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2016/10/23

■第1回まちづくりサロンの報告

第1回まちづくりサロンを開催しました。
さまざまな立場で「まちづくり」に関わっている人たちが、13人集まりました。
これだけ集まると、「まちづくり」の捉え方もさまざまです。

「ハード面でのまちづくり」と「ソフト面でのまちづくり」
「行政主導のまちづくり」と「生活者主導のまちづくり」
「統治環境整備」と「生活環境整備」
「お上のまちづくり」と「民のまちづくり」
さまざまな「まちづくり」の考え方が出てきました。
本題に入る前の雑談で、「居場所」が話題になっていましたが、「居場所をつくるまちづくり」と「居場所のある社会をつくるまちづくり」というのもあるように思います。
また、まちづくりには「王様」(リーダー)が必要かどうかという議論もありました。
そもそも「まちづくり」ってなんだろうという話もありました。

福祉活動に取り組む人にとっては、「まちづくり」と並行して、「まちこわし」が進んでいるように思えているかもしれません。
そもそも私が、この「まちづくり編集会議」を思い立った動機の一つが、「まちづくり」という名の「まちこわし」の動きへの懸念からです。
「まちづくり」と「まちこわし」はコインの裏表かもしれません。
つまり、「まちづくり」とは、そこに住む人たちの生き方の変革です。
建物や施設が、その地域の人たちの意識や暮らし方を変えることはよくあります。
人によって、同じことが反対の意味を持ってくることはよくあることです。
大切なのは、「だれにとってのまちづくり」ということかもしれません。
であればこそ、「まちづくり」の主役は誰かということが問われなければいけません。

建物や施設を構築するのも「まちづくり」ならば、建物や施設を活用するのも「まちづくり」です。
施設を建設するのは住民だけでは難しいかもしれませんが、施設を活用するのは「個人」にでもできることです。
そういう視点で考えると、いまの社会には「活用」できる施設は余るほどあります。
「まちづくり」の思想を変えなければいけない時代のような気がします。

さまざまな話題が出たので、うまく報告できませんが、私が一番面白かったのは、建築家でハードなまちづくりに長年かかわってきた竹居さんの、近くのまちの「おばさん」が、小さなスペースを活用して地域を豊かにしようとしているというお話でした。
そこに、新しい「まちづくり」のはじまり、あるいは本来の「まちづくり」の回復を感じました。
そして、それを象徴するように、今回のサロンの最後は、「挨拶をしなくなった社会」の話題で盛り上がりました。
今回のサロンの(私の独断的な)結論は「まちづくりは挨拶から」です。

ちなみに、サロンの中で、「まちづくり編集会議ネットワーク」の構想を話させてもらいました。
近々フェイスブックページも立ち上げます。
ご関心のある方はご連絡ください。
昨日配布した資料を送ります。

まちづくりサロンは、継続的に開催します。


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