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2016/10/30

■カフェサロン「地域に看取りの文化を取り戻す運動」の報告

カフェサロン「地域に看取りの文化を取り戻す運動」は20人を超す集まりになりました。
しかも、20代から80代まで。
みなさんの関心の多さに、改めて驚きました。

お話してくださったのは、東京の中野区で「ホームホスピス」を創る活動をしている「なかの里を紡ぐ会」の冨田眞紀子さんです。
富田さんが、その活動を始めるに至った思い、仲間の医療・介護関係者との取り組み、そして自らが半年間関西に転居して、実際の施設で体験してきたことなどを話してくださいました。
実際に、冨田さんが出会った「看取り」のお話も紹介してくれました。
そこから伝わってきたのは、「幸せな死」の豊かさでした。
それは、看取った人をも幸せにしてくれるような気がしました。
そこに冨田さんの取り組みの意味が凝縮されているように思いました。

富田さんはパワーポイントを使って、とてもわかりやすく話してくれました。
なぜ、いま、看取りの文化を地域に取り戻さなければいけないのか。
死を迎える場所が、自宅よりも施設が多くなったのは、1975年ごろ、いまから40年ほど前です。
言いかえれば、40年前にはまだ「看取り」が生活の中にありました。
それがいまは、「看取り」が社会からなくなってしまった。
その意味を、私たちはもっと考えなければいけません。
「看取る」体験は、人の意識を変えます。
それが、社会のあり方も、大きく変えているはずです。
私たちは、その大事な体験の場を失ってしまっているのかもしれません。
「死」は、人を分かつだけではなく、人をつなげるものでもあります。
「看取り」とは「受け取ること」だ、冨田さんは話されました。

冨田さんの言葉は、実践に裏付けされているので、一つひとつが心に響きました。
そして、最後の言葉は「尊厳を守る・存在の承認」でした。
腑に落ちました。

富田さんたちの活動はぜひホームページでお読みください。
http://www.nakano-sato.org/
そこに、これまで発行された機関誌がアップされていますので、関心のある方はぜひお読みください。
また冨田さんが講演されるような機会があれば、ご案内します。
ぜひ多くの人たちに聞いていただきたいと思いました。

今回の参加者は人数も多かったですが立場もさまざまでした。
長年、看取り活動に取り組んできた研究者やホスピスでたくさんの方を見送った体験のある若い僧侶、これからそういう問題に取り組もうとしている方もいました。
身近な人の看取りを体験された方も数名いて、それぞれ、ご自身の体験を語ってくれました。
そのひとつひとつに、大きな問題提起を感じました。

「看取り」の意味や死生観について、そしてどうしたら「看取りの文化」を地域に取り戻せるかについて、もう少し話し合いたかったのですが、そこまでたどり着けませんでした。
みんな話したいことがあるので、1回だけでは難しいようです。

冨田さんたちは、来年、中野に「ホームホスピス」を開園します。
その動きを知って、新しい家を提供してもいいという人も出てきているようです。
たぶんいろんな動きが出てくるでしょう。
今回、サロンで話を聞いた人のなかにも、いろんなことを考えた人がいるようです。

冨田さんたちの、これからの活動がとても楽しみです。
できれば、今回の続きとして、「看取り」をテーマにしたサロンを開催⒮できればと思っています。
話題提起者になってもいいという方がいたら、私にご連絡ください。


Tomita201610


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