものがあれば、買い物籠に勝手に入れてしまっていました。
ですから私と行くと不要なものを買ってしまうと、節子に言われたことがあります。
不要なものこそ、生活を豊かにするのだ、などと抗弁していましたが、私から見れば、節子も無駄なものをよく買っていたように思います。
買い物には、その人の生き方が象徴されます。
いまは価格を見ながら、買うかどうかを自分で判断しています。
そうしているとお店と日時によって、価格がかなり違うのがわかります。
たとえば私が毎朝食べているソーセージがありますが、これはわが家の近くにある2つのスーパーでは価格差が2割もあります。
最近それを知ったので、かならず安い方で購入しています。
毎日買いものしている主婦の人は知っているのでしょうが、おそらく買い方によっては、食料品への支出は2~3割の差が出るのではないかと思います。
しかし、そうしたことを続けていると、価格に対しておかしな価値観が生まれてきます。
たとえば、明治のヨーグルトですが、100円で買えることがわかっていると、170円で売っているところでは買う気が起きません。
そして、次第に、商品が違うのに、価格が安いものを選ぶようになってしまいます。
つまり、価格で商品を評価してしまうようになるのです。
購入の判断基準が、価格になってしまう。
さらにいえば、同じ商品を安く購入できると、得をしたような気分になってします。
また割引商品に目がいってしまうような思考も生まれます。
これは問題です。
私は、お金離れした生き方を目指しているのに、むしろお金に呪縛されてしまっているわけです。
いまはすべてにおいてカード払いになっていますので、本当は価格など気にしなくなるのでしょうが、私の場合は、昔の「主婦感覚」のようなものが身につきだしてきました。
これが結構面白いのです。
高齢者は、男性よりも女性が元気です。
それはもしかしたら、毎日、食料品を買いに行っているからではないか。
最近、私が発見したことのひとつです。
食料品や日用品の買い物ゲームは、ボケモンGOよりも人をワクワクさせるのかもしれません。
こういう生活がいまできるのも、実は節子のおかげです。
いや、節子と娘たちのおかげというべきでしょうか。
私は財布を持ったことがないので、実は買い物は娘に依存しています。
一人でスーパーに買い物に行くのは、いまもなお、とても苦手です。
しかし、元気を維持するためには、一人で買い物に行けるようにならないといけません。
できるでしょうか。
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