■節子への挽歌3337:「修理を待つ商品」
節子
思い切って眼科に行きました。
先月一度、行ったのですが、あまりに混んでいたので帰ってきてしまいましたが、今日は待つ覚悟で出かけました。
前回より空いていました。
そして思った以上に早く対応してもらいました。
しかし、どうも病院は苦手です。
今回の眼科医は初めてのところですが、とても評判がよく、いつも混んでいるのだそうです。
医師は一人ですが、スタッフが10人ほどいて、さまざまな検査がとても効率的に進められています。
待合室には20人ほどの人がいますが、診察ゾーンに入ったら、さらにまた20人ほどの患者がいました。
そうした人が、スタッフの誘導で、次々と次の「工程」に進められていくありさまは、まさに「工場」のようでした。
私も、工場のベルトコンベアに乗った「修理を待つ商品」のような気がしました。
これも以前、人間ドックなどでいつも感じていたことですが、要は「人間」でなくなってしまうわけです。
これが、私には苦痛なのですが、しかしその中に入ってしまうと意外と居心地もいいのです。
しかし、こうした「工程」に乗った「商品」気分は、人間の人生にも言えるかもしれません。
その場合は、「修理を待つ」のではなく「死を待つ」というべきですが、「修理」も「死」も同じようなものかもしれません。
以前、北九州市のエコタウンを見学させてもらった時に、逆工場、つまり解体工場を見せてもらいましたが、「死」とは、人体が自然に戻していく工場と言えるかもしれません。
同時に、魂はもしかしたら、次のステップに「昇華」する工程なのかもしれません。
そんなことを考えていたら、退屈はしませんでした。
もっと興味深かったのは、待合室の受付の近くで待っていたのですが、実にさまざまな人がやってくるのです。
人間は、こんなにも表情や言動がさまざまなのだと、改めて思いながら、受付にやってくる人を見ていました。
残念ながら知り合いには出会えませんでしたが。
ところで、病気ですが、手術をすることになりました。
これで世界はきっと明るくなるでしょう。
なにしろこの数年、ずっと視野が狭く、よく見えない世界に生きてきましたから。
余命幾ばくもないでしょうから、修理するのは私の主義には反しますが、最近のうっとうしさには我慢できないので、仕方がありません。
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