■節子への挽歌3335:まだ施しするものがある喜び
節子
今日はまた、夏日のような暑さになりました。
畑に行って、残ったさつまいもを掘り出し、庭木の整理をし、ホームページ作成のための新しいソフトをパソコンに入れて、ホームページをつくり替え、11月に予定しているイベントの案内フェイスブックを作成し、・・・と朝は思っていたのですが、暑さのために、結局は何もしませんでした。
娘の家に預かっていた荷物を持っていき、ついでに立ち上げた組織の通帳を(表紙が気にいらなかったので)郵便局で作り替えてもらい、さらに来年の手帳を100円ショップに買いに行ったら、それだけでもう疲れてしまい、ダウンしてしまったのです。
いやはや体力の低下はすさまじい。
そんなわけで、今日の午後は、結局、何もせずにすごしました。
少し涼しくなってから、これではいけないと思い、録画していたテレビの「こころの時代」を見ました。
禅僧の金子真介さんが日常の言葉で読み解く、「釈尊の遺言~仏遺教経から」です。
実は以前、途中まで見て、そのままになっていたのです。
ぼやっとしてお話を聞いていたのですが、最後の金子さんのお話で、心がピシッとしました。
こんな話です。
ただ苦しみが無ければ、苦しみの自覚がなければ、また喜びの自覚も持てないんですよね。私が、鳥取に住職をしておりました時に、お檀家を覚えるためにずっと托鉢をやっていました。
ある日のこと、お檀家で火事がありまして、もう丸焼けになっちゃった。
で、その近くに托鉢に行って、それでここの家は、あそこは火事になったから行くまいかな、と思ったんですけれど、昔から「托鉢は、村を残しても、家を残すな」というんですよ。
だから〈行かなきゃ〉と思って、そこの家の納屋だけが辛うじて残りましたので、その納屋の前に立ってお経を読みましたら、納屋の戸が開いて、おばさんが出て来まして、「まあ方丈さん、昼時分ですが、飯は食いなったぁ?」と聞くんですよ。
「いいえ。まだですけど」と言ったら、「これは貰い物の弁当だから、わしも半分食うし、上がって半分食べならんか」って。
〈どうしよう〉と思ったんですけどね、〈ああ、そうだ〉と思って、「頂戴します」。
藁を敷いたところでね、そのお弁当を半分こして頂いて。
そして帰りしなに、「まぁよう来てつかった。ほんによう来てつかった」。
その人が未だに、それから幾十年なんですけれど、まるで親元から小包が来るみたいに、お正月前はお餅を送ってくるんです。
で、幾十年経って話しましたら、「わしは方丈さんに救われた。もうこれでいよいよ人生は終わったと思った。だけどあの何にも無くなったところに、あなたが立ってお経を読んだら、わしはまだ施しするものが、弁当があるということに気が付いた。方丈さんは私の恩人です」って、くすぐったいんですけど言うんですね。
それの中に、私はやっぱり苦しみ、これを先ずは「苦しみは来るのだぞ。思い通りには絶対ならないんだ」という自覚・覚悟を持って、そして来たら、その上に立って、本当の幸福って見えてくるんじゃないか。それが四聖諦を納得した上で、八正道にするということじゃないかな、と思っております。
一寸断片的な引用なので、伝わらないかもしれませんが、
その話を聞いて、思わず姿勢を正してしまいました。
まだ施しするものがある、という喜び。
最近少しそれを忘れているのではないか。
そう気がつきました。
だからとって、その後、頑張ったわけではないのですが、何かとても元気が出てきました。
図書館に、白洲正子さんの「かくれ里」を借りに行って、読み直すことにしました。
これまた驚いたことに、昔読んでいた記憶と全くと言っていいほど、違うのです。
あの頃、つまり、白洲正子さんが「芸術新潮」に「十一面観音巡礼」や「かくれ里」を連載していた頃が、とても懐かしく感じられます。
どこで、人生を間違えてしまったのだろうか。
そんなことを考えながら、節子と出会った近江の風景を思い出す1日でした。
近江は、魅力的なところです。
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