■節子への挽歌3329:愚かさは他者を裏切ることを知った時に始まった
節子
さわやかな秋の朝です。
ここ数年、迷っていたことも、一昨日決断したこともあって、精神的な重荷は少し軽減されました。
最近、少し時間に追われていましたが、今日はゆったりできそうです。
午後、地元の友人が、知人を紹介したいと言って、わが家に来ることになっていますが、それを除けば、今日はほぼ自分のことに費やせる休日です。
久しぶりに畑にも行こうと思いますが、まずは庭の手入れです。
なにしろこの2週間、何もせずに過ごしてきました。
庭の池に、沢蟹へのあいさつにも行けていません。
人は余裕がなくなると、横への関心が少なくなってきます。
そして、それによって、さらに自らの余裕を失っていきます。
余裕がなかったのは、時間のせいではありません。
今回は、生き方を少し変えるという判断に迷っていたのです。
それは金銭が絡んでいる話です。
私が最も苦手の分野ですが、同時に「正義」の問題でもありました。
結局、周囲の人たちから「正義」は実現しなければと言われ、その気になったのですが、決断した後も、どこか心の隅では引っかかっています。
相手への憤りから解放されていない自分がいるからです。
だから雲一つないさわやかさとまでは言えません。
でもまあ、決断した以上は、戻ることはありません。
人はなぜ、他者を信頼できないのか。
みんなが、他者を信頼し合えば、みんな幸せで安らかになれるはずです。
にもかかわらず、人はなぜ他者を裏切るのか。
結果としてではなく、意図的に、です。
昨日、湯島で福島原発事故にまつわるサロンをやりました。
その時、参加者のひとりが、自分を含めて、人間は愚かだと発言しました。
彼女は、被災地に行って、そこの住民たちと話している時の方が、心安らぐようです。
その言葉にとても共感できました。
たぶんそこには、自らの愚かさを気づかせてくれる、何かがあるのでしょう。
私も、体験的に少しわかるような気がします。
愚かさは、他者を裏切ることを知った時に始まったのかもしれません。
孫の顔を見ていると、人は本来は実に賢いのだろうなと、いつも思います。
そこには、嘘も裏切りもないからです。
裏切ることが全くない関係が、もし伴侶だとしたら、節子はまさに伴侶でした。
その人間関係に、私は少し浸りきっていたのかもしれません。
その伴侶もいなくなりましたが、節子から学んだ裏切ることのない人生を、これからも生きたいと思います。
まずは、今日を良い日にすることから始めましょう。
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