■節子への挽歌3338:読書の秋
節子
毎日、いろんな集まりや来客に対応していて、少しだけまた時間破産状況なのですが、そうした時には昔から、急に本を読みたくなるのです。
ちょっと古いのですが、先週読んだ本の中で紹介されていた、加藤典洋さんの「敗戦後論」を読みだしました。
その本の中に、「語り口の問題」という論文が収録されていていました。
その論文の書き出しは、ハンナ・アーレントの「悲しみは、決して口に出して語られません」という言葉でした。
その言葉は、さらにつづいているので、ここだけを取り出すのは趣旨に反するのですが、私は単純にこの言葉が心にグサッときました。
そして、前に見た、ハンナ・アーレントの映画を思い出しました。
彼女は、「イエルサレムのアイヒマン」を発表したことで、多くの友人を失いますが、映画でも出てきますが、親しい友人から、こう問われるのです。
「あなたはユダヤ人を愛していないのか」。
これについては以前書いたことがありますが、彼女は「わたしはわたしの友人「しか」愛しません」と答えるのです。
その意味は、「民族や集団」ではなく、「表情のある個人としての人間」しか愛せないというような意味であろうと思います。
映画を観た時には、この言葉はそう深くは考えませんでした。
しかし、加藤典洋さんは「語り口の問題」の中で、アーレントの問題の発言は、いまの私自身につながっていることをていねいに書いてくれています。
こうした書籍に出会うと、それこそ目からうろこが落ちる感じです。
そして、興奮するような知的な刺激をもらえます。
しかも、私自身の心にも突き刺さるメッセージももらえます。
このブログの主旨に合わせれば、ゾーエの私にもビオスの私にも、書籍はさまざまな刺激をくれるのです。
そして、元気ももらえます。
実は昨日は、そんなわけで、いささか興奮していて、挽歌を書くのを忘れていました。
今年の秋は、短いそうですが、読書の秋らしく、少しまた本を読んでみようと思います。
白洲正子さんの「かくれ里」も面白かったです。
時間がない時にこそ、読書は向いているのかもしれません。
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