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2016/10/28

■節子への挽歌3344:伴侶は、妨げか支えか

節子
不覚にも風邪をひいてしまいました。
2日ほど前からどうも体調に違和感があったのですが、油断していました。
久しぶりに昨日の夕方発熱し、8時過ぎに就寝。
残念ながら熱はおさまっておらず、さてさてどうしたものかと迷っています。
それで午前中にかかりつけのクリニックに行きました。
大したことはないと言われ、それよりきちんと血圧の薬を飲まないとだめだとまた叱られて、帰宅しました。
で、またそのまま、寝てしまいましたが、そんなわけで今日は1日、ほとんど寝ていました。
こんなに寝たのは、本当に久しぶりです。
やはり疲れがたまっていたようです。
熱を計ったら、おさまっていました。
風邪というよりは、疲労解消の警告の発熱だったかもしれません。
発熱は解消、しかしまだ疲労感は残っています。
困ったものです。

自分のことはなかなか見えてきません。
私のように、思慮浅いものにとっては、みずからを相対化することが苦手です。
調子がいいと突っ走り、悪いとめげてしまう。
できないにもかかわらず、何でも引き受けてしまう。
人から言われると、すぐに信じてしまい、その気になってしまう。
そのくせ、奇妙に自信があり、世界が見えているような気になっている。
度し難い、とは、私のようなものを言うのかもしれません。
しかし、そうであればこそ、時に止まらないといけません。
今日は、そういう1日だったのかもしれません。

伴侶は、時に自らの生き方の妨げになります。
人はそれぞれに、生きる時間や価値観が違うからです。
そのおかげで、伴侶と一緒に生きていると、みずからを相対化する機会に恵まれます。
妨げは、実は妨げではなく、みずからを高める支えになります。
伴侶は、妨げか支えか。
そのいずれかと捉えるかで、伴侶の存在は全く意味が変わる。
そして、その伴侶の死もまったく、反対の意味を持つわけです。

風邪をひいたくらいで、そんな大げさな話にするなと言われそうですが、
こうして風邪をひいただけでも、伴侶の存在のありがたさがよくわかるのです。

私にはもちろん、節子は妨げなどではなく、人生の支えでした。
支えがない人生は、それなりに大変なものです。


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