■節子への挽歌3319:今朝の朝はすばらしかったです
節子
心に迷いがあると、平安は得られません。
すべての不幸は、みずからの迷いから生まれるのかもしれません。
しかし、迷いは、それがどんなに瑣末なものであっても、断つことは容易ではありません。
人との関係を持っている限り、迷いからは解放されないのかもしれません。
他力に生きるという発想(正確に言えば、「他力」という概念)は、私にはありませんから、迷いもまた良し、としなければいけません。
不惑のないまま、私は人生を終わることになるでしょう。
今朝、早く目覚めました。
さわやかな朝の空を見ていると、迷いの瑣末さに気づきます。
実に気持ちの洗われるような朝の空でした。
少し見とれていたのですが、この気持ちを残しておこうと思って、わざわざ写真に撮ってみました。
私の、今朝の気持ちを残したいと思ったのです。
幸せな気分で、節子に挨拶し、庭の花木に声をかけてから、質素な朝食を楽しみました。
今日は、いい日になりそうだと思いながら。
しかし、いま、その写真をみたら、何の変哲もない、空でした。
なぜ、今朝は、あんなに心に幸せな気分が湧いてきたのか。
よくわかりません。
すべては、自らの心の中にある、という人がいます。
自然も他者も、みずからが生み出している、というわけです。
写真を見ながら、そうかもしれないと思います。
今朝、私が見た青空は、私に元気を与えてくれました。
世界は、みずからを映す鏡なのかもしれません。
朝の気持を、持続できれば、今日はいい1日になるでしょう。
今朝の空を与えてくれた、お天道様に感謝しなければいけません。
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