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2016/09/26

■節子への挽歌3308:いちばんぜいたくな人

節子
この数日、なぜか忙しくて、挽歌も書けずにいました。
まあ、忙しいと言うのは理由としては一番無意味なことですが。
それにしても人生は、いろいろとあります。
いろんな人との交流のおかげで、自分の時間がなかなかとれません。
困ったものだ。

と思っていたら、今日、届いた、鈴木さんからの「ハガキッタ―」(ハガキツイッタ-で、娘が今日、この言葉を使って持ってきてくれました)にこんなことが書いてありました。

サン・テグジュペリの「人間の土地」に、「真のぜいたくというものは、ただ一つしかない。それは人間関係のぜいたくだ」という文章がありました。とすると、わたしの知る範囲では、佐藤さんがいちばんぜいたくな人かもしれません。
人間関係が多いということは、必ずしも人間関係がぜいたくということではないでしょう。
しかし、考えてみれば、私はほんとうにたくさんの人たちに支えられています。
しかし、時に、支えられているのではなく、もしかしたら悩まされているのではないかという気がしないでもないのですが。
昨日も、ある友人が、別の友人に、「自分も性善説派だが、佐藤さんは私の100倍も性善説だから」と、一見、ほめているようで、実はちくりとくさしている発言をしていました。
性善説かどうかはともかく、どんな人のどんな言動も、信ずることにしています。
しかし、それが完全に裏目に出ることもあります。
今日は、実はそうしたことに対処するために、弁護士に会いに行きました。
弁護士と話していて、私はやはり社会不適合者なのかもしれないと思いました。
そのくせ、ぜいたくと言ってもらえるほど、たくさんの人に支えられている。
不思議な話です。

鈴木さんのハガキッターには、こんな文章が続いていました。
とても示唆に富んでいるので、引用させてもらいます。

この一文の後、「物質上の財宝だけを追って働くことは牢獄を築くことで、人はそこへ孤独な自分を閉じ込める結果になる」と続きます。
私たちの生き方は、間違っていなかったのかもしれません。
きっと節子も、いまもなお、孤独ではないでしょう。

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