■節子への挽歌3346:冬には時間が流れない
今日は、とても秋らしい朝でした。
もっとも今年はもうすぐそこに、冬が来ている感じで、秋はとても短いようです。
古代の暦では冬には時間が流れなかったということを以前聞いたことがあります。
いまの西暦の7月(July)は古代ローマのジュリアス・シーザーから、8月(August)は初代皇帝のアウグストゥスから、それぞれ命名されたそうですが、その2か月がどうしてた暦に入ってきたのか、不思議に思っていましたが、昔は冬には暦はなく、10か月だったことを知って納得できました。
古代ローマには、1月と2月、つまり冬には、暦はなく、時間の流れは止まっていたわけです。
それでなぜ不都合でなかったかと言えば、冬には祝祭行事がなかったからだそうです。
つまり、暦はもともと、次の祝祭がいつ行われるかを知らせるものだったというわけです。
ですから、特別な行事が行われないときには時間は流れなかったのです。
たぶん日本においてもそうだったのでしょう。
生活にリズムをつけていたのは、いまでいう時間ではなく、暮らしの中でのお祭りや習俗的な行事だったと思います。
いまも、地方ではそうした時間で暮らしている人は多いでしょう。
節子を見送った後の私の暮らしもまた、そうでした。
時間が止まる中で、でも時々、ある行事がやってくる。
いわゆる法事です。
そこで少しずつリズムを取り戻していく。
そうした中で、時間感覚は変わってきます。
季節感さえ希薄になる。
世界が止まってしまったような、奇妙な感覚に陥ることもありました。
いまは、そんなことはありませんが、しかし明らかに時間感覚は変わってしまいました。
おかしな話ですが、時間の速度さえも均等ではなくなったのです。
冬には時間が止まる。
これは私にはとてもいい考えに思いえます。
時間に追われて生きる状況から、立ち止まれるチャンスになるからです。
私の場合、最近、そうした「時間を止めるとき」を意図的につくっています。
冬に限ったわけではありません。
「意図的に」というよりも、「結果的に」と言った方が正確ですが、そうしたなかで、自分をとり戻します。
これは、節子を送った後に身につけた知恵です。
節子からの贈り物かもしれません。
冬は、時間を止めやすい気がします。
今年の冬は長いようですが、私には豊かな時間をもらえるような気がしてうれしいです。
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