■節子への挽歌3331:寒い1日
節子
今日はこたつがほしくなるような、寒い1日でした。
昨日までで、一応、山積みなっていた課題をほぼ解消しました。
と言っても、まだ気は許せません。
なにしろ11月19日に開催する、少し大き目のイベントのチラシと案内文がようやく完成し、昨日からその呼びかけを始めました。
今日は、いくつかのサイトにアップしたり、メーリングリストで流したりしましたが、まだ反応はゼロです。
目標は100人以上ですが、いささか胃が痛くなるような話です。
明日も集まりをやりますし、23日も集まりをやるのですが、こう多いと、案内を出したかどうかさえ忘れてしまいます。
自分でも、今日はなんの集まりだったっけと戸惑うこともないわけではありません。
実はよそから見たら、別々のテーマに見えるでしょうが、私にはすべてが同じテーマにつながっているのです。
ですからなおさらややこしいのです。
困ったものです。
しかし、そうした集まりのおかげで、私の元気は維持されているのかもしれません。
いろんな人と会うと元気が出ます。
昨日は、我孫子の人が2人、わが家に来てくれました。
音楽活動で我孫子のまちづくりに取り組んでいる宮内さんと最近近くの施設で市民カフェなどを始めた石井さんです。
石井さんも、歌って踊れる人だそうです。
いろんな構想を聞かせてもらいました。
我孫子での私の活動は、あんまりうまくいきませんが、若い世代の活動も育ち始めているようです。
いろいろとお話をお聞きしていると、私などの出る幕はないようです。
我孫子もようやくステージが変わろうとしているのかもしれません。
思い悩むこともないわけです。
しかし、誰かと話していると、ついつい何かを始めたくなる私の悪癖は一向に治りません。
この歳になると、新しいことを始めるのは自重すべきですが、魅力的な課題が見つかってしまうわけです。
これまた困ったものです。
しかし、最近、世代の違いを強く感じます。
あきらかに私が生きてきた時代とは違った時代が始まっているのです。
節子我いたら、そういう時代とは距離を置いて生きていけたと思いますが、節子がいないいまは、それは難しいでしょう。
なんとか彼らの邪魔にならないように、つまり少しは役立てられるように、もう少し社会と関わっていこうと思います。
それにしても、今日は寒いです。
寒いと心まで冷えてくる。
節子がいたら、下からお茶でも飲まないと、声がかかるのですが、それも期待できません。
朝から4杯目のコーヒーを淹れて、身体を温めないと風邪をひきそうです。
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