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2016年10月

2016/10/31

■節子への挽歌3347:呉さんとの再会

節子
台湾の呉さんから突然電話がかかってきました。
いま日本に仕事で来ているが、会えますか、という、電話でした。
あいにくと彼と私の時間の都合が合いません。
聞けば、昨日やってきて3日には帰るのだそうです。
この前に来日した時には、我孫子のわが家にも来てくれましたが、残念です。
呉さんが時間が自由になるのは、どうも今夜だけのようです。
仕事で来ているので、いろいろとあるのでしょう。
今夜は、あいにく、私は湯島であるプロジェクトの立ち上げのミーティングです。
そう話したら、ささやかなお土産を持ってきたので、それだけでも届けると言います。
そこでみんなの了解を得て、ミーティングを早く切り上げることにしました。

8時過ぎに、元気そうな呉さんがやってきました。
忙しい中を、わざわざ立ち寄ってくれて、とてもうれしいです。
節子がいたらどんなに喜ぶことか。
呉さんの息子さんももう大きくなり、次男はいまプロゴルファーを目指して、四国に留学しているそうです。
もうそんなに時間が経ったわけです。
しかし、呉さんはあいかわらず若々しい好青年でした。

呉さんは、台湾で会社をやっています。
ピンバッジやノベルティグッズを扱っています。
http://dskg.com.tw/jp/
もし何かのイベントでピンバッジやノベルティグッズが必要になったら、ぜひ呉さんのところに頼んでやってください。
呉さんのために私は何もやれないでいるのが、とても残念です。
ぜひ見さん、応援してやってください。

お土産を節子にお供えし、元気な呉さんのことを報告しました。

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■節子への挽歌3346:冬には時間が流れない

今日は、とても秋らしい朝でした。
もっとも今年はもうすぐそこに、冬が来ている感じで、秋はとても短いようです。

古代の暦では冬には時間が流れなかったということを以前聞いたことがあります。
いまの西暦の7月(July)は古代ローマのジュリアス・シーザーから、8月(August)は初代皇帝のアウグストゥスから、それぞれ命名されたそうですが、その2か月がどうしてた暦に入ってきたのか、不思議に思っていましたが、昔は冬には暦はなく、10か月だったことを知って納得できました。
古代ローマには、1月と2月、つまり冬には、暦はなく、時間の流れは止まっていたわけです。
それでなぜ不都合でなかったかと言えば、冬には祝祭行事がなかったからだそうです。
つまり、暦はもともと、次の祝祭がいつ行われるかを知らせるものだったというわけです。
ですから、特別な行事が行われないときには時間は流れなかったのです。

たぶん日本においてもそうだったのでしょう。
生活にリズムをつけていたのは、いまでいう時間ではなく、暮らしの中でのお祭りや習俗的な行事だったと思います。
いまも、地方ではそうした時間で暮らしている人は多いでしょう。

節子を見送った後の私の暮らしもまた、そうでした。
時間が止まる中で、でも時々、ある行事がやってくる。
いわゆる法事です。
そこで少しずつリズムを取り戻していく。

そうした中で、時間感覚は変わってきます。
季節感さえ希薄になる。
世界が止まってしまったような、奇妙な感覚に陥ることもありました。
いまは、そんなことはありませんが、しかし明らかに時間感覚は変わってしまいました。
おかしな話ですが、時間の速度さえも均等ではなくなったのです。

冬には時間が止まる。
これは私にはとてもいい考えに思いえます。
時間に追われて生きる状況から、立ち止まれるチャンスになるからです。
私の場合、最近、そうした「時間を止めるとき」を意図的につくっています。
冬に限ったわけではありません。
「意図的に」というよりも、「結果的に」と言った方が正確ですが、そうしたなかで、自分をとり戻します。
これは、節子を送った後に身につけた知恵です。
節子からの贈り物かもしれません。

冬は、時間を止めやすい気がします。
今年の冬は長いようですが、私には豊かな時間をもらえるような気がしてうれしいです。

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2016/10/30

■節子への挽歌3345:「看取れる関係」と「看取れない関係」

節子
昨日、「看取りの文化」をテーマにしたサロンを開催しました。
なんと20人を超すサロンになりました。
関心の高さを改めて感じました。

話題提供してくださったのは、中野でホームホスピス活動に取り組んでいる冨田さんです。
長年、地域包括センターなどで仕事をされていましたが、やはり行政の枠の中だけではできないことも多く、地域の医療職や福祉職の人たちと取り組みだしています。
その誠実な取り組みに、とても感動しました。

サロンには、若い僧侶から恒例の福祉活動実践者まで、さまざまな方が参加されてくれました。
そして、数名の方は、自らの看取り体験を語ってくれました。
それぞれとても心にひびくものでした。
考えさせられる示唆もたくさんなりました。
しかし、それにもかかわらず、やはりどこかに違和感が残りました。

看取るという行為は、やはりそれぞれに違うのだろうなと思います。
いや、もしかしたら、看取るという言葉自体に、私は違和感があるのかもしれません。
看取ると言ってしまうと、看取る人と看取られる人が別のものになってしまう。
たしかに、両親の場合は、「看取る」という言葉でも違和感はありません。
しかし、伴侶だった節子の場合には、どうも「看取る」という言葉がぴんとこないのです。
ではどういう言葉がふさわしいのか、と言われても、代わりの言葉は思いつきません。
でも、少なくとも、「看取る」というような感じではありません。
「看取る」というと、なにかが完結したという感じがしますが、節子との場合は、まだ終わっていないような気がするのです。
むしろ、何かを「共にした」というような気分です。
そして、看取ったはずの人は、その後もまだ生きている。
言い換えれば、私自身は、その後はもう生きていない(それまでの生とは違うという意味です)。
そんな感じがするのです。

両親は看取れても、伴侶は看取れない。
看取れないからこそ、いまもこうして、挽歌を書いているのかもしれません。
こういう気持ちは、たぶん、他の人にはわかってもらえないかもしれません。

わが子の場合も、そうなのかもしれません。
「看取れる関係」と「看取れない関係」がある。
そんなことを、今日は考えています。

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■カフェサロン「地域に看取りの文化を取り戻す運動」の報告

カフェサロン「地域に看取りの文化を取り戻す運動」は20人を超す集まりになりました。
しかも、20代から80代まで。
みなさんの関心の多さに、改めて驚きました。

お話してくださったのは、東京の中野区で「ホームホスピス」を創る活動をしている「なかの里を紡ぐ会」の冨田眞紀子さんです。
富田さんが、その活動を始めるに至った思い、仲間の医療・介護関係者との取り組み、そして自らが半年間関西に転居して、実際の施設で体験してきたことなどを話してくださいました。
実際に、冨田さんが出会った「看取り」のお話も紹介してくれました。
そこから伝わってきたのは、「幸せな死」の豊かさでした。
それは、看取った人をも幸せにしてくれるような気がしました。
そこに冨田さんの取り組みの意味が凝縮されているように思いました。

富田さんはパワーポイントを使って、とてもわかりやすく話してくれました。
なぜ、いま、看取りの文化を地域に取り戻さなければいけないのか。
死を迎える場所が、自宅よりも施設が多くなったのは、1975年ごろ、いまから40年ほど前です。
言いかえれば、40年前にはまだ「看取り」が生活の中にありました。
それがいまは、「看取り」が社会からなくなってしまった。
その意味を、私たちはもっと考えなければいけません。
「看取る」体験は、人の意識を変えます。
それが、社会のあり方も、大きく変えているはずです。
私たちは、その大事な体験の場を失ってしまっているのかもしれません。
「死」は、人を分かつだけではなく、人をつなげるものでもあります。
「看取り」とは「受け取ること」だ、冨田さんは話されました。

冨田さんの言葉は、実践に裏付けされているので、一つひとつが心に響きました。
そして、最後の言葉は「尊厳を守る・存在の承認」でした。
腑に落ちました。

富田さんたちの活動はぜひホームページでお読みください。
http://www.nakano-sato.org/
そこに、これまで発行された機関誌がアップされていますので、関心のある方はぜひお読みください。
また冨田さんが講演されるような機会があれば、ご案内します。
ぜひ多くの人たちに聞いていただきたいと思いました。

今回の参加者は人数も多かったですが立場もさまざまでした。
長年、看取り活動に取り組んできた研究者やホスピスでたくさんの方を見送った体験のある若い僧侶、これからそういう問題に取り組もうとしている方もいました。
身近な人の看取りを体験された方も数名いて、それぞれ、ご自身の体験を語ってくれました。
そのひとつひとつに、大きな問題提起を感じました。

「看取り」の意味や死生観について、そしてどうしたら「看取りの文化」を地域に取り戻せるかについて、もう少し話し合いたかったのですが、そこまでたどり着けませんでした。
みんな話したいことがあるので、1回だけでは難しいようです。

冨田さんたちは、来年、中野に「ホームホスピス」を開園します。
その動きを知って、新しい家を提供してもいいという人も出てきているようです。
たぶんいろんな動きが出てくるでしょう。
今回、サロンで話を聞いた人のなかにも、いろんなことを考えた人がいるようです。

冨田さんたちの、これからの活動がとても楽しみです。
できれば、今回の続きとして、「看取り」をテーマにしたサロンを開催⒮できればと思っています。
話題提起者になってもいいという方がいたら、私にご連絡ください。


Tomita201610


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2016/10/28

■節子への挽歌3344:伴侶は、妨げか支えか

節子
不覚にも風邪をひいてしまいました。
2日ほど前からどうも体調に違和感があったのですが、油断していました。
久しぶりに昨日の夕方発熱し、8時過ぎに就寝。
残念ながら熱はおさまっておらず、さてさてどうしたものかと迷っています。
それで午前中にかかりつけのクリニックに行きました。
大したことはないと言われ、それよりきちんと血圧の薬を飲まないとだめだとまた叱られて、帰宅しました。
で、またそのまま、寝てしまいましたが、そんなわけで今日は1日、ほとんど寝ていました。
こんなに寝たのは、本当に久しぶりです。
やはり疲れがたまっていたようです。
熱を計ったら、おさまっていました。
風邪というよりは、疲労解消の警告の発熱だったかもしれません。
発熱は解消、しかしまだ疲労感は残っています。
困ったものです。

自分のことはなかなか見えてきません。
私のように、思慮浅いものにとっては、みずからを相対化することが苦手です。
調子がいいと突っ走り、悪いとめげてしまう。
できないにもかかわらず、何でも引き受けてしまう。
人から言われると、すぐに信じてしまい、その気になってしまう。
そのくせ、奇妙に自信があり、世界が見えているような気になっている。
度し難い、とは、私のようなものを言うのかもしれません。
しかし、そうであればこそ、時に止まらないといけません。
今日は、そういう1日だったのかもしれません。

伴侶は、時に自らの生き方の妨げになります。
人はそれぞれに、生きる時間や価値観が違うからです。
そのおかげで、伴侶と一緒に生きていると、みずからを相対化する機会に恵まれます。
妨げは、実は妨げではなく、みずからを高める支えになります。
伴侶は、妨げか支えか。
そのいずれかと捉えるかで、伴侶の存在は全く意味が変わる。
そして、その伴侶の死もまったく、反対の意味を持つわけです。

風邪をひいたくらいで、そんな大げさな話にするなと言われそうですが、
こうして風邪をひいただけでも、伴侶の存在のありがたさがよくわかるのです。

私にはもちろん、節子は妨げなどではなく、人生の支えでした。
支えがない人生は、それなりに大変なものです。


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2016/10/27

■アスリートファースト?

東京オリンピックの会場問題が連日話題になっています。
そこで出てくるのが、「アスリートファースト」です。
しかしこの言葉には大きな違和感があります。
彼らの発言にも違和感があります。

私の感覚からすれば、何という「わがまま」か。
彼らは本当に純粋にスポーツを楽しんでいるのか。
単に「オリンピック産業」に利用されている、タレントでしかないような気さえするのです。
しかも、そこで出てくるのは、スポーツ選手ではなく、アスリート産業の興行師のような人や、オリンピック産業に寄生する人たちが多いような気がします。

今日、テレビでボート会場に関する埼玉県の彩湖の希望を話す学生たちの声を報道していましたが、彼らこそ、スポーツに純粋に取り組む人たちです。
海ではお金のない学生には練習もできないという声にはとても納得しました。
そういう、本当のスポーツ選手も視点で考えてほしいものです。
「アスリートファースト」などという言葉には騙されたくありません。

それにしても、「〇〇ファースト」という、奇妙なこと言葉が乱用される風潮がとても嫌な気がします。
「〇〇ファースト」という人は、私には、その〇〇を利用して、利得を得ようとっしているようにしか思えません。
「あなたのため」ですから、という人を、私は絶対に信頼しません。

ちなみに、私はオリンピックのような産業化したスポーツにはまったく興味はありません。
そこで金メダルを狙うスポーツ選手にも、まったく興味はないのです。
ですから、こんなひねくれた発想をしてしまうのかもしれません。

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■節子への挽歌3343:眼瞼下垂

節子
また入院が決まりました。
今度は眼瞼の形成外科手術です。
眼瞼下垂は瞼が下がってくるという症状ですが、実はこの症状は15年ほど前から出てきています。
そのため私の眼は、鼻の孔よりも小さくなっています。
節子はいつもそれを笑っていましたが、まあそれもいいかと思い、手術はしないでいました。
眼瞼下垂のために、私の視野は普通の人に比べると、とても狭くて暗いのです。
つまり、世界があまり良く見えていないわけです。
その結果、いささか不便を感ずることもありますが、慣れてしまえば、世界はこんなものだと思うようになります。
世界を見る目が曇ってくるのではないかと思われるかもしれません。
たしかに、時々、まぶたを手で押し上げると、世界ははっきりと輝くように見えるのです。
つまり、いつもは、薄暗い世界で暮らしているわけです。
私の性格が悪いくて暗いのは、そのせいかもしれません。

しかし、人間は不足するところがあれば、必ずそれを補う機能が発達します。
物理的な視力や視野が狭い結果、物理的には見えない世界が見えだす、つまり「心眼」が育ってくるのです。
だから私には、世界の裏までが、そして未来までが見えているのです。
と、言いたいところですが、そんなことはまったくありません。
ただただうっとうしいだけです。
最近は、本を読むのさえ努力が必要です。
以前に比べて読書速度が遅くなり、読書量が激減したのは、たぶんそのせいです。
最近は読者が時に苦痛になってきました。」

それでついに眼科医に行ったわけです。
先日いった眼科の小川さんが、松久さんという名医を紹介してもらいました。
松久さんが、私の眼を見て言いました。
右目は頑張っていますね、と。
過剰な負担をかけていたようです。
申し訳ないことをしました。
私の眼は、私のものではないのですから、目の立場も考えなければいけません。

手術は2か月先しか時間がとれず、年末になりました。
4日間の入院だそうです。
さてもう2カ月、この眼で頑張らないといけません。

ところで、松久さんが言いました。
この手術をすると顔の印象が変わります。
それで違和感を持つ人も多いのです。
ですからこの手術をする医師は少ないのですよ。

さてさてどんな顔になるのでしょうか。
これも初体験ですので、とてもワクワクします。
性格も変わるかもしれません。
いや、人格も。
来年の私が楽しみです。

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■節子への挽歌3342:「しばらくぶりにお目にかかった気がして何となくほっとしました」

節子
杉本さんからメールが来ました。
杉本さんは、私たちが敬愛していた大先輩です。
私よりもご高齢ですが、信念に沿った活動をされてきています。
時々ですが、湯島のサロンにも顔を出してくださいます。
しかし、以前ほどにはお会いできる機会も少なくなりました。
その杉本さんから、突然のメールが届きました。

フェイスブックで、農カフェ「OMOしろい」を訪問されたという貴稿を拝見しました。
写真に佐藤さんが写っていて、ご様子がよく表れていると思いました。
しばらくぶりにお目にかかった気がして、何となくほっとしました。
佐藤さんが写っている写真が出ることは、めったにないですね。
これが初めてかな。
これから、しばしば登場するようにしてください。
杉本さんは、節子の訃報をどこから聞いたのか、葬儀の前にわが家まで来てくれました。
お礼を言うと、「節子さんは同士でしたから」と言ってくれました。
「同士」、節子が聞いたらどんなに喜ぶでしょうか。
その一言は、いまも忘れられません。

昨日、新潟の金田さんが電話をくれました。
金田さんとも最近は会う機会が減りました。
別に用事があったわけでもありません。
めずらしく私も元気な声が出せましたが、「佐藤さんの元気な声が聞けて良かった」と言われました。

杉本さんも金田さんも、もう80歳を超えています。
私もそうですが、いつどうなってもおかしくない年齢です。
だからそれぞれ気になるのでしょうか。
私は、彼岸世界も来世をかたく信じていますから、深くつながっている人のことはあまり気にはなりません。
どうせまた会えるわけですから。
でも、おふたりの気持もわからないわけではありません。

杉本さんのメールを読んで、フェイスブックには自分が元気であることを知らせる効用もあるのだと気づきました。
これからは少し私自身の写真も、アップしていこうと思います。

杉本さんの「何となくほっとしました」という言葉がとても心に残ります。
みなさんにご心配をかけているようで、申し訳ありません。
挽歌では時々、落ち込んだ記事も書きますが、基本的には私は元気なのです。
たぶん最後まで、元気だと思います。
いや、最期を超えた後も、です。
節子もそうだと思いますので。

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2016/10/26

■節子への挽歌3341:祈りの鶴を世界に飛び立たせたいという祐滋さんの想い

節子
昨日はまた「見えないプロジェクト」に巻き込まれました。
巻き込んだのは、宇賀夫婦です。
事の発端は、一昨日、来客中の時に電話がかかってきました。
いつもは出ないのですが、なぜか電話に出てしまいました。
新しいプロジェクトを立ち上げたので参加してほしいと言うのです。
彼らは論理の人ではないので、突然に声がかかるのです。
困ったものです。
しかし、最近、宇賀さんのところに石窯ができたのを知っていたので、ピザが食べられるかと思って、うっかり承知してしまいました。
それに、SADAKO LEGACY活動に取り組んでいる佐々木祐滋さんも来るそうなので、久しぶりに彼にも会いたいと思いました。
http://www.sadako-jp.com/about-sadakolegacy

佐々木祐滋さんは、広島平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルとなった少女「佐々木禎子」の甥にあたるシンガーソングライターです。
「禎子の物語を語り継ぐ責任がある」という想いから佐々木禎子をモチーフにした楽曲を作って活動しています。
禎子の思いをつづった「INORI」は、2010年のNHK紅白対抗歌合戦でクミコさんによって歌われたので、ご存知の方も少なくないでしょう。
よかったら次のところに、祐滋さんとクミコさんのそれぞれのものがあるので聴いてみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=aNTmENrpRRg

昨日、祐滋さんと我孫子で落ち合い、宇賀さんがやっている農カフェ「OMOしろい」に行きました。
なにか資料があって、話があるのかと思っていたら、大きな夢が語られただけでした。
訊けば、なんとまだ動き出したばかりなのだそうです。
プロジェクトの核は、いうまでもなく、祐滋さんの想いです。
祐滋さんの想いについては、前に書いたことがありますが、サダコ鶴を世界中に飛ばしたい、そしてみんなが幸せな世界を実現したいということです。
言葉だけではない、心からのその彼の想いには、心底、共感しましたので、何ができるかを私もそれなりに考えてきました。

しかし、その構想には共感できるのですが、取りつく島もない感じです。
いや、取りつく島はあるのですが、海図がないと言うべきでしょうか。
しかも、私の役割もわからない。
そこで、どうして私は来たのでしょうか、と質問したら、宇賀さんが知恵を出せと言うのです。
そもそもなんでこんなことを思いついたのかと訊くと、これまた宇賀さんも祐滋さんも、「ひらめき」だというのです。
さてさてどうしたものか。

いろいろと質問しているうちに、だんだんと私がむしろ当事者のような気になってきてしまいました。
まあこうやって、いろんなプロジェクトに巻き込まれてしまうのが、私の人生なのですが、今回はちょっと話が大きすぎます。
まあ余命いくばくもない私には、そのプロローグにささやかに関われるくらいでしょう。
でもまあ、祐滋さんの夢は、すごく純粋です。そしてやさしい。
まあできることをやろうと思いました。
長い長いミーティングでした。
疲れ切って帰宅しました。
最近の流れから抜け出さないと、際限なく、時間破産になりそうです。
彼岸に旅立つ暇さえなくなりそうです。

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■節子への挽歌3340:托鉢行

節子
昨日は留守にしていたのですが、ふたりの方から新米が届いていました。
今年は3つ目の新米です。
それを見ながら、最近の私の人生は、まるで「托鉢」ではないかと、ふと思いました。
そういえば、昨日も、一昨日につづき、お昼をご馳走になってしまいました。
先日、「3335:まだ施しするものがある喜び」で、若いころの禅僧の金子真介さんの体験談を書きましたが、それを思い出しました。
施しを受けることもまた、喜びです。

人生は巡礼のようなものとは、巡礼者の鈴木さんと話していて話題になったことですが、人生はまた「托鉢」なのかもしれません。
そう考えると、いろんなことが楽になります。

ある人に、私は「契約」社会にはなじめないので、契約には関心がないと話して、呆れられたことがあります。
その人は、私と同じ考えだと言って、私のところに出入りしていたのですが、残念ながら、私とは正反対の考えだったわけです。
それ以来、その人の足は少し遠のいた気がしますが、契約を介さなければ人の関係が構築できないような生き方は、私の好みではありません。
私は、できるならば、人を信頼して生きていきたいと思っています。
しかし、契約は、そもそも人を信頼しないところから始まります。
契約の正反対のところにあるのが、布施かもしれません。
布施と托鉢の関係に関しては、私にはよくわかりませんが、私がいま元気なのは、もしかしたら、周りの人が私の鉢に「元気」を托してくれているからかもしれません。

昨日、少し疲れて帰宅して、2袋の新米を見ながら、そんなことを考えていました。
托鉢は、みんなを元気にしてくれます。
私がやっているのは、もしかしたら、托鉢行かもしれない。
そんな気がします。

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2016/10/24

■節子への挽歌3339:お昼をご馳走してもらいました

節子
今日はお昼をご馳走になってしまいました。
ご馳走してくれたのは、若井さんです。
若井さんですが、若くはなく、私よりも高齢の方です。
友人の紹介で、3か月ほど前のサロンに参加してくれたのですが、どうしてこんなにさまざまな人が集まるのだろうかと興味を持ってくれたようです。
それからもサロンに参加してくれています。
たしかに湯島のサロン参加者は多様です。

私にも興味を持ってくれたようで、今日はサロンではなく一度ゆっくり話そうということで、共通の友人と一緒に来てくれたのです。
話がすっかりと合いました。
そして共通点が3つほど見つかりました。
2人とも伴侶を見送っていること。
2人とも新潟出身であること(私の両親が新潟出身です)。
子どものころからアリナミンを飲んでいたこと。

話しているうちにお昼になったので、一緒に食事に行きました。
その途中で、なぜか「佐藤さん、ちゃんと栄養のあるものを食べないといけないですよ」と言われました。
私を見て、栄養不良であることがわかったのでしょうか。
ちなみに若井さんは昔、スーパーのバイヤーをやっていたこともあり、食品に関しては専門家なのです。
食肉をちらっと見ただけで、それがおいしいかどうかわかるそうです。
私も見ただけで、栄養が不足しているかどうか割ったのかもしれません。
そういえば、最近、よく口内炎ができるので、アリナミンをまたのみだしました。

そんなわけで、お昼をご馳走してくれたのです。
お金だけは貧乏な私としては、とてもありがたいので、毎日、お昼時に湯島に来てくれませんかと頼みました。
たしかいいですよ、と言ってくれたような気がします。
しかし、私が毎日湯島にっでてくるのも大変です。
人生はうまくいきません。
でも困ったらきっとまたご馳走してくれるでしょう。
貧しいものには必ず救いの神が現れるものです。

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2016/10/23

■第1回まちづくりサロンの報告

第1回まちづくりサロンを開催しました。
さまざまな立場で「まちづくり」に関わっている人たちが、13人集まりました。
これだけ集まると、「まちづくり」の捉え方もさまざまです。

「ハード面でのまちづくり」と「ソフト面でのまちづくり」
「行政主導のまちづくり」と「生活者主導のまちづくり」
「統治環境整備」と「生活環境整備」
「お上のまちづくり」と「民のまちづくり」
さまざまな「まちづくり」の考え方が出てきました。
本題に入る前の雑談で、「居場所」が話題になっていましたが、「居場所をつくるまちづくり」と「居場所のある社会をつくるまちづくり」というのもあるように思います。
また、まちづくりには「王様」(リーダー)が必要かどうかという議論もありました。
そもそも「まちづくり」ってなんだろうという話もありました。

福祉活動に取り組む人にとっては、「まちづくり」と並行して、「まちこわし」が進んでいるように思えているかもしれません。
そもそも私が、この「まちづくり編集会議」を思い立った動機の一つが、「まちづくり」という名の「まちこわし」の動きへの懸念からです。
「まちづくり」と「まちこわし」はコインの裏表かもしれません。
つまり、「まちづくり」とは、そこに住む人たちの生き方の変革です。
建物や施設が、その地域の人たちの意識や暮らし方を変えることはよくあります。
人によって、同じことが反対の意味を持ってくることはよくあることです。
大切なのは、「だれにとってのまちづくり」ということかもしれません。
であればこそ、「まちづくり」の主役は誰かということが問われなければいけません。

建物や施設を構築するのも「まちづくり」ならば、建物や施設を活用するのも「まちづくり」です。
施設を建設するのは住民だけでは難しいかもしれませんが、施設を活用するのは「個人」にでもできることです。
そういう視点で考えると、いまの社会には「活用」できる施設は余るほどあります。
「まちづくり」の思想を変えなければいけない時代のような気がします。

さまざまな話題が出たので、うまく報告できませんが、私が一番面白かったのは、建築家でハードなまちづくりに長年かかわってきた竹居さんの、近くのまちの「おばさん」が、小さなスペースを活用して地域を豊かにしようとしているというお話でした。
そこに、新しい「まちづくり」のはじまり、あるいは本来の「まちづくり」の回復を感じました。
そして、それを象徴するように、今回のサロンの最後は、「挨拶をしなくなった社会」の話題で盛り上がりました。
今回のサロンの(私の独断的な)結論は「まちづくりは挨拶から」です。

ちなみに、サロンの中で、「まちづくり編集会議ネットワーク」の構想を話させてもらいました。
近々フェイスブックページも立ち上げます。
ご関心のある方はご連絡ください。
昨日配布した資料を送ります。

まちづくりサロンは、継続的に開催します。


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■節子への挽歌3338:読書の秋

節子
毎日、いろんな集まりや来客に対応していて、少しだけまた時間破産状況なのですが、そうした時には昔から、急に本を読みたくなるのです。
ちょっと古いのですが、先週読んだ本の中で紹介されていた、加藤典洋さんの「敗戦後論」を読みだしました。
その本の中に、「語り口の問題」という論文が収録されていていました。
その論文の書き出しは、ハンナ・アーレントの「悲しみは、決して口に出して語られません」という言葉でした。
その言葉は、さらにつづいているので、ここだけを取り出すのは趣旨に反するのですが、私は単純にこの言葉が心にグサッときました。
そして、前に見た、ハンナ・アーレントの映画を思い出しました。
彼女は、「イエルサレムのアイヒマン」を発表したことで、多くの友人を失いますが、映画でも出てきますが、親しい友人から、こう問われるのです。
「あなたはユダヤ人を愛していないのか」。

これについては以前書いたことがありますが、彼女は「わたしはわたしの友人「しか」愛しません」と答えるのです。
その意味は、「民族や集団」ではなく、「表情のある個人としての人間」しか愛せないというような意味であろうと思います。
映画を観た時には、この言葉はそう深くは考えませんでした。
しかし、加藤典洋さんは「語り口の問題」の中で、アーレントの問題の発言は、いまの私自身につながっていることをていねいに書いてくれています。
こうした書籍に出会うと、それこそ目からうろこが落ちる感じです。
そして、興奮するような知的な刺激をもらえます。
しかも、私自身の心にも突き刺さるメッセージももらえます。
このブログの主旨に合わせれば、ゾーエの私にもビオスの私にも、書籍はさまざまな刺激をくれるのです。
そして、元気ももらえます。

実は昨日は、そんなわけで、いささか興奮していて、挽歌を書くのを忘れていました。
今年の秋は、短いそうですが、読書の秋らしく、少しまた本を読んでみようと思います。
白洲正子さんの「かくれ里」も面白かったです。

時間がない時にこそ、読書は向いているのかもしれません。

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2016/10/21

■節子への挽歌3337:「修理を待つ商品」

節子
思い切って眼科に行きました。
先月一度、行ったのですが、あまりに混んでいたので帰ってきてしまいましたが、今日は待つ覚悟で出かけました。
前回より空いていました。
そして思った以上に早く対応してもらいました。
しかし、どうも病院は苦手です。

今回の眼科医は初めてのところですが、とても評判がよく、いつも混んでいるのだそうです。
医師は一人ですが、スタッフが10人ほどいて、さまざまな検査がとても効率的に進められています。
待合室には20人ほどの人がいますが、診察ゾーンに入ったら、さらにまた20人ほどの患者がいました。
そうした人が、スタッフの誘導で、次々と次の「工程」に進められていくありさまは、まさに「工場」のようでした。
私も、工場のベルトコンベアに乗った「修理を待つ商品」のような気がしました。
これも以前、人間ドックなどでいつも感じていたことですが、要は「人間」でなくなってしまうわけです。
これが、私には苦痛なのですが、しかしその中に入ってしまうと意外と居心地もいいのです。

しかし、こうした「工程」に乗った「商品」気分は、人間の人生にも言えるかもしれません。
その場合は、「修理を待つ」のではなく「死を待つ」というべきですが、「修理」も「死」も同じようなものかもしれません。
以前、北九州市のエコタウンを見学させてもらった時に、逆工場、つまり解体工場を見せてもらいましたが、「死」とは、人体が自然に戻していく工場と言えるかもしれません。
同時に、魂はもしかしたら、次のステップに「昇華」する工程なのかもしれません。
そんなことを考えていたら、退屈はしませんでした。

もっと興味深かったのは、待合室の受付の近くで待っていたのですが、実にさまざまな人がやってくるのです。
人間は、こんなにも表情や言動がさまざまなのだと、改めて思いながら、受付にやってくる人を見ていました。
残念ながら知り合いには出会えませんでしたが。

ところで、病気ですが、手術をすることになりました。
これで世界はきっと明るくなるでしょう。
なにしろこの数年、ずっと視野が狭く、よく見えない世界に生きてきましたから。
余命幾ばくもないでしょうから、修理するのは私の主義には反しますが、最近のうっとうしさには我慢できないので、仕方がありません。

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2016/10/20

■節子への挽歌3336:「喪失」によって「獲得」するものもある

節子
「こころの時代」に関連して、もう一つ書こうと思います。
というのは、最初に思ったことと違うことを書いてしまったのです。
書き終えて、それに気づきました。


その番組での話し手は、禅僧の金子真介さんでしたが、聞き手はいつもの金光寿郎さんです。
その金子さんが、こう話されたのです。

以前、聞いたある人のお母さんですけれども、「無いものを欲しがるよりも、あるものを喜ばしてもらおうよのぉ」って、いつもおっしゃっていたそうですね。そこへ腰が据わると、苦しみの受け止め方が変わってきますね。

この言葉を聞いて、「喪失体験」という言葉を思い出しました。
そもそも「喪失体験」という言葉が間違いかもしれません。
「喪失」によって「獲得」するものもある。
あるいは、喪失したと思っていても、残っているものもある。
「ないもの」があれば{あるもの}もある。
節子がいなくなって9年以上経過して、ようやくこのことが納得できるようになりました。
金光さんが紹介しているように、「あるものを喜ばしてもらおう」という姿勢があれば、「喪失体験」は乗り越えられるでしょう。


もちろん、それなりの時間はかかりますが、その時間もまた、喪失によって得られたものかもしれません。
前の挽歌の、「まだ施しするものがある喜び」にも通じますが、
これまで気づかなかった小さな喜びやありがたさに気づけるならば、人生は間違いなく豊かになるでしょう。
そして、喪失したものとのつながりを実感できるようにもなるでしょう。
喪失は、世界を深くし、より多くのものを獲得することでもあるのです。


まあ、今日は、暑さの中で、だらだらしていましたが、それなりに生きることをかみしめられたのかもしれません。
そういえば、私がだらだらしているそばで、水槽の沢蟹たちは元気に騒いでいました。
それを見ながら、この沢蟹たちは何を考えているのだろうかなどと考えていたのですが、沢蟹は私を見て、同じようなことを考えていたのかもしれません。

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■節子への挽歌3335:まだ施しするものがある喜び

節子
今日はまた、夏日のような暑さになりました。
畑に行って、残ったさつまいもを掘り出し、庭木の整理をし、ホームページ作成のための新しいソフトをパソコンに入れて、ホームページをつくり替え、11月に予定しているイベントの案内フェイスブックを作成し、・・・と朝は思っていたのですが、暑さのために、結局は何もしませんでした。


娘の家に預かっていた荷物を持っていき、ついでに立ち上げた組織の通帳を(表紙が気にいらなかったので)郵便局で作り替えてもらい、さらに来年の手帳を100円ショップに買いに行ったら、それだけでもう疲れてしまい、ダウンしてしまったのです。
いやはや体力の低下はすさまじい。


そんなわけで、今日の午後は、結局、何もせずにすごしました。
少し涼しくなってから、これではいけないと思い、録画していたテレビの「こころの時代」を見ました。
禅僧の金子真介さんが日常の言葉で読み解く、「釈尊の遺言~仏遺教経から」です。
実は以前、途中まで見て、そのままになっていたのです。
ぼやっとしてお話を聞いていたのですが、最後の金子さんのお話で、心がピシッとしました。
こんな話です。

ただ苦しみが無ければ、苦しみの自覚がなければ、また喜びの自覚も持てないんですよね。

私が、鳥取に住職をしておりました時に、お檀家を覚えるためにずっと托鉢をやっていました。

ある日のこと、お檀家で火事がありまして、もう丸焼けになっちゃった。
で、その近くに托鉢に行って、それでここの家は、あそこは火事になったから行くまいかな、と思ったんですけれど、昔から「托鉢は、村を残しても、家を残すな」というんですよ。
だから〈行かなきゃ〉と思って、そこの家の納屋だけが辛うじて残りましたので、その納屋の前に立ってお経を読みましたら、納屋の戸が開いて、おばさんが出て来まして、「まあ方丈さん、昼時分ですが、飯は食いなったぁ?」と聞くんですよ。
「いいえ。まだですけど」と言ったら、「これは貰い物の弁当だから、わしも半分食うし、上がって半分食べならんか」って。
〈どうしよう〉と思ったんですけどね、〈ああ、そうだ〉と思って、「頂戴します」。
藁を敷いたところでね、そのお弁当を半分こして頂いて。
そして帰りしなに、「まぁよう来てつかった。ほんによう来てつかった」。
その人が未だに、それから幾十年なんですけれど、まるで親元から小包が来るみたいに、お正月前はお餅を送ってくるんです。
で、幾十年経って話しましたら、「わしは方丈さんに救われた。もうこれでいよいよ人生は終わったと思った。だけどあの何にも無くなったところに、あなたが立ってお経を読んだら、わしはまだ施しするものが、弁当があるということに気が付いた。方丈さんは私の恩人です」って、くすぐったいんですけど言うんですね。
それの中に、私はやっぱり苦しみ、これを先ずは「苦しみは来るのだぞ。思い通りには絶対ならないんだ」という自覚・覚悟を持って、そして来たら、その上に立って、本当の幸福って見えてくるんじゃないか。それが四聖諦を納得した上で、八正道にするということじゃないかな、と思っております。

一寸断片的な引用なので、伝わらないかもしれませんが、
その話を聞いて、思わず姿勢を正してしまいました。
まだ施しするものがある、という喜び。
最近少しそれを忘れているのではないか。
そう気がつきました。


だからとって、その後、頑張ったわけではないのですが、何かとても元気が出てきました。
図書館に、白洲正子さんの「かくれ里」を借りに行って、読み直すことにしました。
これまた驚いたことに、昔読んでいた記憶と全くと言っていいほど、違うのです。
あの頃、つまり、白洲正子さんが「芸術新潮」に「十一面観音巡礼」や「かくれ里」を連載していた頃が、とても懐かしく感じられます。


どこで、人生を間違えてしまったのだろうか。
そんなことを考えながら、節子と出会った近江の風景を思い出す1日でした。


近江は、魅力的なところです。

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2016/10/19

■節子への挽歌3334:スパイ大作戦

節子
夜、テレビをつけたら、なんと「スパイ大作戦」をやっていました。
若いころに、節子と見ていた番組です。
節子は、基本的にアクションものの映画やドラマは嫌いでしたが、なぜかこの「スパイ大作戦」だけは、私と一緒に見ていた記憶があります。
今日は、途中で気づいたので、最後の部分しか見ませんでしたが、最近のアクションドラマを見慣れていると、どうもテンポも遅いし、面白くありません。
当時は、どうして、こんな退屈な番組を面白がっていたのでしょう。
まあ、テンポも遅いし、アクションものと言っても、人は死なないし、節子向きとは言えるかもしれません。
最近のアクションものは、節子にはついてはいけないでしょう。
たとえテレビの中であろうと、節子は人が殺されるのが大嫌いでした。
「スパイ大作戦」の映画版の「ミッション・インポシブル」などは、節子の好みでは全くないでしょう。

私たちが生きていた社会は、大きく変わっています。
節子と出会い、一緒に暮らし始めた時の社会と現在の社会は、大きく違います。
しかし、一緒に暮らしていた時の社会は、それでも連続性がありました。
ところが、節子がいなくなってから、世界は一変してしまったような気がします。
もちろんこれは、私だけの思いでしょう。
私自身が変わってしまったのです。
しかし、私には、2007年を境に、社会そのものが変わってしまったような気がしてなりません。
東京の風景もですが、人の意識も、です。

時々、思います。
私もまた、彼岸に半分住んでいるのではないかと。
キリストの死で、紀元前と紀元後がわかれるように、大切な人の死は、世界を一変させるのかもしれません。

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■節子への挽歌3333:櫟野寺の十一面観音

節子
櫟野寺の十一面観音坐像に初対面してきました。

今日は午前と午後の用事の間に2時間ほど時間ができたのですが、娘のユカが、東京国立博物館の特別展「平安の秘仏」を観に行くというので、時間を合わせてもらい、同行しました。
http://hibutsu2016.com/
特別展「平安の秘仏」は、滋賀の櫟野寺(らくやじ)の仏像です。
主役は重要文化財の十一面観音坐像としては、日本最大の十一面観音坐像。
お寺からこの像が外部に出るのは今回が初めてだそうです。
展示室に入った途端に、その像が目に入ってきました。
平安時代の典型的な表情です。

櫟野寺は、滋賀の湖南の甲賀市にあるお寺です。
白洲正子の「かくれ里」で紹介されていますが、ちょっと不便なところなので、私たちは行ったことがありません。
写真だけは、以前から見ていましたが、頭上の10面の観音面がとても丁寧に彫られていて、いつかお会いしたいと思っていました。
それに、櫟野寺には20体ほどの重要文化財の仏像がありますが、そのひとつの聖観音の表情は何とも言えないほど、私には魅力的なものでした。

十一面観音坐像はやはり見事でした。
ところが、もうひとつの聖観音は、なぜか見つかりません。
それらしきものには会えたのですが、私の記憶とはちょっと違うのです。
実は、今日、急に立ち寄ることにしたため、きちんと写真を見ていなかったのですが、私の記憶と少し違うのです。
帰宅して、写真をひっぱり出してみたのですが、やはり今日、展示室で観た償還能増とはどこか違います。
観音像の表情も変わるのかもしれませんが、不思議な気持ちです。
時々、こういうことがあるのですが。

滋賀のお寺の観音像は、みんな素朴で心和みます。
節子と一緒に、湖東の観音たちに会いにまわったことを思い出します。

少し時間があったので、いつものように本館常設展の薬師寺の聖観音にも会いたかったのですが、展示が変わっていて、お会いできませんでした。
ちょっと残念でした。

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2016/10/18

■みんなの認知症予防ゲーム実践者交流の報告

第2回みんなの認知症予防ゲーム実践者交流会は、首都圏で活動されている人たちが集まってくれました。
みんなそれぞれの場所で、いろんな活動をしている方ばかりです。
なぜか私だけが、まったくの部外者です。
今回は、京都のNPO法人認知症予防ネット理事長の高林さんも参加してくれました。
高林さんと実践者の、ざっくばらんな交流も、わずかながらできたかと思います。

この活動は、高林さんの熱意とご尽力で、ここまで広がってきましたが、広がっているわりには、組織的に世の中に情報発信されておらず、活動もばらばらの感があります。
そのためか、マスメディアでもあまり取り上げられることもありません。
横からずっと見ている者としては、それがどうにももどかしく、余計なお世話とは思いながら、今回また呼びかけさせてもらったわけです。
できれば、ゆるやかな組織へと向かうお手伝いをしたいと思っていますが、活動を持続していくためには「事業性」と「社会性」のいずれもが必要です。
しかも組織に関わるみんなにとって、意味のある組織でなくてはいけません。
なにしろ「みんなの認知症予防ゲーム」と称しているのですから。
そうなるためには、まずはメンバーの間に信頼関係が育たなくてはいけません。
「みんなの組織」は、創るのではなく、生まれるのでなければいけません。

横からささやかに関わらせてもらっているおかげで、いろんなことに気づかせられます。
実践者でもない私の役割も、少しはあるようです。
実践者であればこそ、見えてこないこともありますから。
実践の現場から見えてくる日本の福祉思想の実相や限界も垣間見えてきて、実践者のお話は私にはいつも刺激的です。

ちなみに、私は「認知症」という概念そのものが、基本的に間違っていると思っています。
そういう考えにもかかわらず、なぜ「みんなの認知症予防ゲーム」に関わっているのかと問われると困るのですが、それはたぶん、このゲームの実践者が、みんないい人だからでしょう。
今日も10人集まりましたが、例外なくみんないい人です。
ご多用のなか、参加してくださった人たちに感謝いたします。
ぜひ「みんなの組織」を育てていければと思っています。


20161018


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■民進党から自由党へ

新潟県知事選で、原発再稼働に慎重な米山さんが当選したことは、久しぶりにちょっと元気になることでした。
米山さんは、共産党と自由党と社民党が推薦しました。
民進党は自由投票でした。
選挙戦終盤になって民進党の蓮舫代表は応援に駆けつけましたが、醜態としか思えません。
勝ち馬に乗るような野党は、野党とは言えません。

蓮舫代表が実現した時、私は民進党への期待を少しもちました。
しかし、野田さんが幹事長になってしまい、蓮舫さんもまた隠れ自民党だと知りました。
民主党を壊したのは、野田さんですし、いま日本で問題になっている多くの問題を政治課題に乗せたのは、野田さんだと私は思っていますので、野田さんは自民党の(私にとっての)悪しき部分を代行する存在です。
自民党にとっては、実に使い勝手のいい存在でしょう。
よりによって、その野田さんを幹事長に選んでしまった蓮舫民進党には完全に失望です。

小沢さんがまた「自由党」を名乗りだしました。
自由党は、私の思想にはまったく合いませんが、一つの思想体系に裏付けられています。
そもそも党名に価値観が含意されていない政治集団は持続的な活動はできません。
良くも悪くも、名は体を表すからです。
これからの野党勢力の主導権は、自由党に移ることを、今少し期待しています。
小沢さんのイメージは、マスコミや政府によって、壊され続けてきていますが、ぜひとももう一度、小沢さんには頑張ってもらいたいと思います。
共産党と自由党と社民党と並べると、なんだかめちゃくちゃのような気がしますが、いずれにも政治理念があります。
そこを深めて、ぜひ野党再編に取り組んでほしいです。
いま必要なのは、改めての理念です。
節操のない民進党は、野党の核にはなれないでしょう。
いや、なってほしくありません。

それにしても、一度ならず2度にわたって、野田さんが野党潰しに関わるとは思ってもいませんでした。
自分がやってきたことの総括を、野田さんには一度してほしいです。

極めて個人的な思いを述べてしまいました。
管理自重したつもりですが、それでも少しすっきりしました。

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■節子への挽歌3332:どんよりした朝

教も寒い朝です。
雨まで降っています。
私自身が、何とか山積みの宿題を解消して、少し気が晴れてきたのに、どうも自然はその気分を押さえつけようとしていると思いたくなります。
いや、そうではなく、何か大事なことを忘れていると気づかせてくれようとしているのでしょうか。
それもまた、少し心当たりします。

昨日、ちょっと古い本ですが、「おひとりさまでも最期まで在宅」という本を読みだしました。
今度の日曜日、湯島で「ホームホスピス」活動をしている友人に、サロンをしてもらうのですが、その前に読んでおこうと思っていた本です。
ところが、読んでいるうちに、節子のことをいろいろと思いだしたら、読めなくなってしまいました。

節子は、「おひとりさま」ではなく、家族に囲まれての在宅治療生活でした。
家族への負担が大変なことに気づいたのか、ある時、病院に戻ろうかとぽつんと言ったことがあります。
そういう思いを起こさせたことを反省しましたが、正直に言えば、在宅治療のほうが、ある意味で私も家族も「負担」は少なかったと思います。
ちょうど往診医療の制度が変わった時期で、往診に来てくださった医師も看護師も、みんなとても誠実に関わってくれました。
医師は、費用的なことまで調べてくれました。
当時のことを思い出すと、やはり今でも、思いがあふれ出てしまいます。

そんなわけで、昨日はその本を読み終えられませんでした。
そして、目が覚めたら、どんよりした朝でした。
私は、自然の状況に大きく影響される性格です。
よく言えば、自然とともにあり、悪く言えば、主体性がない。
今日は、このどんよりした朝のように、始めましょう。

もっとも午後には、ラフターヨガ―という、生活に笑いを持ち込んで、みんなを元気にする活動をしている女性たちと会います。
あの人たちとあっていると、元気になるかもしれません。
あるいは、あまりの格差に、ますます落ち込むかもしれません。
さてさて、今日はどんな日になるのでしょうか。

〔追記〕午前8時
ブログを書き終えた後、食事をしていたら、雲が晴れて、太陽が出てきました。
まわりを覆っていた霞が消えて、私が起きた時とは全く対照的な「さわやかな朝」になりました。
世界が一挙に明るくなった感じで、わたしのきぶんもいっぺんしました。
自然の力は驚異的です。

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2016/10/17

■普通に考えておかしいことはおかしいのです

豊洲の騒動はますます混迷している気がしますが、今日のテレビで、市場関係者のみなさんが説明会で怒りの声をあげているのを見ました。
私はこの問題で、一番反省すべきは、市場関係者と専門家会議の委員だと思っています。
私は自宅を建てる土地を探している時に、その土地のことをきちんと調べました。
納得できない時には、価格が安くても、魅力的でも、無条件で対象から外しました。
自分が住む家は、安心できる土地の上に建てたいと思っていたからです。
そこが、汚染された土壌の土地だったら、どんなに安くても、わが家を建てる気にはならなかったでしょう。

また家を建てている時には、何回か現場を見に行きました。
設計図はもちろん見ていましたが、実際に現場に行って気づいたことは少なくありません。
市場は自宅ではないとしても、市場関係者のみなさんは、そこでずっと仕事をする場です。
ましてや、食品を扱う場です。
そういう人たちが、なぜ汚染された土壌の上に転居することを認めたのかが全く理解できません。
普通に考えれば、あり得ない話だと思います。
市場関係者のみなさんは自分の家を建てる時にも、そうしているのでしょうか。
豊洲の土壌がどういう土地だったかは、最初からわかっていたことです。
だから最初はみんな反対していたのでしょう。
でもいつの間にか変わってしまった。
私には、食品を扱う仕事をしている人としての責任感がないとしか思えません。
都庁が悪いのではなく、悪いのは市場関係者の組合のリーダーでしょう。

その汚染された土壌も盛り土をしたら安全だなどという専門家がいることも信じがたいことです。
本当に、安全だと思っていたのでしょうか。
いまも、盛り土すれば安全だと言っているようにも聞こえますが、あまりに不誠実ではないかと思います。
長年にわたって深く汚染された土壌は、そんなに簡単には除染されません。
事実、たった数年で、いろんな有毒物が地上に出てきています。
それは盛り土していなかったからと言えるのでしょうか。
盛り土していたら大丈夫なのでしょうか。
普通に考えれば、そんなはずはありません。
専門委員のみなさんは、そこにわが家を建てる気になるでしょうか。
もし、そうでないとしたら、技術者としての責任感がないとしか思えません。
いや、技術者としても、あまりにお粗末です。

この構図はよく見かける構図です。
たとえば、原発に関しても同じ構図を感じます。
専門家と受入側の土地の責任者である権力者とで、安全問題は処理されます。
そして問題が発生すると、実際に現場で汗している人たちがとがめられます。
そこで働いたり住んでいる人たちが、被害をこうむるわけです。

こうした構造から、抜け出るにはどうしたらいいか。
権力者や専門家に任せておくのをやめなければいけません。
そこに生活している人たちが、自分たちで考えていかねばいけません。
専門家のように各論で考えるのではなく、もっと知性を持って考えなければいけません。
最高の知恵と知性は、誠実に生きている現場の人にあります。
「お上」にはないのです。
専門家は、現場の現実から、知恵を学んでいるのですから。

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■節子への挽歌3331:寒い1日

節子
今日はこたつがほしくなるような、寒い1日でした。
昨日までで、一応、山積みなっていた課題をほぼ解消しました。
と言っても、まだ気は許せません。
なにしろ11月19日に開催する、少し大き目のイベントのチラシと案内文がようやく完成し、昨日からその呼びかけを始めました。
今日は、いくつかのサイトにアップしたり、メーリングリストで流したりしましたが、まだ反応はゼロです。
目標は100人以上ですが、いささか胃が痛くなるような話です。

明日も集まりをやりますし、23日も集まりをやるのですが、こう多いと、案内を出したかどうかさえ忘れてしまいます。
自分でも、今日はなんの集まりだったっけと戸惑うこともないわけではありません。
実はよそから見たら、別々のテーマに見えるでしょうが、私にはすべてが同じテーマにつながっているのです。
ですからなおさらややこしいのです。
困ったものです。

しかし、そうした集まりのおかげで、私の元気は維持されているのかもしれません。
いろんな人と会うと元気が出ます。
昨日は、我孫子の人が2人、わが家に来てくれました。
音楽活動で我孫子のまちづくりに取り組んでいる宮内さんと最近近くの施設で市民カフェなどを始めた石井さんです。
石井さんも、歌って踊れる人だそうです。
いろんな構想を聞かせてもらいました。
我孫子での私の活動は、あんまりうまくいきませんが、若い世代の活動も育ち始めているようです。
いろいろとお話をお聞きしていると、私などの出る幕はないようです。
我孫子もようやくステージが変わろうとしているのかもしれません。
思い悩むこともないわけです。

しかし、誰かと話していると、ついつい何かを始めたくなる私の悪癖は一向に治りません。
この歳になると、新しいことを始めるのは自重すべきですが、魅力的な課題が見つかってしまうわけです。
これまた困ったものです。

しかし、最近、世代の違いを強く感じます。
あきらかに私が生きてきた時代とは違った時代が始まっているのです。
節子我いたら、そういう時代とは距離を置いて生きていけたと思いますが、節子がいないいまは、それは難しいでしょう。
なんとか彼らの邪魔にならないように、つまり少しは役立てられるように、もう少し社会と関わっていこうと思います。

それにしても、今日は寒いです。
寒いと心まで冷えてくる。
節子がいたら、下からお茶でも飲まないと、声がかかるのですが、それも期待できません。
朝から4杯目のコーヒーを淹れて、身体を温めないと風邪をひきそうです。

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■節子への挽歌3330:挽歌を書く人生

節子
先日、久しぶりに若い僧侶のNさんにお会いしました。
以前はネット発信していたり、本なども書かれていたのですが、最近、社会に向けてのNさんからの情報発信に触れる機会がないのでずっと気になっていました。
最近は改めて自分を問い直しているようなお話でしたが、Nさんのように、本質的な問題で社会に情報発信していると、いろいろと押し寄せてくる世間の波も大きいのでしょう。
その点、この挽歌は、極めて個人的なものなので、嫌なメッセージは届かないのです。
それでも、当初は、いろんなヘイトメッセージが届いていました。
たぶんその頃はまだ私自身がかなり感情的に思いを言葉にしていたのでしょう。
それに受けるダメッジも大きかったです。
いまでは仮に嫌がらせのメッセージが届いても、寛容に受け止められるようになりました。
自分で読み直したことはありませんが、この挽歌の表現も大きく変わっているのだろうと思います。
それはもちろん、私の意識や感情の変化でもあります。

Nさんから、気持ちの変化が挽歌に表われていますね、と言われました。
Nさんも挽歌を読んでくださっていたのです。
以前は、少しだけ読者を意識していたこともあります。
しかし、最近は内容のない日記のようなものになっているので、いわば書き続けることが日常になってきていますが、だからこそその時々の気分が出てしまうのでしょう。
たまには、少し意味のあることを書こうかと思うこともあるのですが、無理をしても仕方がありません。
素直にただ、思いつくままを書くしかありません。

しかしこの挽歌を書き続けているおかげで、時に「気になる言葉」に出会うことがあります。
テレビを見ていても、誰かと話していても、ふと、挽歌につながることに気づいて、考えを深めることもあります。
ただ私は、メモをしない人間なので、多くの場合、忘れてしまうので記事にはならないことが多いのですが、時間がかなりたったころに、突然それが思い出されることもあります。
そういう意味では、挽歌を書き続けていることが、ある意味、私の生き方に形を与えてくれているのかもしれません。
それに、この挽歌で、私の心の中をかなり明かしていますので、他者との付き合いも、見栄や虚勢をはることもできません。
それも私にとっては、とてもいいことです。
いまや挽歌は、私の人生の一部になってきているようです。

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2016/10/16

■リンカーンクラブ公開フォーラムのご案内

私たちの声は政治に届いているのか。
日本は国民主権の民主主義国家といわれているが、本当にそうなのか。
最近、改めて、そう感じている人は少なくないと思います。

1983年11月19日、第16代アメリカ大統領、エイブラハム・リンカーンはペンシルベニア州ゲティスバーグにある国立戦没者墓地の奉献式において、「人民の、人民による、人民のための政治」を呼びかけました。
有名なゲティスバーグ演説です。
以来、世界は、「人民の、人民による、人民のための政治」に向かって進んできていますが、必ずしも多くの人が満足する段階には至っていないばかりか、むしろ最近の日本では、逆行しているのではないかというような状況さえ生まれています。

そうした思いから、私たちは、日本の現実をできるだけ民主主義に近づけていこうという活動に取り組むために、しばらく休会していたリンカーンクラブ活動を再開。そのお披露目もかねて、公開フォーラムを、11月19日に開催することにいたしました。
急なお誘いですが、ぜひ多くの人に参加していただき、どうしたら、私たちの声を政治に届けられるのかを、みんなで考えたいと思っています。

ちなみに、リンカーンクラブは、特定の政治団体につながるものではなく、政党活動を展開するものでもありません。
その活動自体も、民主主義の理念(個人の尊厳を尊重すること)にしたがって、さまざまな意見を大事にしながら、主権者である私たち国民一人ひとりの声を、できるだけ政治に反映していくにはどうしたらいいのかを考えていこうと思っています。

私たちの社会を、私たち自身が納得できるものにしていくために、また、子どもたちの未来を豊かにしていく社会にするために、ぜひ多くのみなさまに参加していただき、一緒に考えていきたいとと願っています。
よろしくお願いいたします。

日時
2016年11月19日(土曜日) 午後2時~5時(1時20分開場)
プログラム
 第1部:講演(次の3人の専門家から問題提起していただきます)
小林節(憲法学者:慶應義塾大学名誉教授)
伊藤真(弁護士:伊藤塾塾長)
武田文彦(リンカーンクラブ代表:究極的民主主義研究所所長)
 第2部:参加者による話し合い
講演者と参加者が一緒になって、話し合いたいと思います。
会場
AP品川7階(東京都港区高輪3-25-23 京急第2ビル)
  JR・京浜急行線・品川駅高輪口前の第1京浜を新橋方向に徒歩2分右側
  http://www.cdit.or.jp/o_lecture/ap-shinagawa.pdf
定員:100名
会費:3000円(学生2000円)
主催:リンカーンクラブ(http://lincolnclub.net/)
申込先:リンカーンクラブ事務局(info@lincolnclub.net)


2016


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■カフェサロン「3.11福島原発事故後の福島で仕事をしてきて感じたこと」の報告

昨日開催のカフェサロン「3.11福島原発事故後の福島で仕事をしてきて感じたこと」は、16人参加という大盛況でした。
福島が忘れられていないと言うところで、まずはほっとしました。

3.11後、福島の楢葉町と浪江町で3年間仕事をしてきた櫻井さんは、クリスチャンでもあるので、話の最初に、新約聖書のマタイ伝25章をまず読み上げてくれました。
そして、櫻井さんご自身の3年間の仕事や生活について、話してくれました。
直接的に被災の状況が報告されたわけではありませんが、櫻井さんの生活を通して、いろんなメッセージを、それぞれが受け止めたと思います。

たとえば、櫻井さんは道路補修を終えた後に、そこに横断歩道の白いマークを書き上げた時に、「これが復興だ」と感じたと言います。
あるいは、人はたくさんいるのに、女性や子どもたちが少ないことに異様さを感じていたとも言います。
週末に東京に戻ってくると、そのあまりのギャップにも異様さを感じていたようです。
被災地の人たちは、みんなやさしいとも言いました。
被災そのものよりも、それによって、住民たちの間に、いろんな溝ができてしまったことの方が、大きな問題かもしれないとも話されました。
事故直後、現地の住民たちは、死を意識する緊迫感の中で過ごしていたというお話もありましたが、私には、櫻井さんが体感されたそうした日常的な話が心に突き刺さりました。

話の内容は、参加者のお一人の近藤さんがビデオで記録してくださいましたので、ユーチューブでアップできると思います。

福島の支援活動にも取り組んでいた山根さんは、先日、福島に行かれたそうです。
現地に行ってみて、衝撃を受け、意識が一変したという話をしてくれました。
報道を通して私たちが感じていることと、現地はあまりにも違ったのでしょう。
現地に触れることの大切さを、みんな改めて感じたと思います。

話し合いを紹介しだしたらきりがないので、これもユーチューブにゆだねたいですが、参加された方から後でいただいたメールをご紹介します。

原発問題は昔から少し興味があったので、とても勉強になりました。
普通の主婦なので、難しい事はわかりませんが、
原発の危険度は、わかっていますので、
これから主婦の集まりで話していきたいと思います。

櫻井さんにもお伝えしましたがとてもうれしい感想です。
サロンをやっていてよかったと思うのは、こういう感想が聞けた時です。

最後に、私の思ったことを(当日も発言しましたが)書かせてもらいます。
福島の人たちは、3・11が起こるまで、原発は安全だと思っていました。
しかし、安全ではなく、それによって人生は大きく狂ってしまいました。
しかし、原発が福島に建設された時でさえ、原発の危険性を強く主張していた人はいました。
でもみんな、安全だと思い、その利益を享受する方にばかり関心を向けていたのかもしれません。
原発事故が起こって、初めて現実と直面することになったわけです。
しかし、それは福島の人たちだけではありません。
もしかしたら、福島とはまったくちがって幸せそうに見える東京の人たちにも、もしかしたら、明日、「3.11」が起こるかもしれません。
利便性にばかり関心を向けていていいのか。
福島に寄り添うことも大切ですが、福島から学び、まずは身の回りの問題に関心を高めることも大切ではないか。

そんなことを、櫻井さんの報告を聞きながら、私は考えていました。

Photo


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■節子への挽歌3329:愚かさは他者を裏切ることを知った時に始まった

節子
さわやかな秋の朝です。
ここ数年、迷っていたことも、一昨日決断したこともあって、精神的な重荷は少し軽減されました。
最近、少し時間に追われていましたが、今日はゆったりできそうです。
午後、地元の友人が、知人を紹介したいと言って、わが家に来ることになっていますが、それを除けば、今日はほぼ自分のことに費やせる休日です。

久しぶりに畑にも行こうと思いますが、まずは庭の手入れです。
なにしろこの2週間、何もせずに過ごしてきました。
庭の池に、沢蟹へのあいさつにも行けていません。
人は余裕がなくなると、横への関心が少なくなってきます。
そして、それによって、さらに自らの余裕を失っていきます。

余裕がなかったのは、時間のせいではありません。
今回は、生き方を少し変えるという判断に迷っていたのです。
それは金銭が絡んでいる話です。
私が最も苦手の分野ですが、同時に「正義」の問題でもありました。
結局、周囲の人たちから「正義」は実現しなければと言われ、その気になったのですが、決断した後も、どこか心の隅では引っかかっています。
相手への憤りから解放されていない自分がいるからです。
だから雲一つないさわやかさとまでは言えません。
でもまあ、決断した以上は、戻ることはありません。

人はなぜ、他者を信頼できないのか。
みんなが、他者を信頼し合えば、みんな幸せで安らかになれるはずです。
にもかかわらず、人はなぜ他者を裏切るのか。
結果としてではなく、意図的に、です。

昨日、湯島で福島原発事故にまつわるサロンをやりました。
その時、参加者のひとりが、自分を含めて、人間は愚かだと発言しました。
彼女は、被災地に行って、そこの住民たちと話している時の方が、心安らぐようです。
その言葉にとても共感できました。
たぶんそこには、自らの愚かさを気づかせてくれる、何かがあるのでしょう。
私も、体験的に少しわかるような気がします。

愚かさは、他者を裏切ることを知った時に始まったのかもしれません。
孫の顔を見ていると、人は本来は実に賢いのだろうなと、いつも思います。
そこには、嘘も裏切りもないからです。
裏切ることが全くない関係が、もし伴侶だとしたら、節子はまさに伴侶でした。
その人間関係に、私は少し浸りきっていたのかもしれません。
その伴侶もいなくなりましたが、節子から学んだ裏切ることのない人生を、これからも生きたいと思います。

まずは、今日を良い日にすることから始めましょう。

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2016/10/14

■節子への挽歌3328:「喪失」ではなく「出会い直し」

節子
夢を見ました。
まだ会ったことのない女性の夢です。
顔は出てきませんでしたが、節子ではありませんでした。
節子を含めて、これまで会った女性たちを感ずる女性でした。

政治学者の中島岳志さんが、ある本で、「葬式や法事は死者との出会い直しの場」だと書いていました。
目が覚めた時に、なぜか、それを思い出して、その本を探してみました。
たしかに、書いてありました。
そして、哲学者の田辺元や歴史学者の上原尊禄に論及し、「彼らが考えたことを私なりに読み替えてみると、「二人称の死」というのは「喪失」ではなく「出会い直し」である」とも書いています。
その言葉が、すーっと心に入りました。
節子がいなくなってから、ずっと「出会い直し」をしていたのかもしれません。
そう考えると、いろんなことが腑に落ちてきます。

人は、現前する存在だけを愛するわけではありません。
目には見えない存在を愛することは、よくあることです。
現前しているが故に、逆に相手が理解できていないこともあります。
お互いの関係性さえ、うまく構築できないこともある。
節子がいなくなってからの、この9年は、出会い直しの期間だったのかもしれません。
出会い直しがうまくできたかどうかはわかりませんが、
今日、夢で会ったのは、出会い直した節子だったのかもしれません。

夢で、その女性に会ったのは、ほんの一瞬です。
彼女は、私に、何かをしないようにと懇願したような気がします。
ところが、その肝心の内容が思い出せないのです。
覚えているのは、そのうえで、私の生き方を受容してくれたような記憶が残っています。
何を忌避され、何が受容されたのか、思い出せないのがもどかしいです。
ただ、その時の周辺の風景はかなり思い出せます。
荒れは黄泉比良坂だったかもしれません。
女性は、小高い山での私の行動に関して、何かを言っていました。

夢は、いつも不合理で、意味不明です。
でもまあ、「出会い直し」ということに気づかせてくれた夢なのかもしれません。

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2016/10/13

■節子への挽歌3327:信ずる者は救われる

節子
先日、友人からチェーンメールが回ってきました。

今年の10月には、
月曜日が5日、
土曜日が5日、
日曜日が5日ある。
これは823年に一度しかない。
これはお金の袋と呼ばれ、
この事を少なくとも5人以上の人に伝えると4日以内に豊かさが舞い込んでくると言われているとの風水のいわれだそうです。
うっかり忘れていたのですが、ぎりぎりの4日目に、遊び心が通ずると思われる5人に回しました。
そうしたら、2人から連絡があり、昨年の8月も、一昨年の8月も、そうだと連絡がありました。
私も実はそうだろうなと思っていましたが(31日あれば、かならず3日間は同じ曜日になるのは自明ですから)、これはどうなっているのか、とチェーンメールを送ってきてくれた人に送りました。
つまり逆チェーンメールです。
この逆流が、どうなっていくのかは大変興味がありますが、私に見えてくることはないでしょう。

このブログを読んでくださっている方のところにも、同じようなメールが届いているかもしれません。
だとしたら、私ともどこかでつながっているわけですが、そういうことを確認し合う意味でも、チェーンメールは、プラスの効用を持っているのかもしれないと思います。
もちろん運用次第では、マイナス効果の方が大きいとは思いますので、注意しなければいけませんが。

ところで、私はできるだけ物事を良いほうに受け止めることに心がけています。
このメールも、「4日以内に豊かさが舞い込んでくる」を信じたわけです。
私がメールを送ってから2日ですが、昨日あたりから、吉報が届きだしました。
信ずる者は救われる、というのは事実のようです。
もっとも、その吉報は、考えようによっては、凶報でもあります。
すべては、受け取りよう、というのも、また真実なのかもしれません。

今日は冬の到来を感ずる小寒い朝です。

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2016/10/12

■第2回みんなの認知症予防ゲーム実践者交流会のご案内

コムケアセンターの佐藤修です。
直前のご案内で申し訳ありませんが、
第2回「みんなの認知症予防ゲーム実践者交流会」を下記のとおり開催したします。
「みんなの認知症予防ゲーム」に関しては、ご存知の方も多いと思いますが、もしご存じない方があれば、NPO法人認知症予防ネットのサイトをご覧ください。
http://www.n-yobo.net/

みんなの認知症予防ゲームの実践者が増えてきており、各地での展開も広がってきています。
そんな状況を踏まえて、前回につづき、実践者の方々にざっくばらんに意見を出し合ってもらう形で、単にゲームの実践や普及だけではなく、それを通して、社会に向けてできることも考えていければと思っています。
コムケアセンターとして何ができるかも考えたいと思います。
平日の午後の開催になりますが、ぜひ多くの実践者のみなさんにお集まりいただきたく、ご案内をさせてもらいました。
このゲームの育ての親でもある、NPO法人認知症予防ネットの理事長の高林さんも参加します。

この問題に関心のある方にも声をかけていただければうれしいです。
また、当日、こんな問題を議論してほしいというようなご希望などあれば、あらかじめご連絡ください。
よろしくお願いいたします。

○日時:2016年10月18日(火曜日)午後2~4時
○場所:湯島コムケアセンター
http://cws.c.ooco.jp/cccentermap.pdff
○テーマ:みんなの認知症予防ゲームをさらに広げていくために
○会費:500円
○参加申込先:comcare@nifty.com

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■節子への挽歌3326:「ジェイソン・ボーン」

節子
今日は午前中、時間がとれたので、久しぶりに映画を観にいきました。
先日、封切られた「ジェイソン・ボーン」。
私が最近、一番面白いと思っているシリーズの映画です。
国家権力を暴くアクションものですので、節子にはまったく興味がないジャンルです。
この映画の第1作の「ボーン・アイデンティティ」は、娘から教えてもらったのですが、そんなこともあって、その時には映画を観には行きませんでした。
節子と一緒の頃は、一人で映画を観に行くということはありませんでした。

「ボーン・アイデンティティ」を観たのは、テレビで放映された時です。
以来、すっかりファンになってしまいました。
これまでのシリーズ作品は、いずれもかなりの回数を観ていますが、何回、観ても不思議と飽きないのです。
今日は、私よりもボーンファンの娘も時間があったので、一緒に行くことにしました。
私は、節子と一緒にいたころ、いつも2人で行動していたので、一人で映画に行くのさえ苦手なのです。

朝一番の回に行ったのですが、予想に反して、空いていました。
劇場に入ったら、まだおひとりしかいませんでした。
しかも、その人はなぜか私の席の真ん前でした。
この劇場は自らがあらかじめ席を取っておくのだそうで、娘がとっておいてくれたのです。
開演前まで時間があったので、その人と話しました。
私とたぶん同世代の男性で、毎週、このシアターに映画を観に来ているのだそうです。
最近の映画はついていけないこともあるので、観た後、DVDを借りてきて、観直すこともあるそうです。
よくわかります。
私も最近は、同じようなことをやっているからです。

2時間の映画はあっというまでした。
正直、予想したいたよりは退屈でしたが、まあこれからまた何回か観るうちに好きになるでしょう。
いつもそうなのです。
やはり第1作が一番よかったというのが、私と娘の共通の意見でした。

最近少し時間に追われがちな日々ですが、久しぶりに、ボーンの世界に埋没できました。
これも一種の「瞑想」と位置づけましょう。
おかげで、かなり気持ちが明るくなった気がします。
しかし、午後は、また、雑事に追われて、元に戻ってしまいました。
明日からしばらくまた、多用な日々が続きます。
血圧の薬もまたなくなったのですが、お医者さんにも行けません。
困ったものです。

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2016/10/11

■節子への挽歌3325:代々木の青少年総合センターに行きました

節子
昨日は、久しぶりに代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターのイベントに参加しました。
15年ぶりくらいでしょうか。
ここでは以前、コムケアの発表会などを何回か行なったことがあります。
節子も参加したこともありますが、それ以上に、記憶がよみがえってくるのは、節子の発病で、私の気が萎えていた時に開催した時の記憶です。
その時は、前日からここに宿泊しましたが、遠くから来て前泊した発表者たちと夕食を一緒にしました。
その時、私と同じく、伴侶の病気になった人がいました。
お互いに元気を装っていましたが、お互いにすぐ、心の底を感じていました。

彼女も、私と前後して、伴侶を見送りました。
私よりはずっと気丈夫の人で、彼女が主催する予定のイベントの直前に、伴侶がなくなりました。
しかし、彼女は予定を変えることなく、そのイベントを開催しました。
私も参加させてもらいましたが、彼女の振る舞いは凜としていました。
私には太刀打ちできないほどに。

しかし、それからしばらくして、彼女は、同じような体験をした女性を連れて、湯島に来ました。
そこでお互いに涙を流しながら、悲しみを共有しました。
しかし、30分ほどして、彼女は、きっぱりと、これでこの話は終わり、と言って、いつもの彼女に戻りました。
女性は強いなと、思いました。

その方が書いた本をいただいたことがあり、節子もその本を読みました。
節子の感想は、すごい人だという一言でした。

彼女と久しく会っていません。
群馬にお住まいですが、どうされているでしょうか。
私よりも少し年上です。
彼女の、あの凛とした振る舞いがいまでも心に残っています。

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2016/10/10

■節子への挽歌3324:身体が小さくなりだしました

節子
今日はあるコンテストの審査員を引き受けていたのですが、一応、審査員なので、背広を着ていくことにしました。
最近は、背広を着る機会が少なく、先日、ある人に背広で会ったら、驚かれてしまったほどです。
今朝、めったに着ない背広を着ました。
そうしたら、なんとズボンの丈が長いのです。
名探偵ポワロならば、ズボンが延びたと思うでしょうが、凡人の私は、足が短くなったと思いました。
1センチは短くなっていますね。
歳をとると身体は縮んでいくと言われますが、まさに私がその時期に入ったようです。

さてどうしたものかと思い、別の背広を着てみました。
あれ、これは大丈夫です。
どういうことでしょうか。
名探偵ポワロならば、背広の生地の違いにするでしょう。
しかし、凡人の私は、素直に、この背広は大丈夫だと思いました。
そして、その背広を着て、審査員を務めてきました。

さて、私の身体は縮んだのかどうか。
それが証明できませんでしたが、夜、体重を久しぶりに計ったら、3キロ痩せていました。
やはり縮んでいたわけです。

節子がいなくなってから、基本的には背広は作っていないのです。
衣服が枯渇しだしました。
困ったものです。
さてどうしたものか。

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2016/10/09

■節子への挽歌3323:なぜか涙が出てしまいました

節子
雨の日は、どこか感傷的になりやすい。
ほどほどに疲れていると、これまた感傷的になりやすい。
秋を感ずると、理由もなく、感傷的になりやすい。

そのせいかもしれませんが、今日は、テレビを見ていて、わけもなく涙が出てしまいました。
NNNドキュメント「ニッポンのうた‘歌う旅人’松田美緒とたどる日本の記憶」。
http://www.ntv.co.jp/program/detail/21853717.html
http://tvtopic.goo.ne.jp/program/ntv/4003/999741/#p_10941607

再放送でした。
日本に伝わる古い歌を探し、今によみがえらせている歌手、松田美緒さんが、歌の記憶をたどる旅のドキュメントです。

たまたまテレビをつけたら、画面に長崎の伊王島の風景が出ていました。
むかし、一度だけ伺ったことがあり、懐かしくてそのまま見ていたら、不思議な歌が流れ出したのです。
伊王島で102歳の女性がおぼえていた「こびとの歌」です。
とても不思議な歌ですが、その歌に引き込まれてしまい、そのまま見続けてしまいました。
つづいて出てきたのが、「西浦の子守唄」。

いずれも初めて耳にする歌です。
そして、なぜかわけもなく、聴いていて、涙が出てきたのです。
それも、涙が止まらないのです。
幸いに私一人だったので、涙の出るままにまかせられました。
しかし、なぜでしょうか。
涙が出てきた意味が、私にはまったくわからない。

「こびとの歌」も「西浦の子守唄」も、後で気になって、ネットで歌詞を探しましたが、見つかりませんでした。
あれほど心に響き、聴きほれていたのに、いまは全く思い出せない。
それもまた不思議ですが、しかし、特に歌詞に感動したわけでもないでしょう。
メロディが特に心に響いたわけでもない。
歌手の松田さんの歌いぶりやしぐさに心揺さぶられたわけでもない。
ただただ涙が出てきたのです。

涙を出したかったのでしょうか。
最近は、あまり涙を流すこともなくなりました。
私の体験では、涙は心をいやす最高の贈り物かもしれません。
今日はきっと、誰かが涙を贈ってくれたのでしょう。
節子かもしれません。
感謝しなければいけません。

伊王島は、私が長崎にささやかに関わっていた時に仕事で訪問したことがあります。
島に上陸して道を歩きだしたら、地元の子どもたちが挨拶をしてくれるのです。
それが強く印象に残っていて、仕事での短い滞在だったはずなのに、伊王島の名前だけは忘れたことがありません。
何のために行ったのかは、まったく覚えてはいないのですが。

私の世界の中には、なぜか、伊王島が存在しています。
死者の記憶も、たぶん同じなのかもしれません。
いまはもう彼岸に旅立った友人たちも、節子と同じように、いまの私の世界では生きている人たちが少なくありません。

旅立った後にも、誰かの記憶の世界で生きつづける、そんな生き方をしたいと、改めて思いました。

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■75年サイクル論の不気味さをオリンピックパレードに感じました

一昨日行われた銀座のオリンピックパレードの映像を見ました。
報道によれば、80万人の人が集まったそうです。
私には、遠い世界の話ですが、もしかしたら、すぐ近くの世界の話なのかもしれないと、映像で歓喜している人たちを見ながら、複雑な気持ちになりました。

政治学者の中島岳志さんと宗教学者の島薗進さんが、「全体主義はよみがえるのか」というテーマで、対談したものを本にしています。
集英社新書の「愛国と信仰の構造」です。
そこでの対話の基調にあるのは、社会学者の大澤真幸さんの「近代日本150年の25年サイクル論」です。
近代日本150年は、第二次世界大戦を境に75年で区切られる。
そして、その前後の75年を、さらに25年で区切っていくと、相似性が読みとれるというのです。
最初の25年は、「富国強兵」と「戦後復興」。
次の25年は、「アジアの一等国・好景気」と「ジャパンアズナンバーワン・バブル景気」。
そして最後の25年は、大戦前の場合は「恐慌から全体主義へ」という流れで、戦争に突入していくわけです。
それをなぞるように、いま、バブル崩壊を経て、全体主義の機運が高まっている、というのが、この対話の基調です。
そして、ふたたび大戦前のような結果にならないようにするにはどうしたらいいかを、おふたりは話し合いの中で、いろいろと示唆しています。
とても密度の濃い内容ですが、話し合いスタイルなので、とても読みやすく、気楽に読めますので、ぜひ多くの人に読んでほしいと思う本です。

75年サイクルを表にしたものを、集英社新書の「愛国と信仰の構造」から引用させてもらいます。
この表を見ていると、いろんなことに気づくと思います。

75


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2016/10/08

■節子への挽歌3322:朝風呂と散策

節子
石和温泉はまだシーズン前のためホテルはすいていました。
昨夜は大浴場をしばらく独占させてもらいますた。
久しぶりにゆっくりせせてもらいました。
朝も露天風呂につかってきました。
とてもやわらかい,やさしいお湯でした。

朝、時間が少しあったので、ホテルの近くを散策しました。
実は笛吹川が近くを流れているのですが、ホテルの部屋から見たら、その近くに小川がありそうで,もしかしたらそこにカニが棲息しているのではないかと思ったのです。
温泉地ですから,いない可能性が大きいですが、久しぶりの朝の散策もいいと思ったのです。
残念ながら、カニには出会えませんでしたが、笛吹川の土手をちょっとだけ歩きました。

 節子がいたら、今頃はいろんな温泉に行っていたかもしれません。

しかし、節子がいなくなったいまは、仕事でもなければ温泉にもくることはないでしょう。
伴侶の有無は、人生を大きく変えてしまうものです。

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■世界が広がる議論

昨日から企業の管理職に人たちの合宿に参加しています。
テーマをもって自分たちで研究し,報告書をまとめていくというプログラムの仕上げの合宿です。

こういう合宿に、私は25年以上,継続して参加していますが,そこで感ずることのひとつは、議論する文化がどんどんなくなってきているのではないかということです。
さらに気になるのは,パソコンなどの持ち込みによって、直接的な話し合いが変質してきたことです。
プロジェクターで投影されたパソコン画面を通しての話し合いのスタイルが広がっている気がします。
昔は、ホワイトボードに、みんなが手書きしあいながら議論していたような気がします。
私が、この活動に関わり出した25年前の風景とは、あまりにも違ってきています。
年々の変化は小さいですが、なんとなくそんことを感じ続けています。
それは、私には企業の文化の変化、時代の風潮の変化、のようにも感じます。

今回は、これまで私が参加してきた層より若い世代だったのですが、状況は同じでした。
議論を起こそうとあえて挑発的なコメントもしてみましたが、逆効果でした。

私は,議論が大好きです。
議論を通して,自らの考えを相対化でき、世界を広げることができるからです。
私にとっての議論の魅力は、何かをまとめるというよりも、世界を広げるというところです。
世界が広がれば、新しい問題が見えてきます。
何かをまとめるということは、新しい問題に出会えるということです。

同世代の人たちとは今もよく議論します。
しかし,考えてみると,若い世代の人たちとの議論は少なくなったような気がします。
もしかしたら,私の議論の仕方がずれてきているのかもしれません。
議論していないのは、私なのかもしれません。
その可能性がないではないですが、私には、やはり社会から、気づきのための議論の文化が消えつつあるような気がしてなりません。

もっとも、最近はディベート教育も広がっているようです。
議論し合い、異論をぶつけ合うことが重視されてきているという動きもあります。
しかし、議論する文化が消えつつあるからこそ、ディベートなどが話題になってきているのかもしれません。
しかし、ディベートと議論は、私には別物です。
違いを明確にしたり、合意形成を目指したり、自己弁護したりする議論ではなく、世界を広げるという議論、新しい気づきに出会える議論が、もっと広がればいいなと、思っています。

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2016/10/07

■節子への挽歌3321:今日も前途多難です

節子
今日も前途多難な日になりそうです。
家を出かける直前に、とんでもないことに気づきました。
先日のメール消去事件の後、迷惑メール対策を間違えてしまい、過剰な対策を講じてしまったため、普通のメールまでが受信拒否になっていたのです。
そう言えば、この数日、なぜか返信が少ないと思っていたのですが、今朝、ある人が送ったはずのメールが届いていなかったので、念のために、プロバイダーを確認したら、そこの迷惑メール箱にたくさんのメールが入っていました。
あわてて受信対象にしましたが、未受信だったためにちょっとした不手際を起こしていることにも気づきました。
しかも、かなり重要な問題でした。
この数日の重い気分にもつながっていることです。
私自身の不手際で、勝手に不愉快になっていたわけです。

時間があまりなかったのですが、緊急のものは(たぶん)対応できたと思います。
いささか心配ではありますが。
しかし、なんとか予定の列車には間に合いました。
久しぶりに焦ってしまった20分でしたが、そのために今日一日のすべてのエネルギーを消費してしまった気がします。
今は列車の中で、これを書いていますが、今日の資料を読む元気もありません。

ネットが繋がらないので、ホテルに着いて、これをアップする頃には、平常心に戻っているといいのですが。
それにしても、ネット依存は、やはり注意しないといけません。

もしご迷惑をおかけした人がいましたら、お許しください。

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■節子への挽歌3320:眠れなかった夜

節子
今日は石和温泉で、企業の人たちとの合宿です。
始まりが早いので、早朝に出発する予定でしたが、まあ私は少し遅れてもいいと言うので、まだ自宅です。
歳をとると、いいこともあるのです。

今日もさわやかな朝でした。
昨日は、朝がとても素晴らしかったので、いい一日になると思っていましたが、あんまりいい日にはなりませんでした。
人生はなかなか順調には進みません。
しかし、昨日も書いたかもしれませんが、良いか悪いかは、受け止め方次第です。

昨夜、テレビで、死刑囚の手記が少し紹介されていました。
それがあまりに生々しかったので、夜中に目が覚めてしまいました。
死を宣告された人の人生はどんなものなのか。
そう考えていたら、がんなどで、余命宣告を受けた人も同じではないかという気がしてきました。
余命宣告は、死刑宣告と同じで、人道に反しています。
生存率で語ることもまた、おかしい話です。
そんなことを考えていたら、また眠れなくなりました。

しかし、朝起きたら、今日もまた、さわやかな朝です。
今日こそ、きっといい一日になるでしょう。
そろそろ出る時間です。
今ごろになって無性に眠たくなってきました。
電車で寝過ごさなければいいのですが。

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2016/10/06

■国家が争い合うグローバリゼーション

昨日の読売新聞に、「奈良の都にペルシア人役人がいた」という記事がありました。
それによると、奈良の平城宮跡から出土した8世紀中頃の木簡に、ペルシャ(現代のイラン付近)を意味する「破斯」という名字を持つ役人の名前が書かれていたのだそうです。
当時、日本は今以上に国際色豊かで、ペルシア人もいたことは、これまでも言われていましたが、木簡で確認されたのは初めてだそうです。

私たちは、進歩主義、つまり時代とともに、文化は進歩し、いまがその頂点にあると考えがちです。
たとえば、グローバリゼーションや人間の活動範囲に関しても、そう思いがちです。
しかし、そんなことはありません。
いま、国会で、議員の二重国籍が問題になっていますが、奈良時代には役人の中にペルシア人がいたのです。

そもそも聖徳太子が突厥人だったという論もありますし、天武天皇も渡来人だったという説もあります。
いずれもかなり説得力ある論拠が提示されています。

私たちが知っている歴史は、時代に合わせて作られたものでしかありません。
そして、その時代の人は、いまが一番進歩の頂点にあると思いたがりますから、歴史書はほとんど前の時代よりも今の時代がいいということになりがちです。
しかし、歴史は必ずしも進歩しないことは言うまでもありません。

たぶん奈良時代以前の日本列島には、さまざまな民族の人たちが住んでいたのでしょう。
文化も多様だったはずです。
グローバリゼーションとは、国家の枠を超えると言う意味が含まれています。
インターナショナルとは違うのです。
世界の構成原理が変わるということではないかと思います。
だから逆に、ナショナリズムへの逃避も強まるわけです。

グローバリゼーションの時代には、むしろ多くの人が、さまざまな国籍をもって、国家の枠にこだわらない発想をしてほしいという思いがしますが、これは私の思い違いでしょうか。
国家が争い合うグローバリゼーションって、いったい何のか、私にはよく理解できません。

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■節子への挽歌3319:今朝の朝はすばらしかったです

節子
心に迷いがあると、平安は得られません。
すべての不幸は、みずからの迷いから生まれるのかもしれません。
しかし、迷いは、それがどんなに瑣末なものであっても、断つことは容易ではありません。
人との関係を持っている限り、迷いからは解放されないのかもしれません。
他力に生きるという発想(正確に言えば、「他力」という概念)は、私にはありませんから、迷いもまた良し、としなければいけません。
不惑のないまま、私は人生を終わることになるでしょう。

今朝、早く目覚めました。
さわやかな朝の空を見ていると、迷いの瑣末さに気づきます。
実に気持ちの洗われるような朝の空でした。
少し見とれていたのですが、この気持ちを残しておこうと思って、わざわざ写真に撮ってみました。
私の、今朝の気持ちを残したいと思ったのです。
幸せな気分で、節子に挨拶し、庭の花木に声をかけてから、質素な朝食を楽しみました。
今日は、いい日になりそうだと思いながら。

しかし、いま、その写真をみたら、何の変哲もない、空でした。
なぜ、今朝は、あんなに心に幸せな気分が湧いてきたのか。
よくわかりません。

すべては、自らの心の中にある、という人がいます。
自然も他者も、みずからが生み出している、というわけです。
写真を見ながら、そうかもしれないと思います。
今朝、私が見た青空は、私に元気を与えてくれました。
世界は、みずからを映す鏡なのかもしれません。
朝の気持を、持続できれば、今日はいい1日になるでしょう。
今朝の空を与えてくれた、お天道様に感謝しなければいけません。


Photo


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2016/10/05

■働き方と働かせ方

「働き方改革」が話題になっています。
霞が関も都庁も、経団連も、みんな「働き方」を改革しようと動き出しています。
これって、おかしくないでしょうか?
言葉の使い方が間違っている、あるいは、問題の捉え方が間違っている。
私には、そう思います。

もし、働く人たちがそう言っているのであれば納得できますが、なぜか「働き方改革」を熱心に説いているのは、働く人たちではなく、働かせる人たちです。
問題の所在の捉え方と意識が違っているように思うのですがいかがでしょうか。

正しくは、「働かせ方改革」でしょう。
そうであれば、改革宣言も納得できますし、実効性も感じられます。
しかし、「働かせ方」を変えずして。働く人たちに「働き方」を変えろと言うのは、どう考えても、私にはおかしく感じます。

よく言われるように、変えられるのは自分だけです。
にもかかわらず、多くの人は、他者を変えようとする。
つまり、本気ではないのです。
自らが変わろうとしないで、他者を変えることなど、できるはずもない。
逆に、みずからが変われば、他者は変わっていくものです。

こうしたおかしなことが、たくさん、あります。
単なる言葉遣いの問題だと思われるかもしれません。
しかし、言葉遣いにこそ、思想や目的が現れるものです。
そうした視点で、気を付けていくと、以下に本末転倒したことが多いかが見えてくるかもしれません。

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2016/10/04

■互恵的に生きられる社会を目指したい

先日、体調がおかしくなった時に、フェイスブックに体調不良を書きました。
そうしたら、いろんな人からアドバイスが届き、なかには無償で私へのマッサージを提供するという申し出まで届きました。
先週は、パソコンからメールの記録がすべて消えてしまうというトラブルが発生しました。
この時もフェイスブックに書いたら、たくさんの人たちが、対応策を教えてきてくれました。
おかげで、もうメールが消えても大丈夫です。
自らの弱みや悩みを開いていくと、必ず誰かが助けてくれる。
そういう体験を、これまで何回もしています。

人は、他者の心の動きを感じとるミラー・ニューロンを持っており、そもそも他者と互恵的な関係に入る性向を生得的に持っていると言われています。
そして、それが、生物的にはひ弱な種である人類が、生き延びてきた理由だと言う人もいます。
そのことを、時々、実感させてもらうのです。
救ってもらうだけではありません。
私自身、困っている人がいたら、私に何ができるかを、自然と考えます。
誰かの役にたった時には、幸せな気分になれます。
人にとっての最高の喜びは、他者からの感謝の笑顔かもしれません。
互恵的に生きたいというのは、人の本性ではないかと思います。

しかし、その互恵的な本性が、いま「不要のもの」となりつつあります。
欲望の対象としての、あるいは生きる拠りどころとしての、金銭の存在が大きくなってきてしまったからです。

「近代」は「貨幣の流通」によって始まったという人もいます。
貨幣経済社会では、人は貨幣さえ所有すれば、他者の助けや支えなしでも生きていけるという考えを生んだのです。
つまり、(近代の意味での)貨幣の登場が、互酬的な人の生き方を変えてしまったのです。
さらには、互恵的な性向は、むしろ生きるためには邪魔にさえなりかねないのです。

先日、テレビで、「貧しい人を国が救うべきか?」という調査結果が話題になっていました。
経済を中心にした、国民の意識調査ですが、国による貧困者支援に反対な人の割合は、ドイツ7%、イギリス8%、イタリア9%、中国9%、アメリカ28%、そして、日本38%だったそうです。
原典http://www.pewglobal.org/files/pdf/258.pdfも少し読みましたが、調査方法に粗さを感じましたし、このデータは見つかりませんでしたが、大勢としては、そうなのでしょう。
意外な気もしますが、最近の状況から、そうだろうなとも思います。

私自身は、互恵的な生き方にこだわっています。
そして、貧しい人を救うためにこそ、国はあるのではないかと思っています。
しかし、それはお金による救済だけではありません。
お金による救済を進めれば、ますます「お金に呪縛された社会」になっていくでしょう。
私たちの生き方から、問い直さなければいけません。

私はお金に依存するよりも、人に依存する生き方を大事にしたいと思っています。
しかし、残念ながら、それは一人では実現できません。
ますます生きにくい社会になっていくのが心配です。
でも、時々、不幸な事件に遭遇すると、たくさんの人が支えてくれます。
ほんとうはみんな、互恵的な生き方をしたがっているのかもしれません。

流れを逆転させなければいけません。

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2016/10/03

■「自分の足で立ち、自分の頭で考える人」でありたい

「理論社」の創業者である小宮山量平さんは、「自分の足で立ち、自分の頭で考えなければ、第2の敗戦が訪れる」と話されていたそうです。
小宮山さんは、数年前に95歳でお亡くなりになりましたが、たしか80代になってから長編小説に取り組まれだした。
娘さんのお一人が、たまたま私が住んでいる我孫子にお住まいだったこともあり、何回かお会いした時に、お父上の小宮山量平さんのことを知りました。
関心を持って、お書きになったものを少し読ませてもらいましたが、心に響くものばかりでした。

先ほど亡くなられた、むのたけじさんもそうですが、戦争を体験されるとともに、敗戦後の時代を生きた人たちのメッセージは、心に響くものがあります。
たぶん生々しい思いが、そこにあるからでしょう。
むのさんに直接インタビューして本にした黒岩比佐子さんから、むのさんのお話をお聞きしましたが、黒岩さんがかなり興奮しながら、むのさんのお話をしてくれたのを覚えています。
むのさんの心が、黒岩さんの心を揺さぶったのでしょう。
その黒岩さんも、若くして亡くなってしまいました。

小宮山量平さんが危惧されていたように、いまの日本は、「自分の足で立ち、自分の頭で考える人」がいなくなってきたような気がします。
ですから、せめて自分だけは、そうならないようにしたいと思っていますが、それだけでは私自身にとっても住みよい社会にならないでしょう。
ですから、できるだけまわりにも働きかけ、この時評ブログも書き続けているのですが、書き続けるのは、それなりのエネルギーが必要です。
このブログは、読者も少なく、書いたところで社会への影響はほとんどないでしょうが、一人でも読者があれば、書く意味、あるいは書く責任はあると考えています。
しかし、どうも書く気力は萎えがちです。
たぶんそうしたことから社会の劣化が始まるのでしょう。
社会の劣化は、だれにとっても、自分から始まるのです。
社会を嘆く前に、むのさんや量平さんの生き方に学びたいと思います。

小宮山量平さんの、もう一人の娘さんによれば、量平さんは、『おかあちゃん、ちっともいい世の中にならなかったねえ』と話していたそうです。
「いい世の中」になっていくのは、いつなのでしょうか。

そのために、これからも私は、自分の頭で考えていきたいと思っています。

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■節子への挽歌3318:飛鳥寺から物部を思い出しました

節子
今日、テレビで飛鳥寺を放映していました。
飛鳥寺は大好きで、私は何回か行っていますが、節子とも3回ほど行ったような気がします。
テレビの映像から、飛鳥大仏の置かれている部屋の様子も少し変わっているのがわかりましたが、飛鳥大仏の表情は、当然ですが、あの頃のままでした。
私たちが行った頃は、飛鳥寺全体に、まだとても素朴な感じが残っていました。
お寺の狭い部屋で、住民のみなさんがご住職の説法を聞いていた場面にも出会ったことがあります。
私たちは、それを聴くことなく、ふたりだけで飛鳥大仏と対面していました。
とてもあったかな不思議な時間を過ごしたのを覚えています。
飛鳥の大仏は、その時もいまと同じように、少しぎこちない微笑を浮かべていました。
あの表情は、一度見たら、忘れられません。

飛鳥寺は、そもそもが蘇我氏の氏寺です。
いまは真言宗豊山派の寺になっていますので、わが家のお寺と同じです。
蘇我氏と言えば、思い出すのが、物部氏です。
節子と付き合って、節子の生家のあるところが、滋賀県の高月町(現在は長浜市)の西物部という集落だと知った時には、なぜか感激しました。
そして、さらに節子の母方の実家が、すぐ近くの唐川という集落であることを知った時にも、心が騒ぎました。
唐川の集落の後ろにある山を最初に見た時には、これは古墳だろうと思いました。
節子にも話しましたが、残念ながらその頃の節子は、まったく興味を示しませんでした。

節子の生家の周辺に限りませんが、滋賀には日本の古代の記憶がたくさん埋まっているようです。
いつか時間ができたら、節子と一緒に、そうした古代を感ずる滋賀の遺跡周りをしたかったと思っていましたが、ついにそれは実現できませんでした。
節子が元気だったころ、節子の生家から米原にかけての「かんのんみち」の寺社は、いくつかまわりましたが、どこも奈良や京都は違う魅力がありました。

私は、古代の日本には物部王朝があったという、鳥越憲三郎さんの考えに、とても魅かれています。
最近、藤井耕一郎さんの本で読んだのですが、卑弥呼時代の直前は、近江の滋賀が出雲だったという説もあります。
滋賀の湖西の栗東郡あたりに、みやこがあったというのです。
それを物語るように、そこからは大きな遺構も発見されているそうです。
私は行ったことはないのですが。
ヤマタノオロチ伝説も、もともとはそこにある三上山から生まれたという説もあります。
三上山は、いまも新幹線で通過するときに見ることがありますが、最初に見た時には、やはり心に感ずるものがありました。
滋賀には古代の歴史がたくさん埋もれている気がします。
私が節子に魅かれたのは、滋賀の人だったからかもしれません。

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■節子への挽歌3317:眼科医は超満員でした

節子
意を決して、眼科医に出向きました。
評判のいい眼科医を教えてもらっていたのです。
ところが、ドアをあけたら、なんと30人近い人が待合室で待っていました。
立っている人さえいました。
それでおそれをなして、反射的にドアを閉めてしまい、今日はやめることにしました。
それにしても、こんなにも患者が多いのであれば、私の場合は診察を遠慮するのが、社会的資源の配分上は、いいのかもしれません。
さらに言えば、評判のよくない眼科医に行くのが、望ましい選択かもしれません。

まあ、それはともかく、今日の眼科医はやめました。
もうしばらくは、「暗い世界」で生き続けることになりました。

帰りに、宝くじ売り場があったので、買いました。
今日は大安なので、当たるかもしれません。
5億円当たったら、取り組めることが山ほどあります。
そうなるとやはり身体ももう少し維持しておく必要があります。
宝くじが当たったら、眼科医ももちろんですが、神経内科に行き、降圧薬もきちんと飲んで、余命を5年延ばそうと思います。
わが家の「10年周期の掟」が作動しなければの話ではありますが。

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■第1回まちづくりサロンへのお誘い

いま、さまざまな活動が、自分たちの生活環境を安心で豊かなものにしようという、広い意味での「まちづくり」に向かっています。
また、行政主導のまちづくりから、住民主導のまちづくりへと、「まちづくり」のとらえ方も、大きく変わってきているように思います。
そうしたことを踏まえて、これまでさまざまな形で、広義の「まちづくり」に関わってきたメンバーで、今春、「まちづくり編集会議設立準備会」を立ち上げ、議論を重ねてきました。

「まちづくり編集会議」という言葉に違和感を持つ人もいるかもしれません。
私たちは、こう考えています。
地域社会には、多種多様な素材があり、多彩な人材がいます。
そうした素材や人を探しだし(取材)、整理・味付けし(編集)、その地域ならではの「魅力的な物語」を育てていくことが、「まちづくり」ではないか。
それも、だれかが編集するのではなく、そこに住む住民たちみんなが主役になって編集するという、「共創」型のまちづくりが大切ではないか。

 そのためには、どうしたらよいでしょうか。
そこで、各地でそうした活動に取り組んでいる人たちの、ゆるやかなネットワークを創るとともに、各地に、その地域の「まちづくり編集会議」をつくっていきたいと考えています。
そして、そうした全国各地の「まちづくり編集会議」をゆるやかにつないでいくことで、この社会をもっと素敵なまちに変えていきたい。

いささか大仰な目標ですが、その準備活動のひとつとして、「まちづくりサロン」を毎月開催していくことにしました。
毎回、テーマを決めたり、ゲストに来ていただいたりして、まちづくりを具体的に語り合う場にしていきたいと思いますが、最初の集まりは、こういう思いに共感してくださった人たちに集まってもらい、これからの「まちづくり」について、それぞれの思いを語り合う、気楽なサロンにしたいと思っています。
「まちづくり」の概念をできるだけ広くとらえていきたいと考えていますので、どなたでも歓迎です。
それに、サロンですので、気楽な語り合いの場にしたいと思っています。
さまざまな立場のみなさんのご参加をお待ちします。

○日時:2016年10月23日(日曜日)午後3時~5時
○場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
○テーマ:「まちづくりってなんだろう」
参加者それぞれの「まちづくり」に関する思いを語り合ってもらいながら、これからの「まちづくり」の方向性を考えていければと思います。
○会費:500円
〇主催:まちづくり編集会議設立準備会
○申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2016/10/02

■「みんカフェ・我孫子」がスタートしました

誰でも、そこに行くと自分の居場所が見つかるような、「ゆる~いカフェ」を、ゆる~くつないでいこうという活動を、昨年から、湯島でスタートさせています。
主旨に共感してくださった方が、それぞれの場所で自分流に開いてもらい、いつかそれがゆる~くつながればと思っています。
現在、湯島のほか、新潟と成田と印西などで、開催されだしていますが、今日は、私の住んでいる我孫子で、MTねっとわーくの土佐さんが第1回の「みんカフェ・我孫子」を開催してくれました。
私を含め、7人が参加しました。
今回は、いろんな活動をしている人たちが集まりましたが、地域によって、また主催者によって、スタイルはさまざまです。
テーマのない集まりであるからこそ、さまざまなサロンが創れます。
今回は、さまざまな活動が、ゆる~くつながっていく機会になったような気がします。
これからどう展開していくか、楽しみです。

もしやってみようという方がいたらご連絡ください。
簡単なメモですが、「みんなのゆる~いカフェ」(みんカフェ)ネットワーク構想を送ります。
そして、できるだけ応援させていただきます。

みんなが、自分の居場所が持てるような社会になれば、きっと豊かな社会になっていくでしょう。
今生は、それが期待できそうもありませんが、来世ではそんな社会に住みたいと思っています。


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■節子への挽歌3316:朽ちる身体

節子
人は、60歳を過ぎると、朽ちていくものだ、それに抗うことはしない、というのが私の信条です。
朽ち方はいろいろとありますが、その信条に基づき、無理に若さを保とうとか健康努力をするなどというのは、私の趣味ではありません。
そもそも、健康であることには、以前からさほど頓着はありません。
これは節子とは違っていました。
皮肉なもので、健康意識の強かった節子が、先に旅立ちました。

節子に先立たれてから、私の身体維持への関心はさらに低下しました。
それに70歳を過ぎれば、それを手入れするのにコストをかけるのは、社会的にももったいないと思います。
ですから、少々、身体に不具合が起こっても、よほど困らなければ治療にも関心はありません。
身体もまた、朽ちるに任せるのがいいという思いがどこかにあります。

実は私は視力が弱く、特に右目は最近、本を読むのにも不都合があります。
そもそも眼が小さく、検査の時にももっと大きく眼をあけてと言われれるのですが、眼が明かないのです。
ですから、普通の人に比べて、私の視界は狭くて暗いのです。
暗い世界を生きているというわけです。
これは、いまに始まったことではなく、もうかなり前からそうなのですが、最近、急速に世界は暗くなってきています。
まあさほど余命も長いことはないので、治療することもないと思うのですが、さすがに最近は不便です。
そろそろ限界かもしれません。
信条にはいささか反しますが、治療に行こうかと思います。
もし視力が回復すれば、読書速度ももっと早くなるでしょう。

身体的若さを保とうなどという気はないのですが、精神的若さに関しては、むしろもう少し朽ちてほしいという気がします。
私の場合、精神的成長があまりに未熟なので、人との会話において、いまもなおみっともない醜態をさらすことが少なくありません。
というよりも、どこかで「精神的成長」への忌避感があります。
精神的な成熟には魅力を感じますが、成熟に至る前の「成長」を私の場合、果たしていないので、成熟はまさに「高嶺の花」でしかありません。
実に困ったものですが、今更どうしようもありません。

ついでに「知的」な面はどうでしょうか。
知的でありたいと思いながら、どうもこの面も落第のようです。
ただ好奇心だけは、いまなお、子ども時代とそう変わりません。

余計なことを書いてしまいましたが、朽ちる身体に、掉さすべきかどうか。
信条に反する行為を一度でもとれば、たぶん人生は変わってしまうかもしれません。
これまた悩ましい問題です。
きっと「瑣末な問題」でもあるのでしょうが。

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2016/10/01

■節子への挽歌3315:どうしたもんじゃろのう

節子
今日から10月ですが、急に寒いほどの日になりました。
こたつがほしいくらいです。
季節感を取り戻そうとしていたのですが、なかなかうまくいきません。

ところで、わが家の経験則の一つに、「10年周期で家族の誰かが旅立つ」という、いささか「こわい法則?」があります。
これは、娘が気づいたことなのですが、同居していた私の父が亡くなったのが1987年、母がなくなったのが1997年、そして節子がなくなったのが2007年です。
まさに10年周期です。
この定めが事実だとしたら、来年が、その10年目に当たります。
いまのところ、同居している家族は娘だけですので、それぞれの確率は50%。
もちろん年齢的なことで言えば、私が順番ですが、節子の事例でわかるように、年齢順とは限りません。
というわけで、わが家にはこの不気味な定めが覆っているのです。

この定めの呪縛から抜け出るにはどうしたらいいか。
これはさすがに難問です。
定めを決めた人に事情を話して、今回だけは定めを解除してもらうのがいいですが、だれにどうお願いすればいいかわかりません。
それに、今回パスすると、私はさらに10年旅立てなくなります。
さて、どうしたものか。
今日、終わったNHK朝ドラの「とと姉ちゃん」の常子の口癖ではありませんが、「どうしたもんじゃろのう」です。

そんな「定め」のことをすっかり忘れてしまい、今年は、がんばっていろんなことを始めてしまいました。
そのため、もうしばらくは元気で活動してくれないと困ると言われています。
私自身も、最近その気になっているのですが、わが家を覆う「定め」の行方は、私にはどうしようもありません。
困ったものです。

さて、どうしたもんじゃろのう。

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