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2016/10/09

■75年サイクル論の不気味さをオリンピックパレードに感じました

一昨日行われた銀座のオリンピックパレードの映像を見ました。
報道によれば、80万人の人が集まったそうです。
私には、遠い世界の話ですが、もしかしたら、すぐ近くの世界の話なのかもしれないと、映像で歓喜している人たちを見ながら、複雑な気持ちになりました。

政治学者の中島岳志さんと宗教学者の島薗進さんが、「全体主義はよみがえるのか」というテーマで、対談したものを本にしています。
集英社新書の「愛国と信仰の構造」です。
そこでの対話の基調にあるのは、社会学者の大澤真幸さんの「近代日本150年の25年サイクル論」です。
近代日本150年は、第二次世界大戦を境に75年で区切られる。
そして、その前後の75年を、さらに25年で区切っていくと、相似性が読みとれるというのです。
最初の25年は、「富国強兵」と「戦後復興」。
次の25年は、「アジアの一等国・好景気」と「ジャパンアズナンバーワン・バブル景気」。
そして最後の25年は、大戦前の場合は「恐慌から全体主義へ」という流れで、戦争に突入していくわけです。
それをなぞるように、いま、バブル崩壊を経て、全体主義の機運が高まっている、というのが、この対話の基調です。
そして、ふたたび大戦前のような結果にならないようにするにはどうしたらいいかを、おふたりは話し合いの中で、いろいろと示唆しています。
とても密度の濃い内容ですが、話し合いスタイルなので、とても読みやすく、気楽に読めますので、ぜひ多くの人に読んでほしいと思う本です。

75年サイクルを表にしたものを、集英社新書の「愛国と信仰の構造」から引用させてもらいます。
この表を見ていると、いろんなことに気づくと思います。

75


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