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2016/10/03

■「自分の足で立ち、自分の頭で考える人」でありたい

「理論社」の創業者である小宮山量平さんは、「自分の足で立ち、自分の頭で考えなければ、第2の敗戦が訪れる」と話されていたそうです。
小宮山さんは、数年前に95歳でお亡くなりになりましたが、たしか80代になってから長編小説に取り組まれだした。
娘さんのお一人が、たまたま私が住んでいる我孫子にお住まいだったこともあり、何回かお会いした時に、お父上の小宮山量平さんのことを知りました。
関心を持って、お書きになったものを少し読ませてもらいましたが、心に響くものばかりでした。

先ほど亡くなられた、むのたけじさんもそうですが、戦争を体験されるとともに、敗戦後の時代を生きた人たちのメッセージは、心に響くものがあります。
たぶん生々しい思いが、そこにあるからでしょう。
むのさんに直接インタビューして本にした黒岩比佐子さんから、むのさんのお話をお聞きしましたが、黒岩さんがかなり興奮しながら、むのさんのお話をしてくれたのを覚えています。
むのさんの心が、黒岩さんの心を揺さぶったのでしょう。
その黒岩さんも、若くして亡くなってしまいました。

小宮山量平さんが危惧されていたように、いまの日本は、「自分の足で立ち、自分の頭で考える人」がいなくなってきたような気がします。
ですから、せめて自分だけは、そうならないようにしたいと思っていますが、それだけでは私自身にとっても住みよい社会にならないでしょう。
ですから、できるだけまわりにも働きかけ、この時評ブログも書き続けているのですが、書き続けるのは、それなりのエネルギーが必要です。
このブログは、読者も少なく、書いたところで社会への影響はほとんどないでしょうが、一人でも読者があれば、書く意味、あるいは書く責任はあると考えています。
しかし、どうも書く気力は萎えがちです。
たぶんそうしたことから社会の劣化が始まるのでしょう。
社会の劣化は、だれにとっても、自分から始まるのです。
社会を嘆く前に、むのさんや量平さんの生き方に学びたいと思います。

小宮山量平さんの、もう一人の娘さんによれば、量平さんは、『おかあちゃん、ちっともいい世の中にならなかったねえ』と話していたそうです。
「いい世の中」になっていくのは、いつなのでしょうか。

そのために、これからも私は、自分の頭で考えていきたいと思っています。

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