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2016年11月

2016/11/30

■市民による直接民主主義と愚民による問いかけ

民主主義を語る時に、引き合いに出されるのがアテネの民主主義です。
私は、アテネの政治は、民主主義ではなかったと思っています。
あれは、生きるための苦労を女性や奴隷たちに任せて、政治を生業とした「市民」たちが自分たちで制度化した問題解決の手法でした。
そこで「民」というのは、ほんの一部の人たちです。
漢語でいう「民」の意味とは全く相いれないものです。
そこを意識しておかないと、「愚民」という概念が入り込んできます。

ソクラテスは、このアテネで制度化されていた「市民による直接投票制度」、
つまり私たちが、直接民主主義と言っているものには賛同していなかったようです。代わりにソクラテスが取り組んだ政治行動は、市民に対する問いかけでした。
今回のこのブログの記事の流れから言えば、これは「愚民からの問いかけ」と言ってもいいかもしれません。

ソクラテスの問いかけは、アテネ市民を混乱させ、結局、彼は市民の直接投票で「死刑」になります。
キリストは、自らが十字架で磔(はりつけ)されることにより、その後の世界に大きな影響を与えましたが、ソクラテスは自ら毒杯を飲んで市民たちに応えましたが、その後の歴史にはあまり影響を与えませんでした。
これは、アテネとローマの民たち(アテネでいう市民ではなく、女性や奴隷も含んでの「民」です)の状況(人間的熟度)の違いかもしれません。
これに関しては、大澤真幸さんの「夢よりも深い覚醒へ」(岩波新書)の中で紹介されている良知力さんの「向こう岸からの世界史」(1848年のドイツ革命論)が大きな示唆を与えてくれそうなので、いま読みだしたところです。
ずっと気になっていたこの本を読む気にさせてくれたのは、19日のフォーラムの小林さんと伊藤さんの発言ですので、おふたりには感謝しなければいけません。

ソクラテスの問答法は、自分の考えを教えるわけではなく、相手の気づき/自覚を引きだすものでした。
ソクラテスの問いかけは、ソクラテスが知らないことの問いかけではなく、相手が気づいていないことを気づかせるための問いかけでした。
さらに言えば、問いかけた相手が「考えさせる」ための誘い水でした。
しかし、それによって、問いかけられた人は、自らの生き方を問い質されることになります。
言葉は語っても何も考えていないことにも気づかされるのです。
そのために、困惑した市民たちによって、ソクラテスは死刑の判決を受けるのです。
ソクラテスは、逃げられる機会はあったようですが、結局、毒杯をあおって自ら命を絶ちます。
なぜ彼は毒杯をあおったのか。
これに関しても以前ブログで書きましたが、いま思うには、それこそがソクラテスの問答法の究極点だったのでしょう。

話がソクラテスに行きすぎましたが、民主主義を語る場合、主なる民とはだれなのか、どこまでの民を包含するのかがポイントです。
もし、民主主義が「個人の尊厳」を基本に置くものであれば、そもそも「民」を「愚民」と「賢民」に分ける発想は矛盾します。

アテネで言えば、民会や執政官を構成した「市民」とアテネの社会を支えていた「住民」と、どちらが主役だったのか。
最近の韓国の大統領弾劾騒動を見ていると、アテネの陶片追放の歴史を思い出しますが、「愚民」という概念は、民主主義の本質につながる概念であることは間違いありません。
問題はどうすれば「愚民」と言われないような存在になれるかです。
ソクラテスの行動は示唆に富んでいますが、最後に死を迎えるのではいささかモチベーションは高まりません。
どこかにもっといい方法がありそうです。

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2016/11/29

■節子への挽歌3375:なにも買わないショッピングモール

節子
久しぶりに、家族的な1日を過ごしました。
娘や孫と近くのショッピングモールに出かけました。
本当は食事をする予定でしたが、娘家族が買い物があると言うので、少し遠くのショッピングモールに行きました。
そこには映画館などもあるため、何回か行ったことはあるのですが、家族との買い物は初めてでした。
2時間ほどと思っていたのですが、なんと4時間近くもいました。
娘家族の買い物は主に赤ちゃん用品だったので、私はさすがに付き合いませんでしたが、その間、久しぶりにいろんなお店を回ってみました。
節子と一緒に行っていた頃とは、お店の攻勢や雰囲気が大きく変わっています。
時代の変化を感じます。

しかし、時間を持て余して、途中は店内のソファーで休んでいました。
最近は休憩場所がたくさんあるので、ありがたいです。
そういえば、昔、節子と一緒に、両親を誘って、百貨店に食事と買い物に行ったことがありました。
あの頃、買い物に付き合わされた父はさぞかし退屈だったことでしょう。
自分がその立場になって、初めてそれがわかります。
4時間も店内にいたのですが、結局、私はほとんど何も買いませんでした。
思い出せば、父もそうでした。

肉体的には疲れましたが、今日はパソコンなどから解放されて、精神的には疲れが抜けたような気もします。

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■気付きを生む民主主義

民主主義という言葉は多義的に使われますが、物事の決め方という捉え方について考えてみましょう。
集団での物事の決め方には、決定と合意があります。
決定とは、集団としての一つの意思を明確にするということで、決定されたことは全員が従わなければいけません。
日本の政治で行われているのは、この方式です。
そして、そこで採用されているのが多数決原理です。
国会は、議論の場というよりも決定の場として捉えられています。
ですから、政権党と国会の第1党が違っている時には、「ねじれ国会」と言われ、物事がなかなか決められずに、それが問題だと言われていました。
決定が国会の目的だとすれば、「決められない国会」は問題視されるでしょう。

しかし、国会での決定に時間がかかることは悪いことなのか。
私はまったくそう思っていません。
時間がかかるには、それなりの理由があるはずです。
ねじれ国会は、私はとてもいい形だと思います。
そこでは熟議が行われ、さまざまな視点で議論が深められるからです。

宮本常一は、「対馬にて」という論考で、村の取り決めに関する興味ある報告をしています。
有名な話なのでご存知の方も多いと思いますが、村で取り決めをおこなう場合には、みんなの納得のいくまで何日でも話しあうという話です。
参加者の異論がなくなった時点で、話し合いは終わり、終わった以上はそれを破る人はいないというのです。
決定事項に従わなければいけないという言い方もできますが、多数決での決定の場合とは、その意味合いは全く違うような気がします。

これは何も日本に限った話ではありません。
北米のイロコイ族などの先住民の部族の集まりもそうだったようですし、ネルソン・マンデラの『自由への長い道』には、南アフリカの部族の集まりでは、全員が話すまでは決定が下されない、と書かれています。
いずれも、多数決で決定するのではなく、とことん話すことで、全員の合意が生まれることを大切にしているのです。

決定と合意。
同じように聞こえるかもしれませんが、前者は結果を目的にし、後者はプロセスを目的にしています。
前者では異論があっても決定に合わせなければいけませんが、後者はプロセスの中で自らの考えが変わっていくのです。
つまり、昨日の記事の言葉を使えば、自覚や気づきが内発的に生まれてくる。
ですから、たとえ決定事項が文字にしたら同じであっても、その意味内容は微妙に違うのです。
しかも、プロセスを通して、人間関係も変わってくるでしょう。

これこそが「気付きを生む民主主義」です。
マンデラはこう書いています。

いつまでも要を得ずにとりとめなく話す人がいる。 また、差し迫った問題に直接言及し、単刀直入にずばり議論を始める人もいる。 感情的な話し手もいれば、そうでない人もいる。 民主主義はすべての人に耳を傾け、人として一緒に決断を下すことを意味する。 多数決は異質な考え方だ。 少数派の意見が多数派の意見によって押しつぶされてはならない。 同意しない人々に結論を押しつけてはならない。 もし合意に至らなければ、別のミーティングを開くことになるだろう。
ここには、「愚民」は登場しません。

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2016/11/28

■節子への挽歌3374:語り合う人がいてこそ思い出

節子
最近、テレビでニュースを見ることは少なくなりましたが、テレビ自体は見る時間が増えてきています。
昨日も、NHKの「にっぽん縦断 こころ旅」を見ました。
火野正平が自転車で全国を走り回る番組です。
テレビをつけた時、見たことのある風景が目に入ってきました。
琵琶湖の海津大崎でした。
そしてそこから湖東へと向かい、何回も通ったことのある南下するコースでした。
ところどころで見覚えのある風景に出会いました。

節子と最後に海津大崎に行ったのは、たしか桜の季節でした。
その年は、ともかく桜前線と一緒に、各地の桜を見に行ったものです。
桜三昧の年でしたが、私にはほとんど記憶は残っていません。
ただただ節子についていっただけですから。
記憶に残すほどの余裕が、私にはなかったのかもしれません。

テレビを見ていると、時々、節子と一緒に言った風景に出会います。
こうして見ると、それなりにいろんなところに行ったような気もします。
節子がいたらきっと画面を見ながら話が弾むのでしょうが、一人で見ていては話し相手もいません。
思い出は、語り合う人がいてこそ、思い出なのかもしれません。
一人で、思い出に浸るということもあるのかもしれませんが、どうも私には無縁な気がします。
節子は、いつも、また思い出ができたと言っていましたが、あれは何のためだったのでしょうか。
私への贈り物だったのでしょうか。
それとも節子が彼岸に持っていくためのものだったのでしょうか。

思い出とは、不思議なものです。

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■啓発と気づき

「愚民」や「家畜」という言葉は、他者を指していう言葉としては共感できませんが、自らを省みての戒めの表現としては、私は受け入れることができます。
いまの私たち(私というべきかもしれませんが)には、世界はなかなか見えてきませんし、制度や権力に依存して生きている面が少なくありません。
ともすれば、何も考えずに、言われるとおりに生きているのが楽であることもあります。
小林さんと伊藤さんは、それに対して檄を飛ばしたとも受け取られます。

たしかにいまの社会は、広がりすぎて、理解するのは簡単ではありません。
原発にしろTPPにしろ、その正体をつかむのは難しい。
そうした社会の中で、自ら思考しながら生きていくのは、それなりのエネルギーが必要です。
その結果、気が付いてみれば、「愚民」「家畜」と言われるような生き方になってしまっているのかもしれません。
16世紀にラ・ボエシが「自発的隷従論」で書いたように、私たちは隷従をやめるだけで解放されるはずなのですが、それはそう簡単なことではありません。
http://cws.c.ooco.jp/book2.htm#005

しかし、「愚民を啓発する」という発想は、あまりに民主主義的ではありません。
なぜなら民主主義とは、一人ひとりが主役であって、誰かのために存在するわけではないからです。
いうまでもありませんが、「啓発」や「啓蒙」は、誰かの視点で行われますから、ある意味での「支配」につながります。
そこには「知の階層」があり、それは「社会的地位の階層」(社会秩序)につながっています。
〈知は力なり〉というように、知が支配構造を規定していきます。
「知の格差」がある閾値を超えると、社会秩序を組み替える動きが起こります。
しかし、そこでも同じように、知の階層が作動しますから、それは「革命」にはつながらないでしょう。
それに対して、民主主義の理念は、知の階層を基本にはせずに、個人の、あるがままの知を基本にします。
それが「個人の尊厳」ということではないかと思います。
そこには、「知の階層」はありません。
しかし、それゆえに、社会の構造原理は大きく違っていくでしょう。
それこそが「革命」ではないかと思います。
残念ながら、個人の尊厳を基本にした社会秩序の原理は、まだなかなか見えてきません。

なにやら難しい議論になってきてしまいましたが、手段的な概念である「啓発」や「啓蒙」に代わるものは何でしょうか。
それはたぶん「自覚」や「気づき」です。
「自己啓発」という表現もありますが、大切なのは「内発的な自然の気づき」です。
それはたぶん「体験」から生まれます。

民主主義は「力」を基軸に置くか、「気付き」を基軸に置く蚊によってまったく違ったものになります。
多数決で決定する民主主義は、まさに個人を力の単位にしていますが、「気づき」は他者とのつながりの中で生まれ、作動します。

アーノルド・ミンデルは、自分や他人の内側で起きている経験についての気づき/自覚を重視する「ディープ・デモクラシー」を提唱しています。
そこでは、結果ではなくプロセスが重視されます。
それに関しては明日、改めて書いてみようと思いますが、啓発よりも気付きを起こしていくことが、いま求められていることではないかと思います。
であればこそ、私は、デモよりもサロンを大事にしているのです。

12月3日にはリンカーンクラブのサロンが湯島であります。
よかったらご参加ください。

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2016/11/27

■節子への挽歌3373:「私は沈黙していたのではない」

節子
久しぶりに、遠藤周作の「沈黙」を書棚から引っ張り出して、最後の部分を読みました。
そこに書かれていたのは、こんな文章です。

今までとはもっと違った形であの人を愛している。 私がその愛を知るためには、今日までのすべてが必要だったのだ。 (中略) あの人は沈黙していたのではなかった。 たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた。

「沈黙」をひっぱり出してきたのは、今朝のNHKの「こころの時代」で、取り上げられていたからです。
遠藤周作の歴史小説「沈黙」は、江戸時代初期のキリシタン弾圧の渦中に置かれたポルトガル人の司祭ロドリゲスの「ころび」を題材に、神と信仰の意義を描いた重厚な作品ですが、今年、ハリウッドで映画化されました。
その映像をイメージしただけで、私にはとても見には行けないと思っていますが、今日の番組を見て、本は読み直せるかもしれないと思ったのです。

この本を読んだ時の衝撃は、その後もずっと残っています。
たぶんもう読み直す気にはならないだろうと思いながらも、その本が私の乱雑な書庫のどこに蔵書されているかは常にはっきりとしている、特別の本の1冊です。
40数年間、開いたことのない本を開いて、最後の5ページだけを読みました。
この本のエッセンスは、最後の数ページにあることだけは覚えていたからです。
その前の部分は、ストーリーはともかく、思い出すだけでも気分が重くなるイメージが明確にあるため、いまもなお読む気にはなれません。
そして、その最後の最後にあるのが、上記に引用した文章です。
キリスト教徒たちを拷問の苦しみから救うために、自ら〈踏絵〉してしまった司祭ロドリゲスの言葉です。
そこには、「愛」とは何かが、書かれています。

神への愛と人への愛は、質が違うと言う人もいるでしょうが、私には「愛」は一つです。
節子への愛も、神への愛も、自分への愛も、他者への愛も、すべて同じなのです。
それは節子も知っていたことです。
独占したり、独占されたりする「愛」は、私の考える「愛」ではありません。
それは、はかない愛の幻でしかありません。
「愛」は所有されるものでも限定されるものでもないのです。
まあ、そんな「愛」の議論はどうでもいいのですが、「沈黙」の最後のこの文章は、愛の本質を語ってくれているように感じます。

同時に、「沈黙」の意味も語っています。
同じ場所にこんなやりとりがあるのです。

踏絵を躊躇するロドリゲスに向かって、踏絵の木のなかの主が、「踏むがいい」というのです。
言葉でではありません。哀しそうな眼差しで、です。
「踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう。今日まで私の顔を踏んだ人間たちと同じように痛むだろう。だがその足の痛さだけでもう充分だ。私はお前たちのその痛さと苦しみをわかちあう。そのために私はいるのだから」。
ロドリゲスは、問いかけます。
「主よ。あなたがいつも沈黙していられるのを恨んでいました」
それに対する主の答えは、とても心にひびきます。
「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」。

この言葉を、私は忘れていました。
40数年前に、とても感激したはずだったのですが。
見えなくても存在するものがあるように、聞こえなくても呼びかけられているものもあるのです。

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■「気づきのない民主主義は独裁政治」

「愚民民主主義?」の続きです。
「愚民」を啓蒙することが必要だと、19日のゲストのおふたりは話しました。
その言葉に、会場から「目線が高い」という声がありました。
目線の問題でしょうか。
私には、それ以上に「人間観」や「人間性」の問題のように思います。
同時に、「民主主義」の捉え方の問題でもあると思います。

カリフォルニア大学のへンドリックス教授は「気づきのない民主主義は、ある種の独裁政治である」と言っています。
私流に言いかえれば、「民主主義とは気づきあうこと」です。
つまり、自らの生き方の問題が問われているのだろうと思います。
大切なのは「他者の啓蒙」ではなく、「自らの知性」を磨くことです。
そうすれば、他者を愚民と捉えるのではなく、その思いをしっかりと受け止める姿勢と理解力が生まれるでしょう。
人は「言葉」によって伝え合っているわけではありません。
その「言葉」、もしくは「無言」の奥にある、メッセージを読み取ることこそが、コミュニケーションです。
言葉のやりとりだけなら、「愚民」ならずとも「機械」にさえできるでしょう。
知性があれば、人を「愚民」扱いはしないでしょう。
そして、現場で生きている人たちから、たくさんの学びを得ることができるでしょう。
私が、会場で、あえて「視点を変えれば、おふたりこそ愚民」と発言したのは、その意味です。
少しばかりの知性があれば、それに気づいてくれたと思いますが。

私たちは、意識としては、他者の意見にも耳を傾けようという姿勢を持っています。
社会で生きていくためには、自分だけが正しいとは限らないことを知っているからです。
しかし、実際には、私たちは、自分の考えを基準にして考えがちです。
そして、それを理解してくれない人たちに、なんとか理解させたいと思うこともあります。
たとえば、私は「原発は人間が管理することのできない危険なもの」であり、「運転の安全性」は問題の本質ではなく、「原発そのものの安全性」を問題にすべきだと思っています。
そう確信しているために、運転の安全性を議論している人に会うと議論を放棄しがちですし、そういう人の考えを変えたくなります。
つまり、「啓蒙」したくなる。
しかし、そこには私が正しいという思い込みがあるわけです。
それでは議論は始まりませんし、そもそも私自身が「啓蒙」されることはありません。
頭ではわかっていますが、私自身、こうした過ちを犯していることは少なくないでしょう。

そこに、民主主義のむずかしさがある。
いまの日本の政治に異議申し立てをしないで、政権支持をしている人たちは、満足しているのでしょうか。
なぜ行動を起こさないのかと、私も思います。
しかし、起こさないのには起こさない理由がある。
いや、ある意味では起こしているのかもしれません。
それを無視して、「愚民」と決めつけたり、「怒り」を感じても、何も始まりません。
まずは自らが信ずることに従って、行動を起こすことです。
もしかしたら、多くの国民はすでにそうしているのかもしれません。
それが見えるだけの知性と気づきの姿勢を、私は持ちたいと思っています。
すべての始まりは、自分からですから。

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2016/11/26

■節子への挽歌3372:3000円の使途

節子
今年は秋が短かったですが、このところ、秋の果物が届いています。
昨日は義父の佐々木さんから、節子の好物だった富有柿がどっさり届きました。
早速供えておきました。

わが家の畑のみかんも10個ほどなっています。
ゆずにいたっては、もう山のようになっています。
いずれも、節子が最後に植えていたものです。
なんでゆずなど植えたのでしょうか。
林檎か柿なら、食べられたのに。
なぜか節子はそうした果実には関心がありませんでした。

最近、周りでいろんな問題が起こっています。
景気回復などという報道もありますが、私のまわりではその真逆の風がふいています。
特に、個人で仕事をしている人たちは大変で、今日もそんな相談が届きました。
手元にお金があれば、何とかしたいのですが、幸か不幸か、節子が残していってくれたお金はほぼすべて放出してしまっていますので、資金の支援だけはできません。

実は、先月、低所得者向けの人に3000円の一時金の支給がありました。
私もいま低所得者なので、その恩恵を受けることになり、3000円もらいました。
もう少し額が多ければ、どこかに出張にでも行けますが、3000円では仕事はできないので、どうしようかと思っていましたが、宝くじを買うことにしました。
もし10億円当たったら、来年は良い仕事ができるでしょう。
その前に、周辺で困っている数名に支援もできますし。

しかし、お金は人を狂わせますから、当たらないほうがいいかもしれません。
宝くじなどやめて、どこかにそのまま寄付したほうがいいかもしれません。
いや、寄付したら、どう使われるかわからない。
やはり明日宝くじを買いに行きましょう。

なんだか最近、どんどん考えることが小さくなってきました。
10億円当たったら、きっともっと「小さく」なってしまうのでしょう。
お金は人を小さくします。
節子がいなくなったので、お金のことを考えなければいけなくなりました。
困ったものです。

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■愚民民主主義?

19日に、「国民の声は政治に届いているのか」というテーマで公開フォーラムを開催しました。
その簡単な報告は、このブログにも書きましたが、そこでは書かなかったことがあります。
ゲストに、憲法学者の小林節さんと弁護士の伊藤真さんをお呼びしました。
そのおふたりから、衝撃的な発言があったのです。
いまの日本の国民は、「愚民」「奴隷」「家畜」だと、繰り返し明言したのです。

伊藤さんの論旨はこうです。
いまの政権の施策を多くの国民は支持している。
自分の生活や利害に直接関係ない問題に、理解も関心も持たない「愚民」の声は政治に届いていると言えるのではないか。

小林さんはこう言います。
憲法の問題を話しても、自らの生活を維持するので精いっぱいで、そんな問題など関心を示さない。
こいつらは愚民だと思う。

正確には、そのうちに動画記録をリンカーンクラブのホームページにアップしますので、それを見ていただきたいですが、そう大きくは違っていないでしょう。

私自身は、おふたりの発言にはさほど驚きませんでした。
いわゆる「有識者」のみなさんの本音が、これほどあらわに出ることは少ないですが、日ごろの言動から伝わってきていることですから。
この発言に対しては、さすがに会場から反論的な意見は出ました。
おふたりの「目線の高さ」を指摘した人もいました。
しかし、ほぼ例外なく、発言の最後はなぜか、その「愚民論」を受け容れてしまうような、腰砕けの意見が多かったのです。
私にとっては、それがむしろ驚きでした。
もっと怒ってしかるべきでしょう。
怒ることを忘れたのか!
私は進行役でしたので、怒りをぶつけることもできず、しかし一言だけ、「価値観の置き方によっては2人が愚民になる」と話させてもらいました。
おふたりからの反論はありませんでしたが、もしかしたらそんな指摘を受けたこともないでしょうから、耳に入っていなかったかもしれません。

リンカーンクラブは、できるだけ民主主義の理念に社会を近づけていこうという思いで活動しています。
そこで考えている「民主主義」とは、民主政治制度のことではありません。
「個人の尊厳を尊重する」ということです。
ちなみに、おふたりも、そういう表現も使っていたように思いますが、国民を「愚民」と見なしてしまうこと自体が、「個人の尊厳」を否定することです。
たぶんおふたりとも「個人の尊厳」の意味を知らないのでしょう。
国民の多くを「愚民」と決めつけることは、まさに「個人の尊厳」を否定することであり、日本国憲法の理念に反するのです。
もしかしたら、おふたりとも、日本国憲法を読んでいないのではないかと、私には思えました。
そんな馬鹿なと思われるかもしれませんが、読んでいて理解できないほど「愚かな」人ではないでしょう。

おふたりの主張は、「愚民」は相手にせず、です。
自分たちは「愚民」の仲間に入れていないのですが、先日のフォーラムに集まった人たちは、かれらのいう「愚民」でしょうか。
たぶんおふたりは、わざわざ集まってくれた「愚民」でない人たちに、むしろ「迎合」していたのかもしれません。
もしそうだとしたら、とんでもない思い違いです。
なかには、おふたりの話をありがたく聞いた人もあるかもしれませんが、私には、その後、失望したとかがっかりしたというメールがいくつか入ってきています。

書いていて、だんだん嫌になってきました。
このフォーラムの終わった時には、いろいろと書きたいと思い、昨日も書こうと思っていましたが、今日、書いているうちにだんだんむなしくなってきました。
怒りが消えていってしまったのです。
実は昨日、フェイスブックで予告したので、アップしないわけにはいかないのですが、昨日は少し「大見得」を切ってしまった気がします。

いろいろと書こうと思っていたのですが、やはりどうもモチベーションがあがりません。
少し視点を変えて、改めて書き直してみようと思います。

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2016/11/25

■節子への挽歌3371:節子の日記

節子
椿山荘で集まりがあったのですが、その帰り、江戸川橋の駅に向かって歩いていたら、目の前のビルに大きな字で「高橋書店」と書いてあるのに気づきました。
懐かしい名前です。
節子は、高橋書店の日記帳で毎日日記をつけていたのです。
それを思い出しました、

その節子が残した日記帳は、いまもたくさん残っています。
節子は私に会う前から日記をつけていましたが、その日記も私の手元に残されました。
節子が逝ってしまった後、いつか落ち着いたら読もうと思っていましたが、読もうという気はなぜかまったく起こってきません。
夫の私がそうなのですから、たぶん娘たちも読むことはないでしょう。
ですから、私がいつかすべてを焼却しようと思っています。
でも今は、まだその気にはなれません。

私も日記は子ども時代から書いていました。
しかし、私の場合は、節子と一緒に暮らすことを決めた時に、それまでの日記はすべて焼却しました。
節子に見られて都合が悪いことが書いてあったわけではありません。
それまでの人生を、すべて白紙にして、節子と新しい人生を描き出そうと考えたのです。
そして、節子と一緒に暮らし始めてからは、私は日記をやめました。
時々、節子の日記に特別出演で書いたことはありますが。

ホームページを作成してからは、そこにかなり克明に私の人生記録を残すことにしました。
いまもそれは書き続けています。
最近は、この挽歌のブログが日記代わりになってしまいましたが、ホームページでも週間記録を書いています。
ほとんど誰にも読まれないでしょうが、書くことで自分が整理できるのです。
整理して、それがなんだと思わないこともありませんが。

時々、昔の言雄思い出すことはありますが、そんな時に、ホームページの週間記録を読むことがあります。
ところが、読んでみると、私の記憶とはかなり違うことが書いてあることがあります。
記憶とは、以下にいい加減なものか、時々思い知らされます。
節子の日記を読んだら、私の記憶に残っている節子とは違う節子に出会えるかもしれません。
最近、私のなかでは、どんどん節子が美化されているようなので、幻滅するかもしれません。
でもそれもまた、面白いかもしれません。

そんなことを考えながら、帰宅しました。

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■「悪いのはわたしたちである」

先日のリンカーンクラブのフォーラム以来、どうも元気が出ません。
そこで感じたことをブログで書こうと思いながらも、あまりにもみなさんと温度差があるので、躊躇してしまいます。
そこで少し冷却期間をとっていましたが、
昨日、参加できなかった友人から、私の報告記事を読んだ感想が届きました。
そこにこう書かれていました。

システム、権力者、国民…と一見バラバラのようで、「悪いのはわたしたちである」とする佐藤さんからは「外に原因を求める」点では同じに見えたのかなと思いました。
とてもうれしいコメントです。 初めて私のメッセージをきちんと受け止めてくれた人がいたと、少し元気になりました。

実は、当日のフォーラムでも、最後に私は感想を言うつもりでしたが、時間がなくなったために、簡単にしか言えませんでした。
そこで2つだけ、簡単に話しました。
ひとつは、「有識者」と言われる人たちと「生活者」の人たちの世界が、こんなにも違うのかという驚き。
もうひとつは、みんな「誰かのせいにしているという姿勢」を感じたという失望。
ゲストと参加者全員への批判ですので、かなり遠慮しながら話しましたので、逆に伝わらなかったかもしれません。

でも正直、いささかがっかりしました。
ちなみに、リンカーンクラブへの新たな参加者は3人だけでした。
デモに参加していたほうがよかったかなとさえ、思いました。
しかし、これもまた「悪いのはわたしたちである」という私の姿勢からすれば、身から出たさびでしかありません。

とまあ、この件は書きだすとどうしてもいささか感情がふきだしそうなのですが、友人から元気をもらったので、ブログに書きだすことにしました。
今日はこれから出かけて、1日、たぶん缶詰なのですが、明日からブログに書く予定です。
さすがに、フェイスブックにはアップしないつもりですが。

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2016/11/24

■節子への挽歌3370:節子のまなざし

節子
あまり意識したことはないのですが、なんとなく「節子のまなざし」を感じながら生きていることに、最近気づきました。
おそらく少しさびしさがうすれたのは、そのせいかもしれません。
それに毎日何回かは、いまも節子の声をかけています。
朝、起きて、私が最初にやることは、節子の位牌がある仏壇にロウソクを灯し、水を供えて、線香をあげることです。
そして、節子に挨拶し、般若心経を唱えます。
その日の気分によってですが、節子に感謝の言葉を添えることもあれば、不満をぶつけることもあります。
そして私の1日が始まるわけです。

挽歌を書くときにも、それなりに節子と対話します。
挽歌を書く時間は短いですが、その前後に少し節子と対話することもあります。
就寝する時には、一応、節子に挨拶をします。
真夜中に目が覚めて、ふと節子を思い出すこともある。

そんなわけで、少なくとも1日3度は節子と話しています。
しかし、それだけではありません。
最近なんとなく、「節子のまなざし」を感ずることがあります。
うまく説明できませんが、節子がいつも私のしぐさを見ているような気がするのです。
だれかと話している時に、突然それを感ずることもあります。
一人で本を読んでいる時に、突然に、その気配を感ずることもある。
まあ、そんなわけで、いまの私は常に節子に見張られているともいえるわけです。

ですから、節子を裏切るわけにはいきません。
こういう書き方をすると誤解されそうですが、
節子を裏切るわけには行かないという意味は、誰かを愛することができなくなったとか、そんな話ではありません。
自分に素直に生きる生き方を裏切らないという意味です。
節子は、私が私自身に嘘をつかないからこそ、私を信頼してくれていました。
節子は、いつも、私が私らしく生きることを支えてくれていました。

もしかしたら、最近、その「私らしい生き方」がちょっと崩れているのではないかという気が、しないでもありません。
その生き方に対して、節子はもしかしたら、不満なのかもしれない。
それで、最近少し「節子のまなざし」を感ずる度合いが増えたのかもしれません。
この挽歌を書きながら、それに気づきました。
そういえば、最近少し私自身、妥協が多くなってきています。
妥協と寛容さを混同しているのかもしれません。
それはもしかしたら、究極の仲間の節子がいないからかもしれないのですが。

なにやら矛盾した内容の挽歌になってしまいました。
これもまた節子のまなざしのせいかもしれません。
困ったものです。

今日の朝は、11月にも関わらず、みぞれ降る寒いの朝です。
そのせいか、早く目覚めてしまいました。

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2016/11/23

■ベトナム国会議員の賢明さ

今朝の朝日新聞にこんな記事がありました。

ベトナム国会は22日、日本とロシアの企業が建設を担う南東部ニントアン省の原子力発電所計画を撤回する案を可決した。安全性を見直したところ建設費が当初計画より倍増し、財政的に難しいと判断した。日本にとっては、官民共同で獲得した原発輸出事業が頓挫することになった。

ベトナムの政治家は、まだしっかりした思考力を持っているようです。
この話は、3.11福島原発事故の発生の前に成立した話ですので、福島事故が発生した後は、判断愛量がまったく変わっているはずです。
日本からの情報を、彼らはしっかりと吟味したのでしょう。
ベトナムは、日本以上に電力を必要としているはずですが、賢明な判断をしたと思います。
私には、ベトナムの民度の高さをうらやましく感じます。

しかし、福島原発事故後に、輸出話が成立したインドの場合はどうなるでしょうか。
彼らは、福島の現実をきちんと調べたのでしょうか。
いや、日本は、福島の現実をフェアに伝え、コストや安全性の提案をしたのでしょうか。
そこに大きな疑念を感じます。
私には、どう考えても、詐欺行為としか思えません。
そうでなければ、売れるはずがありません。

それにしても、いまもって原発による電力コストが安いと言っている人がいる。
その一方で、原発事故の被害弁償費用や廃炉費用の巨額さが、それとは無縁に語られているのもおかしな話です。
さらに、原発が雇用を提供すると言っている人がいる。
福島の現実を、見てほしいと思います。
詐欺以外の何物でもないように、私には思えます。

今日の新聞の小さな記事は、私にはちょっとした救いの記事でした。
日本にも、ベトナムの政治家ほどにまともな政治家がいてほしいです。
もしいたら、ぜひお会いしたいです。

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■節子への挽歌3369:「朝来た」「僕頑張った?」

節子
NHKテレビの「にっぽん紀行」で、「29歳で逝ったあなた 伝説の棋士を巡るたび」という番組を見ました。
子どもの頃からネフローゼを引き受けた村山棋士の話です。
まさに、壮絶な、しかし輝くような人生を生き抜いた話に、ついつい見入ってしまいました。
テレビをかけたら偶然にやっていたので、途中からなのですが。

最期を看取った看護師の方が、最後の言葉を覚えていて、話してくれました。
「朝来た」「僕頑張った?」の二言だったそうです。
看護師の方は、その言葉は、とても死を迎える人の言葉とは思えなかったと言われました。
たぶんそれは、言葉ではなく、その時の村山さんの全体の雰囲気がそうだったのでしょう。
言葉こそ違いますが、まさにそれは、私が感じている節子の最後の言葉と同じです。
節子は最後の日には言葉を発することはできませんでしたが、ずっと一緒に寝起きしてれば、言葉を通さずとも、言葉は伝わってきます。
「朝が来た」
「昨日も頑張った」
その、節子の思いは、家族には無言のまま伝わったものです。

途中から見たので、正確ではありませんが、村山棋士は難病があればこそ、将棋に全生涯をかけたようです。
彼にとっては、病気あればこその将棋人生、つまりその両方を正面から引き受けたのです。
難病であることへの愚痴や不満は言わなかったようです。
見事としか言いようがない。
些細なことで自らの不運を嘆きたくなる私とは大違いです。
村山棋士は、29歳の人生とはいえ、いのちを燃焼させきったのです。

節子は、いのちを燃え尽きさせることができたでしょうか。
まだ言葉がなんとか話せるときに、「いい人生だった」と苦しそうに言ってくれたのが、私の大きな救いです。
その時に、「私もいい人生だった」と応えなかったのが、いまとしては後悔の念でいっぱいです。
その時には、とても言える言葉ではなかったのですが、節子と別れて10年近く経って、ようやく素直にそう思えるようになってきました。

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2016/11/22

■節子への挽歌3368:津波と夢

節子
大きな地震の揺れで、今朝は目が覚めました。
東北にまた大きな地震が起こり、津波も発生しました。
昨日、ある集まりで、まさに地震の話になり、最近はたくさんの人が大地震を防ぐための「気」を送って、それぞれが少しずつエネルギーを引き取っているのだというような話を、ちょっと怪しげに紹介して下さる人がいました。
怪しさはありますが、私はとても納得できました。
最近また津波の夢を見る人も増えてきているという話もありました。

3.11の大津波が起こる前、私も大津波の夢をよく見ました。
津波に追いかけられて、みんなで山を登っている夢も何回か見ました。
小高い場所ではなく、まさに山でした。
山の坂から後ろを見ると、すぐそこに、市街地ではなく、一面の海が見えたのを今でも鮮明に覚えています。
あるいは、津波に沿われた後の廃墟に残されて私自身の夢も見ました。
なぜか石造りの廃墟後の上に、私だけが取り残されていました。
なぜこんなにも津波の夢を見るのだろうと思っていたのですが、しばらく夢を見なくなってから、あの地震と津波が起こったのです。
その後は、津波の夢はまったく見なくなりました。
単なる偶然かもしれませんが、ちょっと気にはなっていました。

最近は、津波の夢は見ませんので、昨夜の話には、私はただ聞く一方でしたが、まさかその翌日に津波のニュースを聞くとは思ってもいませんでした。

きわめて不謹慎な話ですが、地震が来ると、私は時々、このまま世界がすべて終わればいいと思うことが、いまでもあります。
すべてが瞬時に、です。
もう「別れ」は体験したくないからです。
終わる時は、すべてが一瞬にして、終わってほしい。
そうであれば、誰も悲しむことはないでしょう。
「別れ」の辛さは体験した人でないとわからないでしょう。
そう思うと、私が死んでも、悲しむ人がいないような生き方に、そろそろ変えていかなくてはいけないという気もします。
それこそが、悟りの生き方ではないかと、この頃思うようになってきました。
死んだ後に、誰かを悲しませることだけはしたくないものです。

夢の話に戻れば、最近また夢をよく見ます。
節子はほとんど出てきません。
不思議なほど、知らない人ばかりでてきます。
しかし、遠い昔、会ったこともあり、なぜか会いたがっていたような気がする人ばかりです。
それに、彼らとよく議論しています。
何を議論しているかは思い出せないのですが、ちょっとアカデミックな感じが残っているような場所での議論です。
津波の夢が、もしささやかな未来につながっていたのだとしたら、最近よく見るこうした夢は何を意味するのでしょうか。

今日はどんな夢を見るのでしょうか。
ようやくいろんなことが終わり、懸案事項だったことも、今日なんとか先が見えてきました。
少しずつ、私も平安を取り戻しているようです。

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2016/11/21

■節子への挽歌3367:あの節子さんの佐藤さん

節子
このブログでも案内しましたが、一昨日、民主主義をテーマにしたフォーラムを開催しました。
そこに、わざわざ北海道から参加してくださった方がいます。
節子もよく知っている武田さんの友人です。
武田さんから紹介されて挨拶をしました。
そうしたら、「あの節子さんの佐藤さんですか」と言われました。
こういう言い方をされたのははじめてです。
もちろん彼女は、節子の知らない人です。
きっと武田さんが、この挽歌のことを話したのでしょう。
それで読んでくださったのだと思います。
しかし、なにやら不思議な気分です。
最初に「節子」の名前が、初対面の人の口から出てきたのですから。

節子は一度も会ったこともない、その方の中で、ある意味では生きているのかもしれません。
そして、私もまた、そのついでにその世界に小さな居場所を持っているわけです。
人の生き方はいろいろです。

現世で生きる人の人生は、限られています。
しかし、現世に限定しなければ、人はさまざまな生き方ができます。
私の心の中には、生者よりも、生き生きと生きている死者もいます。
彼らが、私の人生を支えていると言ってもいいかもしれません。

そういえば、その一昨日のフォーラムで、20年ほど前に会った人に会いました。
当時、彼は高校生でした。
20年ぶりに声をかけられても、とっさには思い出せませんでした。
若者だけではなく、私に近い年齢の方たちにも20年ぶりで会いました。
私が覚えていない人も、向こうは覚えていてくれました。

ちなみに、北海道の女性の中で生きている節子は、どんな人なのでしょうか。
人は記憶の中に生きています。
しかし、その記憶の世界は人によって違います。
人が生きているとは、どういうことなのだろうか。
そんなことを考えさせられました。

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2016/11/20

■節子への挽歌3366:六郷満山

テレビで国東六郷満山霊場の番組を見ました。
大分の国東六郷満山は、神仏習合の起こったところとも言われます。

昨日、20年ぶりくらいに偶然出会った、高天原神座宮祭主の知人と国東半島の話や神仏習合の話をしていたのですが、今日はまた偶然にも、その話につながるテレビ番組を見てしまったのです。

国東の六郷満山は2003年に一度、これもまた偶然に訪ねたことがあります。
大分の国見町に転居していた知人に頼まれて、そこの大光寺に講演に行ったことがあるのですが、その帰りに彼女がそこを案内してくれたのです。
私は、当時、六郷満山を全く知らず、お寺のご住職に、西の比叡山とも言われていると聞いて、案内してもらったのです。
その頃、節子の病気が発見されて1年目、藁をもつかみたい気分の時でした。
空港に向かう途中に立ち寄ったので時間があまりなく、両子寺と文殊山寺を足早に回っただけなのですが、その時はたぶん気が萎えていて、何も感じませんでした。
霊気さえ受け止められなかったのです。

なにしろ気分はどんぞこに近く、講演自体、友人からは褒められましたが、私としては満足できるものではありませんでした。
それに、講演した夜、お寺の本堂の裏に一人で泊まったのですが(なぜそうなったのか、これも記憶がありません)、真夜中に金縛りにあうなど、いささか、不思議な体験もしていました。
ですから、何をお祈りしたかさえ、記憶が全くありません。
ただただ長い階段を上ったことだけしか覚えていません。
今日、テレビで見て、なんとなく思い出した程度です。

その時、節子の胃がんの話を知った国見の人たちが、がんに効くという民間療法の霊芝というのをくれました。
他にもいろいろと貰いました。
残念ながら、どれも節子に奇跡を起こすことはありませんでした。
やはり私の祈りが弱かったのかもしれません。
六郷満山のことを、もっと知っていたら、違っていたかもしれません。

いまから思うと、あの頃は、私が一番おかしくなっていた頃かもしれません。
世界から現実感がなくなっていたのです。
そんな時に、なぜ国東半島まで出かけたかと言えば、それにはそれなりの理由があるのですが。

両子寺の石段をテレビで見ながら、あの頃に戻って、もう一度やり直せたら、奇跡を起こせたかもしれないとふと思いました。
昔を思い出すと、なぜか、悔いばかりが浮かんできます。

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■リンカーンクラブ公開フォーラムの報告

昨日開催したリンカーンクラブ活動再開記念フォーラムは60人ほどの参加者がありました。
テーマは「わたしたちの声を政治にどう届けるか」でした。
前半では、リンカーンクラブ代表の武田さんが、キースピーチを行い、
それにコメントする形で、憲法学者の小林節さんと弁護士の伊藤真さんが、お話をしました。
後半は、その3人も含めて、参加者みんなの話し合いになりました。
まずは、「なぜ私たちの声は届かないのか」、そして「どうしたら届けられるか」を話題にしました。

前半の話は間もなくユーチューブでアップします。
3人の話を、今回のテーマ(なぜ国民の声と政治にはギャップがあるのか)に即して整理すれば、
武田さんは「仕組み」に、小林さんは「政権側」に、伊藤さんは「国民側」に、問題があるというお話でした。
私自身も、「国民」、つまり「私」に問題があると考えていますが、その内容は、伊藤さんとは真反対の理由です。
伊藤さんは、現状に満足している国民、つまり「自分」とは無縁の国民に問題があると考えているようです。
これに関しては、実はもう少し刺激的な議論があったのですが、
部分的に紹介すると誤解されそうなので、ここではやめます。
ブログではもしかしたら書くかもしれません。

会場からの発言は、とても示唆に富むものだったと思います。
たとえば、マンションの住民組合ではみんなの声で運営することができるのに、
なぜ国政ではそうならないのか、という指摘には、私は大きなヒントがあると思いました。
都心飛行反対活動をしているという、「普通のサラリーマン」の人は、
まずは身近な問題を取り上げて、政治が自分たちの生活とつながっていることをみんなで理解していくことが効果的だと話されました。

子どもたちの教育に関わっている人たちからは、教育の問題もでました。
子どもたちの教育は学校だけの問題ではありません。
家庭の問題でもあり、地域の問題でもあり、何よりも私たち大人の生き方の問題だというような話も、ちらっとですがありました。
それこそ、私は民主主義の出発点だろうと思っています。

ちなみに、
子どもたちにいろんな現場を体験させたいと思い動き出しているが、
学校や教育委員会を説得できない、という話もありましたが、
説得する必要など全くなく、勝手にやればいいだけだと私は思っています。

1時間半ほどの話し合いの時間は、あっという間に過ぎました。
みんな話したいことがたくさんあるのです。
そして行動したいと思っている。
リンカーンクラブは、そういうエネルギーが集まる場にしていきたいです。
新たな入会者もありました。
みなさんも、ぜひご参加ください。
さまざまな声が集まってこそ、政治のレベルに近づけますから。

このフォーラムを受けて、12月3日には湯島で、リンカーンクラブのサロンを開催します。
その時には、私の個人的感想も、思い切り控え目に話させてもらおうと思いますが、
今日はかなり公式的な報告です。

交流会もとても盛り上がりました。
今回のフォーラムは、ボランタリーに手を挙げてくださった12人の実行委員を中心に企画運営しました。
本当にお疲れ様でした。私も含めての12人の人たちに感謝です。

日本の未来は、明るいです。たぶん。


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2016/11/19

■節子への挽歌3365:楽莫楽兮 新相知

節子
今日は朝からかなり本降りの雨です。
午後に品川で、民主主義をテーマにした公開フォーラムを開催するのですが、雨のためか、当日になって欠席の連絡が入りだしています。
機先を封じられるようで、元気が出ません。

節子が元気だったころ、こうしたイベントをいくつかやりました。
私が企画するのはほとんどが手づくりなので、みんなで創り上げる方式が多かったのですが、スタッフ不足で、節子や娘たちに応援を頼んだこともありました。
節子は、さほどはいけませんでしたが、それでも何回かの記憶はあります。

会社を25年間で辞めてからの生き方は、それまでとは全く違った生き方です。
仕事をすればするほど、収入ではなく支出が増えるというスタイルでしたが、それも次第にバランスするようになり、なんとか平安な暮らしをつづけられてきたわけです。
いまは収入に合わせて、仕事をしていますので、何とかバランスしています。
今回は、かなり赤字のイベントですが、まあ何とかなるでしょう。
声をかけたら、ボランタリーに10人を超す人がスタッフとして一緒にやってくれると申し出てくれました。
参加者はあまり多くはないのが気になりますが、また新しい人にも出会えるでしょう。
昨日の茂木さんの言葉、「楽莫楽兮 新相知」のように、新しい出会いは楽しいものです。

雨は止みそうにありません。
会は午後からですが、事前のミーティングを11時からやりたいと言われているので、そろそろ出なければいけません。
そんなに早く会って、何をするのか、と思いますが、まあ任せた以上は従わなければいけません。
今日の私の役割は、後半の進行役だけで、あとは雑用係ですが、いろいろと気になってしまうので、できるだけ口を出さずに、静かに過ごそうと思います。

今日のフォーラムを契機に、新しい物語を生み出されればいいのですが。

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2016/11/18

■節子への挽歌3364:辞去の辞

節子
茂木さんの娘さんから、「辞去の辞」が書かれたお手紙が届きました。
茂木さんといっても、節子は覚えていないでしょう。
一度だけ、湯島に来てくれたことがあります。

茂木さんとお会いしたのは、もう30年程前です。
私がまだ会社に勤めていたころ、あまり乗り気ではない講演会に参加しました。
すでに講演会は始まっていました。
受付に、私よりも年長と思える茂木さんが一人でぽつんと座っていました。
会場に入るのも、あんまり乗り気ではなかったので、そこで茂木さんと15分ほど立ち話をしました。
何を話したのか、まったく覚えていません。
しかし、奇妙に心が通じ、名刺交換をさせてもらいました。
そこから細い付き合いが始まりました。
会社を辞めて、湯島をオープンした時に、その茂木さんは湯島にわざわざ来てくれました。
そこで、節子も会っているはずですが、いろんな人が来てくれたので、覚えてはいないでしょう。
私も少しだけ言葉をやり取りしただけでした。
ですから、私も茂木さんとゆっくり話したことはないのです。
でも、お互い、何かを感じあったのです。

そして毎年、年賀状が届きました。
私が年賀状を出すのをやめてしまった後も、茂木さんからは年賀状が届きました。
いつも一言、茂木さん独特の文字で、メッセージが書かれていました。
しかし、お互いに、一度、会いましょうと言いながら、実現しませんでした。
その茂木さんが、先月、亡くなったそうです。
77歳。肺がんだったそうです。

娘さんのお手紙に、茂木さんの書いた「辞去の辞」が書かれていました。
長いですが、紹介させてもらいます。
茂木さんも、私の中ではずっと生きつづけるであろう人ですから。

5月半ばに突如自分の余命を知り、6月中にもうそろそろ、長い間親しくして頂いた方々にお礼とお別れを申し上げることにしようとこれを記しておくことにしました。

別れるにせよ、新しく知り合うにせよ、私は次に記す、白川静博士の著作の中で見つけた、屈原のこのような詩が好きです。
 悲莫悲兮 生別離
 楽莫楽兮 新相知   

長いことお世話になりありがとうございました。
私の人生は、「耕雲釣月」(順序があるいは逆でしたが)に努めるようなものでしたので、まず殆んど実を結ぶことはありませんでした。何者にもならず一生を終わりました。郷里の実家近くの墓へ参ることになるでしょう。
さようなら。

私もその時がきたら、「辞去の辞」を書こうと決めました。
節子に、その時間をつくってやらなかったことを、とても悔いています。


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■第2回まちづくりサロンへのお誘い

まちづくりサロンの第2回目は、「コミュニティ・オーガナイジング」をテーマにしたいと思います。
コミュニティ・オーガナイジングについては、ご存知の方も多いと思いますが、市民の力で自分たちの社会を変えていくための方法であり考え方です。
アメリカで生まれた手法ですが、日本でも一昨年、コミュニティ・オーガナイジング・ジャパンが設立され、さまざまな活動を展開しています。

今回は、その副代表理事である、池本修悟さんにお願いして、お話をお聞きしようと思います。
場合によっては、ミニワークショップも入れていただけるかもしれません。
と言っても、サロンですので、参加者の話し合いもしっかりとるようにします。

池本さんは、大学時代に創造支援工房FACE(フェイス)を立ち上げ、さまざまな活動を展開しています。
そうした活動とのつながりも含めて、コミュニティ・オーガナイジングの可能性や魅力をお聞きできると思います。

また、コミュニティ・オーガナイジングでは、5つのリーダーシップ要素を重視していますが、そのひとつが「ストーリーテリング」です。
みんなで一緒に物語を創りだし、人々の関係性を高め、人々の持っているさまざまな力をパワーに変えていくことで社会に変化を起こすことを可能にしていくのです。

いつものように、さまざまな立場のみなさんのご参加をお待ちします。

○日時:2016年12月14日(水曜日)午後6時半~9時
午後6時半には会場をあけておきます。
○場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
○テーマ:「コミュニティ・オーガナイジングの魅力」
○話題提供者:池本修悟さん(コミュニティ・オーガナイジング・ジャパン副代表理事)
○会費:500円
〇主催:まちづくり編集会議設立準備会
○申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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■節子への挽歌3363:みずからが生きたいと思う世界に生きる

節子
昨日、節子のことをいろいろと思い出しながら、挽歌を書いていたのですが、そこで思い出したことがあります。
自らの症状がかなり悪化したころ、花かご会の仲間たちが見舞いに来てくれました。
その時、驚いたことに、節子は会いたくないと言ったのです。
いつもは、喜んで会っていたのに。
たぶんやつれてしまった自分をみんなには見せたくなかったのでしょう。
なにしろ、花かご会では、元気な節子で通っていたはずですから。
せっかくお見舞いに来てくださったのに、玄関で帰ってもらうのは、私には心苦しいことだったので、ずっと気になっていました。

昨夜、お風呂に入りながら、その時のことを思い出しているうちに、節子と一緒にお風呂に入っていた頃のことも思い出しました。
節子は病状がかなり進行した後は、一人でお風呂に入るのはいささか危険でしたので、いつも一緒に入っていましたが、風呂上りに姿見の鏡で自分の姿を見ながら、その異様な痩せ具合を嘆いていました。
体重も40キロを切っていましたので、節子にとっては、誰かには見せられない姿に感じていたのでしょう。
私にもすまなさそうに、なぜか謝ることもありました。
しかし、不思議なもので、私には、その異様な痩せ具合も異様には感じませんでした。
人は、見たいものを見たいように見るものです。
いかに異様に痩せていようと、私に見えていたのは、以前と変わらない節子でした。

私たちが見ている世界は、目によって受容したものを編集して生み出されたものです。
ですから、編集の仕方で、世界は変わって見えてきます。
言い換えれば、私たちは、「みずからが生きたいと思う世界」に生きているのです。
しかし、人には「適応性無意識」なるものが働いているとも言われます。
ですから、その「みずから」は、自分の意識だけで設計できるわけではないのですが。

せっかくお見舞いに来てくれた仲間たちに、節子はなぜ自らをさらせなかったのか。
それは、節子の見栄だったのかもしれません。
節子は、仲間たちの心の中に、元気な自分を生きつづけさせたかったのかもしれません。

花かご会のみなさんは、いまも我孫子駅前の花壇の手入れを定期的にやっています。
その姿を見るたびに、あの時のことを思い出します。

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2016/11/17

■節子への挽歌3362:我欲にうずもれたストレスフルな生き方

節子
胃がきりきりと痛いです。
今日は、とてもストレスフルな1日でした。
なかなか平安はやってきません。
今月を越せれば何とかなるというような気分ですが、そういえば、節子と一緒だった闘病の時も、こんな気分だったでしょうか。
しかし、あの頃は、なぜかストレスはなかったような気がします。

1日1日を精いっぱいに生きる。
それが節子の生き方でした。
愚痴は言わずに、毎日を精いっぱいに生きて、1日を過ごせたことに感謝する。
そして、それは言うまでもないことですが、精いっぱいに生きた一生に感謝する生き方につながっていく。
そこには、ストレスなど生まれない。

節子からは、それを学びましたが、それはやはり自らが当事者にならなければ、つまり生の先が見えてこなければ、なかなか実感はできない。
欲があるから、ストレスが生まれてくる。
そこがたぶん節子と私の違いでしょう。
まだ、我欲から抜けられない。
抜けているようで、未だに我欲の塊なのかもしれません。
だからストレスが生まれてくる。

どうも私は、毎日毎日を粗雑に生きている。
精一杯ではなく、先延ばしの生き方に陥りがちです。
本当は先がそうないのに、それが見えてこない。
だから我欲からも解放されない。
節子と私の違いは、それかもしれません。
私にはまだ、生の先が見えてこないのです。
だから毎日をこうやって、無駄に過ごしている。
だからこうも多くのストレスに襲われているのかもしれません。

それでも、一つひとつ、山は越えられています。
これもまた、節子が教えてくれたことです。
小さな山を越えていけば、いつか大きな山も越えられている。
節子はいつも前向きな人でしたから、実直に小さな山に向かっていました。
とくに病気になり、そこから抜けられないと感じた時からは、そうでした。
自分の独力で山に向かい、他者には、私にさえも、多くを依存しなかった。
そして、ストレスがあってもおかしくないのに、それを感じさせなかった。
そこから感ずることはたくさんあります。
でも、なかなかそういう生き方にはなれないのです。

闘病で大事なのは、つまり人生で大事なのは、小さな山を越えることです。
それはわかっているのですが、我欲からは自由になれていない。
その結果、毎日がストレスフル。
ストレスがたまるのは、自分の生き方が誤っているからでしょう。
淡々と山に向かえば、ストレスなどたまるはずがない。
もっと我欲を、いや、我を超えなければいけません。
あの頃の節子を思い出さないといけない。

ところで、目の前の山を次々に越えていったら、どこに着くのか。
節子はどこに着いたのか。
彼岸について平安を得た、そうなのかもしれません。
生の向こうにあるのは、決して死ではない。
最近、そのことがよくわかってきました。
それがわかっているのに、我欲のおかげで、ストレスに悩まされる。

我欲を持たなくとも、平安だった、あの頃は、もう戻ってはこないでしょう。
しかし、我欲を捨てて、ストレスもない生き方に戻りたい。
どうしたらそうなれるのか。
これは実に難問です。


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■リンカーンクラブ公開フォーラム「つながって政治を変えよう!」へのお誘い

つながって政治を変えよう!
政治に声を届けることをあきらめていませんか。
つながることで、できることがまだあります。

開催日が近づきましたので、改めてのご案内です。
世界中で、いま、市民たちが改めて、政治に対して大きな声を上げだしています。
しかし、なかなかその声は政治には届いていかないのも現実です。
政治側が、聴く耳を持っていないわけでもないでしょう。
しかし、現場の声が政治に届かないという思いを持っている人は多いでしょう。
声を届けるのをあきらめてしまっている人たちも少なくありません。
それでは政治はよくなっていきません。
どこかに、何か問題があるはずです。

そんな思いから、しばらく休止していた、リンカーンクラブの活動を再開しました。
そのお披露目もかねての、公開フォーラムを11月19日に開催します。
もしお時間があれば、ぜひご参加ください。
このフォーラムを契機に、リンカーンクラブの活動を再開いたします。
詳しい案内は、リンカーンクラブのホームページをご覧ください。
http://lincolnclub.net/

会員も募集中です。
〔リンカーンクラブ公開フォーラム〕
http://lincolnclub.net/events.html
◆日時
2016年11月19日(土曜日) 午後2時~5時(1時20分開場)
◆テーマ
政治に声を届けることをあきらめていませんか。
つながることで、できることがまだあります。
◆プログラム
第1部:講演(次の3人の専門家から問題提起していただきます)
小林節(憲法学者:慶應義塾大学名誉教授)
伊藤真(弁護士:伊藤塾塾長)
武田文彦(リンカーンクラブ代表:究極的民主主義研究所所長)
第2部:参加者による話し合い
講演者と参加者が一緒になって、話し合いたいと思います。
◆会場
AP品川7階(東京都港区高輪3-25-23 京急第2ビル)
JR・京浜急行線・品川駅高輪口前の第1京浜を新橋方向に徒歩2分右側
http://www.cdit.or.jp/o_lecture/ap-shinagawa.pdf

◆定員:100名
◆会費:3000円(学生2000円)
◆申込先:リンカーンクラブ事務局(info@lincolnclub.net)

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2016/11/16

■節子への挽歌3361:忙しい時代

節子
平安な日の後には、けっこう波乱の日が来るものです。
負け惜しみ的に言えば、人生は退屈しないようにできている。
まさにそう思います。
しかし、時にめげることもある。
そうならないために、もしかしたら、人は伴侶を得るのかもしれません。

明け方はどんよりしていましたが、太陽が出てきて、いい天気になりました。
今朝は、朗報も多く、良い日になりそうです。
今日も3つのミーティングが予定されています。
それぞれ全く違うテーマです。

19日に開催するフォーラムのお誘いをいろんな人に出しましたが、私と同世代の方々は、驚くほどにみんな、別の行事と重なっています。
会社時代よりも、むしろ忙しくなっているようです。
考えてみれば、私自身もそうでした。
若い世代の人たちも、休日なのに、いろんな用事が重なっている人が多いです。
改めて、現代は「忙しい時代」なのだと気が付きました。
みんなゆっくりできないのです。
そして、私もゆっくりしていない。

エンデの「モモ」をふと思い出しました。
生き方が間違っているのは、そもそも私自身なのではないかという気がしてきたのです。
節子がもしいたら、いまのような生き方にはなっていないでしょう。
もっと社会から離れて、ゆっくりと生きていたような気がします。
いや、それもまた私の願望なのかもしれません。

むかしはいまよりも自由だったかもしれません。
「そうだ! 京都に行こう」という、生き方を大事にしていたような気がします。
いまは、予定表を見て、今日は湯島に行って、3つのミーティングを行うのか、などと、窮屈な生き方になっています。
これでは、あなたはなんで会社を辞めたのですか、と節子に笑われそうです。
私自身は、「暇で暇で仕方がない」生き方にあこがれているくせに、そして事実、暇なくせに、なぜか時間に追われているような気もします。
私も、忙しさの中で、心を失ってきているのでしょうか。
心しなければいけません。

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2016/11/15

■節子への挽歌3360:不機嫌な気分

節子
最近、私自身がずっと「不機嫌な気分」を背負い込んでいるのに、気づきました。
不機嫌さに気づいたというのも、変な話ですが、昨日、まあいろんなことを忘れて、平安に過ごしたのですが、さて明日からまた日常に戻るかとベッドに入った途端に、なにやら心身の奥にある「不機嫌な気分」に気づいたのです。
そして、昨日、何もやりたくなくなったのは、そのせいだと気づきました。
そういえば、おとといも、自分で呼びかけておいた集まりなのに、前向きに進めるつもりになれなかったのは、そのせいかもしれません。
みんなを不愉快にさせてしまったかもしれません。
私自身が一番不愉快になっていた気がしていましたが、むしろ私が「不機嫌菌」だったのです。
その前の日は、魅力的な人に会えて楽しかったのですが、パーティはどうも楽しめなかったのですが、これもそうかもしれません。
そう考えていくと、この数か月、ずっとどこかに「不機嫌な気分」があるような気がしてきました。

とくに思い当たる原因があるわけではありません。
しかし、「不機嫌な自分」がいると考えると、いろんなことがうまく納得できるのです。
不機嫌だからこそ、それを打開しようと、何か新しいことをやりたくなる。
しかし、やればやるほど、その不機嫌さは増してきてしまう。
そんな気がします。
要は、私自身が「わがまま」なのでしょう。
自分の思うようにならないと不機嫌になってしまうのは、まるで「子ども」そのものですが、そのくせ、その自分とは違うやり方を受け容れてしまう、実に寛容な「大人」の自分もいるのです。
私の心身の中で、その「子ども」と「大人」は葛藤しているのかもしれません。

「不機嫌」というのは、いまの私の気分にピッタリな気もします。
しかし、もしかしたら、いまの時代そのものが「不機嫌な時代」なのかもしれません。
だからみんな、誰かのせいにしたり、誰かに期待したり、自分をなくして誰かに自分を投影したりしているのかもしれません。
自分を生きている人が少ないのです。
だから、自分をしっかりと生きている人、つまり機嫌のいい人に会うと、うれしくなってしまう。
しかし、同時に、そういう人に会うと、他の人がみんな「生きていない」ようの思えてしまう。
もちろんそこに私自身もはいってしまい、機嫌が悪くなってします。

せっかく昨日は良い日だったのに、今朝は機嫌の悪い朝に戻ってしまいました。
困ったものです。

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2016/11/14

■節子への挽歌3359:沢蟹の思い出

節子
明け方、脚がつってしまい、その痛さが1日中残って、いまもまだ歩くと痛いです。
この週末、いろいろと用事が重なっていささか疲労したせいかもしれません。
テレビで、歳をとって身体が老化しているのに、それを意識しないために階段から落ちたり、けがをする人が多いという番組をやっていましたが、まさに私もその典型的な事例なのでしょう。
身心がバランスしていないのでしょう。

そんなこともあって、今日は在宅で過ごしました。
めずらしく誰からも電話はなく、平安な1日でした。
今日は休日と決めていましたので、気になっていることは山のようにありますが、それを忘れて過ごしました。
こういう日を大切にしているので、まあなんとか元気を維持できているのでしょう。

今日やったことは、沢蟹の水槽の手入れくらいです。
冬になったせいか、動きが悪いのですが、3匹の沢蟹たちは元気にしています。
庭の池に放した沢蟹たちは、その後、一度も出会えていませんが、冬眠に入ったのかもしれません。
もっとも、沢蟹は冬眠するのかどうかも知りませんが、水槽の沢蟹は元気で冬を越させたいと思います。

沢蟹を見ているとなぜか幸せな気分になります。
なぜかはわかりませんが、昔からそうです。
それを本気でわかってくれたのは、節子だけでした。
ですから、沢蟹の向こうにも節子を感ずるのです。
一緒に敦賀の川で、沢蟹を捕まえに行ったことが思い出されます。

それだけではありません。
なぜか、滋賀の観音さんをお参りに行くと、そこで沢蟹によく出会いました。
一番印象に残っているのは、春先に行った、小さな集落の観音堂の近くで、沢蟹から子どもがわっと広がっていた風景です。
また、滋賀の鶏足寺の参道を歩いていたら、道を一匹の小さな沢蟹が横切ったこともあります。
水も流れていないところでしたので不審に思いましたが、誘惑に勝てずに、捕まえてしまい、自宅まで連れてきてしまいました。
しかし、その沢蟹は半年ほどで死んでしまいました。
あれは、節子と最後に鶏足寺に行った時でした。
これまた不思議ですが、それ以来、言い方を変えると、節子がいなくなってからは、滋賀でも敦賀でも、なかなか沢蟹に出会えなくなってしまったのです。
一昨年は、義姉夫婦に頼んで、前にはたくさんいたところにわざわざ連れて行ってもらいましたが、沢蟹はもういませんでした。

私にとって、沢蟹は、とても特別の存在なのです。
ちなみに、沢蟹の水槽は節子の位牌壇の隣に置いています。
節子にも見えるように、です。

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2016/11/12

■節子への挽歌3358:思い出の美しさ

節子
小林秀雄は、「無常といふ事」のなかでこう書いています。

思ひ出となれば、みんな美しく見えるとよく言ふが、その意味をみんなが間違へてゐる。
僕等が過去を飾り勝ちなのではない。
過去の方で僕等に余計な思ひをさせないだけなのである。
思ひ出が、僕等を一種の動物である事から救ふのだ。
記憶するだけではいけないのだらう。
思ひ出さなくてはいけないのだらう。
多くの歴史家が、一種の動物に止まるのは、頭を記憶で一杯にしてゐるので、心を虚しくして思ひ出す事が出来ないからではあるまいか。
上手に思ひ出す事は非常に難かしい。
だが、それが、過去から未来に向つて飴の様に延びた時間と言ふ蒼ざめた思想から逃れる唯一の本当に有効なやり方の様に思へる。
唐突にこんな文章を書いたのは、明け方にふと、「上手に思ひ出す事は非常に難かしい」ということを読んだ記憶が浮かんできたのです。
どこで読んだのか、なかなか思いだせずにいましたが、なんとか見つけました。
私の記憶とはかなり違っていたのですが、改めて読んでみると、なんだかとてもホッとするメッセージです。

「過去の方で僕等に余計な思ひをさせないだけなのである」。
実は、節子に関する私の思い出はあまりに私に好都合に変質されていないだろうかと、最近、挽歌を書きながら感じていたのです。
それが気になっていたのですが、この文章で少し救われた気がします。
節子の記憶がもし飾り立てられているとしたら、それは、節子の思いやりがそうしているということなのですから。

過去を書いたり話したりすることは、そこから抜け出すための行動ですが、同時に、新しい過去への入り口でもあります。
悲しいことは話せば(放せば)いいのです。
でも同時に、それは語ることでもある。
語るとは、象(かたど)ること、型取ることでもある。

ここ数日気になっていたことがちょっと解決して、すっきりしました。
今日は久しぶりに、たくさんの人に会うパーティに参加しようかと思っています。

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2016/11/11

■節子への挽歌3357:貧しい生き方

節子
その生き方に、とても共感しているSさんから手紙が届きました。

実家に帰ると、東京でふだんいかにインターネットで時間を浪費しているかよくわかります。母の世話をする以外はとくに用事もなく、手が空いた時間はもっぱら昼寝か読書という、考えようによってはたいへんぜいたくな過ごし方をしています。
「いかにインターネットで時間を浪費しているか」。
これは、節子がいつも私に間接的に投げかけていたことです。
私の場合は、インターネットではなく、パソコンですが。
節子と話す時間も決して少なくなかったと思いますが、それよりも私はパソコンの前に座っていることが多かったのです。
節子は、それをとても不満に思っていたはずですが、同時に、あきらめてもいたようです。
最近、そのことを深く後悔しています。
なんであんなに「仕事」が好きだったのだろうか、と思います。
そのくせ、そうした「仕事」で何か残ったものがあるかと言えば、何もありません。
いったい、パソコンに向かって何をしていたのでしょうか。
実に不思議な気がします。
Sさんの手紙を読みながら、私が長年、いかに「貧しい生き方」をしていたか、指摘されているような気がしました。

Sさんは、私よりも若いのですが、いまは実家を離れ、東京で一人で暮らしています。
時々、実家に帰り、普段は施設にいる高齢の母親に、普段は空き家になっている実家に戻ってきてもらい、ふたりでの時間を過ごしているのです。
施設には行ったのは、認知症が疑われたためだそうですが、
実家に帰ってきた時の母親は、以前と全く同じだとSさんは言います。

ところで、私は、最近もパソコンに向かっている時間が多いです。
節子がいた頃よりも多いかもしれません。
ますます「貧しい生き方」になっているのかもしれません。
節子がいた頃は、それでも時々、私をいろんなところに引っ張り出してくれていたからです。
今年は、紅葉も見に行きませんでしたが、節子がいたらどこかに行っていたはずです。
そこでまた、「紅葉を見て、いったいどういう意味があるの?」などと言って、節子を怒らせていたかもしれませんが。

節子がいなくなってから、自宅での私の最大の付き合い相手は、ますますパソコンになってしまいました。
パソコンとは対話できるからです。
パソコンに思いを入力すると、パソコンを通して、なにかが返ってくるのです。
だから私はパソコンと付き合い時間が増えてしまうのかもしれません。
これは、節子がいたころからそうでした。
パソコンとは対話できる気がするのです。
パソコンから離れるためには、家から出かけて、誰かに会うしかありません。
だから私は今も、いろんな人に会い続ける生き方をしているのかもしれません。
人の生き方は、なかなか変わるものではないようです。

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2016/11/10

■節子への挽歌3356:ねぎらいと謝意

節子
昨日から、冬の朝になりました。
今年は秋がありませんでした。
にもかかわらず、わが家の庭の琉球朝顔は元気で、いまも毎朝、花を咲かせ続けていますし、玄関の四季咲きのバラも少し咲いています。
庭の花はかなりさびしいので、お店に買いに行こうと思っていますが、なかなか時間がとれません。
むやみに買って来ても手入れができるかどうかが問題なのです。

今日も寒い1日でした。
予定が変わって、湯島に行かなくてもよくなったので、娘たちと食事に行きました。
孫の「にこ」も一緒です。
まだ離乳食が始まったばかりなので、食事はできませんが、娘も少しだけ楽になって来たようです。
その娘が、なんとご飯のお代わりをしたのです。
節子も知っているように、わが家はみんな小食で、お店に行くと必ずご飯は少な目にとお願いしていたのですが、その中でも一番小食だった次女のジュンが、お替りするとは驚きました。
子育てが、いかにエネルギーのかかることなのかがよくわかりました。

娘たちの子育ては節子に任せっぱなしでした。
いまから思えば、節子はよく頑張ったものです。
その大変さがわかった今では、節子に改めてねぎらいと感謝を伝えたいのですが、残念ながら口で直接伝えることはできません。
気づくのが遅すぎました。

こういうことはたくさんあります。
もしこの挽歌を読んでいる方で、伴侶が健在であれば、いまのうちにできるだけたくさんのねぎらいと謝意を伴侶に伝えておくことをお勧めします。
どちらが先に逝くとしても、お勧めします。
まあ余計なお世話だと言われそうですが。

湯島に行かなかったので、溜まっていた課題を消化するつもりでしたが、人は時間ができると怠惰になるものです。
昼食後、孫がわが家の来たこともありますが、それだけでなんだか疲れてしまい、結局、いつも以上に何もやらずに、時間を過ごしてしまいました。
19日に予定しているイベントの集客がほとんどできていないので、がんばらないといけないのですが、困ったものです。
自分が主催するのであればいいのですが、仲間と一緒にやるのは、それなりにストレスがたまります。
最近は、そうしたストレスに埋もれそうです。

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■トランプ勝利で思ったこと

アメリカ大統領選挙は、トランプの勝利になりました。
私の周辺には、この結果を早くから確信していた人もいますが、私自身はまったく考えていませんでした。
トランプが選ばれるはずはないという確信がどこかにありました。
しかし、現実はトランプの勝利。

改めて、私たちは「現場・現実から離れた情報」のなかで生きていることを思い知らされました。
現地のアメリカでも有名な新聞のほとんどがクリントン勝利を確信していたようですし、日本の「有識者」や「ジャーナリスト」もまたほとんどがクリントン勝利を直前まで語っていました。
なぜ多くの人が読み違えたのか。
判断の基盤となる情報が不正確で不十分だったからだと考えるべきでしょう。
いいかえれば、彼らの情報と現場の情報とがつながっていなかったのです。
マスコミや「有識者」の情報環境は、おそらく現場から遊離した「二次情報」だったのです。

30年以上前に、私は「非情報革命論」を書きましたが、情報化の進展は、現場とは別個の「情報空間」を生み出すと考えていました。
そして、どちらに住むかで、世界は見え方が変わってくる。
まさにそのことを体験させられた気分です。
それも、自分自身もまた、その世界(「情報空間」)にいることを思い知らされたわけです。
私は、マスコミには懐疑的で、今回の大統領選報道にも批判的に受け止めていたつもりですが、基本的にはそのマスコミ報道をベースに考えていたことが露呈しました。
まだどこかに、マスコミ情報の基盤の上で思考している自分がいるようです。
今回はアメリカ大統領選挙でしたので、すぐには自分の生活につながらないかもしれませんが、おそらく自分の生活につながるところでも、こうした状況に私自身陥っているはずです。
心しなければいけません。

マスコミ情報が現場情報と遊離していることを示唆するのは、今回が初めてではありません。
大方の予想を覆す事例は、最近増えてきているように思います。
現実空間と情報空間が乖離しだしているのです。
にもかかわらず、それを受け容れたくない自分がいるのかもしれません。

たぶんいまの国際政治も国際経済も、現実とは違った別の世界を生み出しているのです。
そのいずれの世界でも「同じ言葉」が使われていますので、違う世界に住んでいることに気づきにくい。
その典型が、アベノミクスの経済成長論です。
「世界」9月号の「時間かせぎの政治」という論文を友人が教えてくれました。
そこで、吉田徹さんが、安倍政権の政治手法は「期待値の操作」で、アベノミクスが成功しないのは、それがまだ不足しているからだ、と言い続ける。すると、景気回復の実感がない人ほど、いつかは自分にも恩恵が及ぶはずと思ってしまう。その結果、「マイナスの実感があってこそ、それらは期待値へと転換される」。そこにこそ安倍内閣が支持されてしまう逆説がある、と書いています。
しかし、生活現場から遊離した金融経済での景気回復は、いつになっても現場には届きません。
世界が違うからです。
「時間かせぎ」と書かれていますが、「時間軸」の問題ではなく、「空間軸」の問題ではないかと私は思います。

ちなみに、吉田さんの論文は、ヴォルフガング・シュトレークの「時間かせぎの資本主義」を参照していますが、シュトレークはもしかしたらトランプ勝利を予想していたかもしれません。
違った世界が見えていた人ですから。
「時間かせぎの資本主義」はとても示唆に富む本ですので、お勧めします。
http://cws.c.ooco.jp/book2.htm#009

他にもいろいろと思うことがあります。
たとえば、私の思考パターンがすでに情報空間型に馴致させられているのではないかという不安です。
少しずつブログで書いていこうと思います。

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2016/11/09

■トランプ大統領実現で思ったこと

アメリカ大統領がトランプさんに決まりました。
私のまわりには、早い時期から、トランプは大統領になると確信していた人がいますが、私自身は、無理だろうと思っていました。
昨夜でさえ、そう確信していました。
しかし、大方の予想に反して、トランプ大統領が実現しました。

最初に思ったのは、私がいかにいい加減な情報で考えていたのだろうかということです。
私も、最近のマスコミは真実を伝えずに、世論操作していると思っているにも関わらずに、アメリカ大統領選に関しては、マスコミ報道を真に受けていたわけです。
大いに反省しました。

次に思ったのは、アメリカの99%の人たちの怒りは、日本とは違ってどうも「本気」のようだということです。
日本では、原発にしろ、昨年の安保法制にしろ、デモは盛んですが、たぶんみんな本気ではないでしょう。
それに関しては前にも書きましたが、私自身は昨年の8月の国会デモに参加して、そこに本気は感じませんでした。
以来、デモに行くのをやめました。

ところで、トランプ大統領には私はどちらかと言えば、好意的です。
行き過ぎた自由貿易論は見直されるでしょうし、格差是正への動きも出るかもしれません。少なくとも、現在の政治のスキームにはノイズが入るわけですから、さまざまな問題の見直しが始まるでしょう。
政治家の既得権益にはメスが入れられるでしょうし、日米関係もたぶん、生活者感覚から考えればいい方向に向かうでしょう。

人権問題が指摘されていますが、きれいな言葉で覆われている陰険な人権主張よりも、本音での人権議論がなされるかもしれません。
ともかく「何かが変わる」可能性があります。

投票日前日の、トランプとクリントンの行動は対照的でした。
トランプは真剣に語りかけ、クリントンは有名タレントでごまかしました。
クリントンのやり方は、生活者をバカにしているとしか思えませんが、アメリカ人は最近の日本人と違って騙されなかったような気がします。
私は、そのことだけでもアメリカを見なおしました。

99%の人たちの怒りは、燃えだしました。
先のイギリスのEU離脱国民投票も、怒りの結果だと思います。
日本の報道はみんな大きなバイアスがかかっています。
EUなど、貧しい生活者にとって、望ましいはずはないでしょう。
ソ連と同じく、間もなく破綻するでしょう。
人間の生活する世界は、もっと小さいのです。
TPPなど、とんでもない話です。
1%だけが利益をむさぼり取るだけの話です。

怒りの声は、韓国でもフィリピンでも大きくなってきています。
でも、日本は動きだしません。
このままでいいのか。

11月19日のリンカーンクラブの公開フォーラムに、みなさん、ぜひご参加ください。

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■節子への挽歌3355:神様に愛された若者のこと

節子
泰弘さんの友人の木村さんが、私のフェイスブックのある記事に関連して、コメントしてきてくれました。
ある事件に関しての、私のちょっと「おかしな」意見へのコメントです。

生前、泰弘さんが「何かあったら修さんに相談するといいですよ。面倒見がいいし、何より発想がユニークですから」と言っていたのを思い出しました。

泰弘さん。
節子も知っている、あの好青年です。
前にも書いたような気がしますが、1年ほど会っていなかった時、なぜか彼のことが気になって、彼に連絡して会う約束をしました。
たしか彼が忙しい状況だったため、それが落ち着いてからということだったような気がします。
それが落ち着くはずの頃になったので、彼に連絡しましたが、もう少し待ってほしいと連絡があり、しばらくして、今回FBにコメントをくれた共通の友人の木村さんから、彼の突然の訃報が届いたのです。
思ってもいない形で、泰弘さんに会うことになってしまったのです。
その時、節子はもう彼岸に旅立っていたはずです。
そうでなければ、泰弘さんの葬儀に、一緒に行ったはずですから。
葬儀は多くの参列者でにぎわっていて、彼の人柄を感じさせましたが、私にはとてもつらい葬儀でした。
彼には、いろいろと応援したいと思っていて、そのためにちょっと厳しいことも彼に言っていたからです。
彼と話したりなかったことが、ずっと悔いになって残っていました。

今朝、木村さんのコメントを読んで、少し救われた気がします。
木村さんは、「修さんの話題はよく出てました」とも書いてくれています。
泰弘さんとの約束は守れなかったですが、その分、他の人にささやかに「恩送り」はしています。

節子は、彼岸で、泰弘さんに会っているでしょうか。
素直で、とても明るい青年でした。
過労死だったかもしれませんが、私には、彼が神様に愛され過ぎたのではないかと思えてなりません。
そういう若い友人たちを、私は何人か見送っています。
いつかまた彼らに会えるのが楽しみです。

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■節子への挽歌3354:ショックによる認知力の低下

節子
突然のショックは、人を一時的に狂わせます。

とても評判の高いシェフが、自分が経営する店を倒産させてしまいました。
発生した債務弁済のため、住んでいた家を売却し、夫婦で転居することになってしまいました。
幸いに、その人をシェフとして仕事をしてほしいと言う人が現れました。
そこで仕事を始めたのですが、どうも様子がおかしい。
あれほどしっかりしていた人なのに、調理した料理に時々、おかしなミスがあるのです。
調理場でみんなを指導する立場にあるのに、指示がころころ変わってしまう。
一緒に働いている人たちは、そのおかしさに次第に気づいてきたそうです。
どうも一時的な自閉症もしくは認知症状況が生じているようです。
そこで、その方をよく知っている人は、病院で検査をしてもらったらどうかと本人や家族に伝えたところ、そんなはずはないと全く受け入れてもらえなかったそうです。
そればかりか、その人やその家族との関係性まで壊れそうになってしまったそうです。

その話を聞いて、私は他人事ではないなと思いました。
節子がいなくなってしばらく、もしかしたら、私がそうだったかもしれないと思ったのです。
それほどひどくはなかったかもしれませんが、あきらかに判断力が狂っていた。
認知力の低下はもちろん起こり、感情の起伏はバランスを崩していたように思います。
私の場合は、どうしてもやらなければいけない契約的な仕事はしていませんでしたし、幸いにそれまで通りのところで住み続けられました。
近隣の人たちも、そして遠くの友人たちも、いろいろと気遣ってくれましたから、そのことが深刻化することはありませんでしたが、もし引き続き、そのショックを引きずることになっていたら、どうなっていたかわかりません。
娘たちは、たぶん私の異常さを気づいていたと思いますが、娘たちもまた、程度は私ほどではないとしても、母親を喪ったショックの中でおかしくなっていたのは、私にもわかります。
他者のおかしさはわかっても、自らのおかしさはわからないものです。

その話を聞いた時に、私も何とかその人に検査をしてもらいたいと思いました。
しかし、それもまた難しい。
みんな後になって気づくのです。

心身の異常は、体験した人でないとなかなかわかりません。
鬱病治療で評判が高い医師は鬱病経験者、統合失調症治療で評判のいい医師は統合失調症経験者だと言われます。
自分が体験しないとなかなかほんとうのところはわからないものなのです。
福祉の世界も、まさにそうです。

この話は、先日、相談を受けた話です。
私がいろんな人から相談を受けるようになったのは、私がいろんなことを体験してきたからなのかもしれません。
自分で少しだけでも体験していると、相談の意味が分かるのかもしれません。
それがわかるのかもしれません。
人は相手のことを最初の数秒でわかってしまうものなのだそうです。
最近、いろんな人からどうしてこんなに相談を受けるのだろうと思っていましたが、それは私がやはり呼び込んでいるのかもしれません。
わたしが、むしろいろんな形で、SOSを発しているのかもしれません。
相談を受けると相談を持ちかけるとは、これもまたコインの裏表です。

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2016/11/08

■節子への挽歌3353:コインの裏表

節子
昨日、湯島の事務所に行ったら、事務所の前の道路が封鎖されていて、警察官がたくさんいました。
すぐ近くの宝石店に泥棒が入ったそうです。
かなり大きな事件だったようで、夕方近くまで道路は封鎖されていました。
28年も、ここにいると、いろんな事件に遭遇しますが、盗難事件は初めてです。

盗難事件の話を聞くと、つい考えてしまいます。
盗難するほうと盗難されるほうと、どちらが幸せだろうか、と。
こたえは明確です。
盗難されるほうが幸せです。
なにしろ盗難されるほどのものを持っているのですから。
それに、好き好んで盗難する人は、多くはないでしょう。
幸せではないからこそ、盗難行為に追い込まれたと思います。
盗難事件によって、格差が少し平準化されるとも考えられます。
こういう私の発想は、なかなか節子には受け入れられませんでしたが、拒否はされませんでした。
私には心やすまる伴侶だったのです。

問題を少し変えましょう。
先に逝く妻と残された夫は、どちらが幸せか。
私は、自分がその当事者になるまで、先に逝く人の方が幸せでないと思っていました。
実際に体験してみてわかったのは、先に逝くものが幸せかもしれないということでした。
見送る悲しさと見送られる悲しさ。
死別に限らず、別離を考えれば、やはり見送った後の寂しさは何とも言えません。

しかし、最近は、やはりいずれも同じだという気がしています。
そんな明白なことに気づくのに9年もかかったのかと笑われそうですが、私の場合は9年かかってしまいました。
もし、問いを「どちらが幸せか」ではなく、「どちらが不幸せか」と立てていたら、最初から答えは明白でした。
どちらも不幸なのですから。
「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」とトルストイは書いています。
9年かかって、私が気づいたのは、「幸福もまたそれぞれに幸福だ」ということです。
幸福にも、いろいろある。
先に逝った節子も、遺されてしまった私も、それぞれに幸せだったのかもしれないという気になってきました。

すべてはコインの裏表。
最近、その意味が少しわかってきたような気がします。
盗難の話から、おかしな話になってしまいました。
盗難も死別も、ないに越したことはありません。

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■この写真の折り鶴をご存知ですか?

この写真の折り鶴をご存知ですか?

Photo

「サダコ鶴」です。
広島平和記念公園にある原爆の子の像のモデルとなった、佐々木禎子さんが残した折り鶴です。
映画にもなっています。
http://www.earthartfactory.org/blank
その「サダコ鶴」は、平和の祈りを乗せて、世界に飛び出しています。
昨年は、アメリカのトルーマン図書館にも贈られました。
トルーマン大統領は、70年前、原爆の投下を承認した大統領です。
その図書館に、どうして被爆者の折り鶴が置かれることになったのか。
尽力されたのは、トルーマン大統領の孫、クリフトン・トルーマン・ダニエルさん。
そして、NPO法人SADAKO LEGACYの佐々木雅弘・祐滋さん親子です。
禎子さんは、禎子さんの兄と甥です。
おふたりは、平和を祈って病床で最後まで鶴を折っていた禎子さんの思いを世界中に届ける活動を続けています。
そのサダコ鶴が、昨日、湯島にも立ち寄ってくれました。
その写真です。1円玉と比較してみてください。
とても小さな折り鶴ですが、そこに込められた「平和へのいのり」はとても大きく、世界を変えようと飛び出しているのです。

佐々木祐滋さんは、ミュージシャンです。
“INORI”という曲をご存知の方も少なくないでしょう。
ご存じない方がいたら、ぜひユーチューブで聴いてください。
https://www.youtube.com/watch?v=aZKgqjtig3M

昨日、祐滋さんと、サダコ鶴をもっと大きくはばたかせようという話し合いをしました。
何ができるかわかりませんが、いろんな力がほしいです。
世界のしあわせに向けて、できることはたくさんあります。
力を貸して下さる方がいたらご連絡ください。


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2016/11/06

■リンカーンクラブサロン「私が安倍政権を支持する理由」の報告

第4回目のリンカーンクラブサロンは、現在の安倍政権を支持する片野さんから、「私が安倍政権を支持する理由」をお話しいただき、それに基づいて、いつものように話し合いを行いました。
片野さんは、若いころから政治に関心をお持ちで、いまも「市民の立場」で、実際の政治にもつながりを持って、いろいろな働きかけもしています。

リンカーンクラブのサロンに参加する人は、現在の安倍政権には批判的な人が多いのですが、民主主義をテーマにする以上、いろんな意見の持ち主が、お互いに学び合うということを大事にしたいと思っています。
安倍政権は、立憲主義を否定し、民主主義をおろそかにしているという意見も多いですが、国民の半数前後の支持を得つづけている安倍政権を、そう簡単に、民主主義に反すると言っていいのか。そこは一度、冷静に考える必要があります。
同じ考えの人だけで話し合っていても、そこからは何も生まれません。
異論を拒否するような場からも民主主義は育ちません。

湯島のサロンには、安倍政権批判派が圧倒的に多いのですが、それを承知の上で、話を引き受けてくださった片野さんの誠実さに、感謝したいと思います。
案の定、参加者のほとんどが、アンチ安倍政権だったような気がしますが、そうした立場からの辛辣な異論や質問に対して、片野さんは常に平常心で応えてくれました。

片野さんは、冒頭、おおむね次のような基本姿勢を話してくれました。
「政治の目的は、国民の生命や財産の安全を守ることである」。
「国民は税金を払う義務と同時に、政治のおかしさを正していく義務がある」。
そしてつづいて、
民主党政権の「ていたらく」と違い、いまの安倍政権は、日本に「安定」をもたらしている、と話してくれました。
民主党政権の「ていたらく」とはなにか、安倍政権がもたらした「安定」とは何かについて、少し議論のやり取りがありました。

片野さんはまた、いまの日本は、努力すれば生活ができる社会だとも話されました。
これに関しては異論が出ました。
片野さんの「努力」とは何かも話題になりましたが、片野さんは教育の重要性を、出身地の釧路市の「子どもたちに基礎学力の習得を保障するための教育の推進に関する条例」を例に説明してくれました。
これには、子どもたちの学習に関わっている人たちから、質問や異論が出されましたが、「学力」や「努力」が何を指すかは、政治の捉え方の重要な分かれ目かもしれません。

片野さんはまた、現場と現実に立脚することの大切さも話されました。
そして実践につなげていくことが大切だとも言われました。
たしかに、実際に何かを実現するには、与党になり政権を取らねばいけません。
なにかを実現しようとすれば、与党や政権を通さなければいけない。
しかし、片野さんがいう国民の義務の「政治のおかしさを正していく」動きが、政権によって阻害されていることはないのか。
そうしたことに関連して、報道規制や憲法違反と言われての安保法制などの強行採決はどう考えるべきか。
また、国会での議論などで、政権は「政治のおかしさ」を指摘する声に、耳を傾ける「話し合い」の姿勢があるのか。

報道規制に関する片野さんの考えは、さまざまなメディアがそれぞれの主張をしており、報道の画一化にはなっていない。
実際に片野さんは、毎日さまざまな新聞を読んで、そう感じているそうです。
安保法制に関しては、いまの政治状況を考えれば、国民の安全を守るためには安保法制は緊急の課題であり、憲法改正などという時間をかけていては間に合わない、と言います。
憲法を守ることよりも国民の安全を守ることの方が優先されるべきだというわけです。
国会での議論が、異論に耳を傾けて考え直すような「話し合い」になっていないという意見に対しては、片野さんはあまり意識していなかったようですが、もしそうであればそれは糺すべきだというのが片野さんの考えのようでした。
片野さんの確信は、きちんと整合しているのです。

いまの日本では、「現場」には、どうも2つの層がありそうです。
片野さんがふれている現場と、私がふれている現場とは、どうも違っているような気がします。
国会議員にとっての「現場」とは、どこなのか。
一昨日、湯島に来た人が、私たちの現場の声は政治に届いていないと嘆いていましたが、片野さんが考える現場の声は政治に届いているのかもしれません。

とても大雑把な報告になりましたが、参加者の人たちにとっては、一番肝心のことが書かれていないと思うかもしれません。
それは、政治への評価は、その人が生まれ育ったなかで培われた生き方やいまの立場によって大きく規定されているということです。
片野さんは、それをとても素直に話してくれました。
政治は「理論」ではなく「感情」なのかもしれません。
最近読んだ吉田徹さんの「感情の政治学」を思い出しました。
だからこそ、いろんな人たちが、本音で気楽に話し合う場が大切だと、私は思っています。
その意味で、私にはとても示唆に富むサロンでした。
安倍政権支持の片野さんと安倍政権が心底嫌いな私の価値観は、もしかしたらそう違っていないのかもしれません。
片野さんが最初に語った2つのことには、私は異論はないのです。

なんだかとても複雑な気分です。

Katanosalon20161105


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2016/11/05

■節子への挽歌3352:バカ素直には困ったものです

節子
今日は、安倍政権を熱烈に支持している人に話をしてもらうサロンでした。
私の付き合っている人たちの多くは、安倍政権には批判的な人が圧倒的に多いので、あまり参加者はいないのではないかと思っていましたが、なんと9人の人が集まりました。
それも遠くからわざわざやって来てくれた人が2人います。
その2人も、安倍政権には批判的な女性です。
帰り際に、そのおふたりに、お休みの日にいろいろと用事の多い中をどうして来てくれたのですかと、大変失礼な質問をしてしまいました。
答えは、「つながりたい」のです、というのです。
いまの社会に不満や不安があるが、一人では何もできないから、と付け加えてくれました。

終了後、5人ほどで居酒屋に行きました。
思想家の川本さんが、サロンには価値を感じていなかったが、参加するようになって、サロンの意味がわかってきたと言い出しました。
サロンから何かが生まれるかもしれない、と。
いやいやそんな手段的な場ではなく、サロンは所詮サロンなんだと言いたかったですが、疲れていたのでやめました。

それにしても、どうして毎回、いろんな人が集まるのでしょうか。
武田さんが、佐藤さんだから集まるんだと言いました。
これは一見褒め言葉にも聞こえますが、佐藤さんの生き方はおかしいということを含意してもいるのです。
たしかに、どこかおかしいのです。
どこがおかしいのか、自分ではわかりませんが、やはりどこかおかしい気が最近はしてきています。

節子がいた頃にはよく節子と帰り道で話したものです。
どうしてみんなサロンに来るのだろうか、不思議だ、と。
私としては、みんなが来るからサロンをやめられないのです。
それどころか、ついつい新しいサロンまではじめてしまうわけです。
昔と違って、いまは好きでやっているわけではないのです。
今日も、実は出かける時に、サロンなんかしなければ今日もゆっくりできるのになと思いました。
サロンなどしなければ、お金もかからないし、準備に気遣いすることも不要です。
どうしてこんな活動をし続けるようになってしまったのでしょうか。
節子も、最初の頃、よくそういっていました。
最近なぜか私自身がそう思うようになってきました。

しかし、わざわざやって来てくれる人がいることほど幸せなことはありません。
だから、やって来てくれた人に、「どうしてサロンになんか参加したのですか」などと質問してはいけません。
それはわかっているのですが、疑問を感ずるとそれがついつい言葉になってしまうのが、私の悪い癖です。

そういえば、昔、あるところから講演を頼まれました。
私の話を聞いても役には立たないだろうなと思いながらも引き受けてしまいました。
そして当日、うっかりと、冒頭、「なんでみなさん私の講演など聴きに来たのですか」と質問してしまいました。
主催者はもちろん、参加者は怒るどころか呆れたことでしょう。
そこからは2度と声はかからず、その主催者ともその後交流がなくなってしまいました。
悪いことをしてしまいました。
こういう失敗は、ときどきあります。

なんでも素直であればいいとは限りません。
困ったものです。
でもまあ、サロンはやめられないでしょう。
できれば、最後に「お別れサロン」をやって、その夜に人生を終えられればと願っています。
人生の最期くらいは、自分で決めたいものです。

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2016/11/04

■節子への挽歌3351:みじかい秋を楽しみました

節子
お墓に行きました。
今日は、畑と庭の花を持っていきました。
素朴な感じで、これもまたいいでしょう。

畑も庭も、いまは荒れ放題です。
手入れ不足のために、琉球朝顔が庭中に広がりました。
サルスベリをはじめ、さまざまな木にまでツルが延びて、朝顔の花がそこらじゅうで咲いています。
せっかく植えた皇帝ダリアまで征服されそうだったほどです。
その皇帝ダリアも咲きだしました。
手入れ方法がわからずに、花目をそのままにしていたので、期待していたほどの大きな花にはなりそうもありませんが。

お墓に行く前に畑にも寄りましたが、ここはもう無法地帯化してしまい、今や手の施しようもありません。
百日草はたくさん咲きましたが、雨が多かったのかうどんこ病のようになって元気がありません。
その一方で、紫色のセイジがまた元気に群生してきています。

まあ、そんな感じで、今日はとても短い秋を少しだけ楽しみました。

約束の宿題をまだ提出していないところが2つあるので、こんなにのんびりしていることは、知られたくないのですが、まあいいでしょう。
こういう時間を持たないと、いい知恵が浮かんでこないのです。
最近はあまりにいろんなことがあって、頭がかなり混乱しているのです。

今日は、世間的には「お休み」にさせてもらおうと思います。
まだお昼過ぎですが、こんな調子で、今日はのんびりしようと思います。
体調もあまり良くありませんし。

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2016/11/03

■節子への挽歌3350:雑想な1日

節子
「瞑想な1日」の次に来たのは、「雑想な1日」でした。
いろんなことが、まためまぐるしく起こりました。
お天道様は、どうして平安な日々を許してくれないのか。
どこかで私自身、生き方を間違っているのかもしれません。

昨日は朝から3時まで、湯島で打ち合わせ。
私の持続時間の限界は2時間ですので、後半はいささか疲れて、冗長なミーティングでしたので、かなり疲れました。

しかし、そこまでは、いつもの日常でしたが、そこからが「雑想」の始まりでした。
いつも、ここに書きすぎてしまうのですが、今回は書くのを我慢します。
どこかに吐き出したいですが、いまはそれもかないません。

雑想というのは、どんどん広がります。
そういえば、あれもそうだったななどと、考えても仕方がない昔のことを思い出させられ、気が萎えているせいか、さらに気持ちを萎えさせます。
腹立たしさまで戻ってくる。
とても「老子」の心境にはなれません。
昨日の決意は、どこに行ってしまったのか、という気もしますが、しかし、それを思い出して、なんとか気持ちを収束させました。
しかし、70代の後半を迎えて、なんという「多惑」な人生のことか。
困ったものです。

帰宅すると、北九州市の佐久間さんからDVDが届いていました。
「裸の島」です。
佐久間さんの近著でこの映画の紹介をしていましたが、それに関してホームページで紹介したら、佐久間さんがもし再度観るのであれば、送ると言ってくれたのです。
かなりの躊躇はありますが、がんばって観ることにしました。
なにやら学生の頃を思い出しそうで、心配ですが。
学生時代は、いまよりももっと多感であり、夢想家でした。

さて、雑想は昨日で終わりにして、今日は再び、晴れた1日にしたいと思います。
雑事の多い時代には、それさえも難しいのですが。
今日を越えれば、明日はたぶん平安に過ごせる日にできるはずです。
明日は、久しぶりにお墓見舞いに行こうと思います。

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2016/11/02

■節子への挽歌3349:瞑想な1日

節子
昨日の午前中は、結局、「老子」の最後の2つの章を読みました。
朝、書いた挽歌の中で、「荘子」について触れたのですが、それで思い出して、「老子」を読み直してみたのです。
と言っても、私の好きな最後の2章だけです。
それは、「小國寡民」と「聖人之道」の章です。
「小國寡民」は有名な話なので、書くまでもありませんが、私も老子と同じように、そういう社会が理想と思いますが、残念ながら、それを完全に受け入れるには、いささかの「小賢しさ」を身に着けてしまったため、たぶんその一員にはなれないでしょう。
それで、せめて最後の章に示された「聖人之道」を目指したいのです。
しかし、これもまだまだ私には難しい。

老子は、こう書いています。

信言不実。美言不信。善者不辯。辯者不善。知者不博。博者不知。聖人不積。既以為人。己愈有。既以與人。己愈多。天之道。利而不害。聖人之道。為而不争。

漢字ばかりなので難しそうですが、要は、こういうことです。

   美しい言葉には真実味がない。
   口の達者な人間はほんものでない。
   本当の知者は物識りではない。
   聖人は蓄めこまないで、
   なにもかも他人に与えて、
   己れはいよいよ豊かである。
   天の道は万物に恵みを与えて害を加えず、
   聖人の道は事を行なって人と争わない。  

いつもこうありたいと思っていますが、なかなかそうはなれません。
言葉で語り、知識をひけらかし、何かを欲しがり、争いから自由になれません。
老子は、「不争」をもって「徳」としますが、私は、いまだ些末な争いさえも克服できずにいます。

昨日は、座禅を組んだわけではありませんが、瞑想の1日でした。
いろいろと思うことも多く、もしかしたら少し生き方を変えられるかもしれません。
おかげで、今朝の寝起きはとてもいい。
時に「瞑想な1日」もいいものです。

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2016/11/01

■節子への挽歌3348:静かに瞑想

節子
もう11月です。
11月は、寒い雨の朝で始まりました。
心まで冷え冷えする雨です。
できるだけ自然に従って生きようと思っているせいもあって、こういう日は、一人静かに身を縮めて時間を過ごしたい気分です。
しかし、そうもいきません。
朝からパソコンに向かっています。
パソコンは、ネットを通して世界につながっていますので、いろんな話が入ってきます。

先日開催した「看取りの文化」のサロンを巡って、何人かの人が投稿しています。
細菌学者は破傷風菌の話を紹介し、音楽家はブラームスを論じ、画家は荘子の論を展開しています。
いずれも興味ある話題ですが、今回は議論に参加せずに、読むだけに徹しています。

昨日も、そのサロンに参加した人が湯島に来ました。
そこでは、キューブラー・ロスが話題になりました。
死にゆく人々との対話集「死ぬ瞬間」の著者のロスです。
彼は、それを映像にしたいと考えています。

死の話題は、語りを誘うのかもしれません。
今日は、死を語るにはいい日かもしれません。
空を厚い雲が覆っていますが、そのすぐ向こうに彼岸はあり、死はすぐ近くにあると感じられるような日だからです。
寒さと陰鬱さで生命の躍動は抑えられ、涙なしに死を語れそうな日だからです。
しかし、そういう時には、死を語るべきではないでしょう。
あまりにも近すぎるからです。

荘子を語った画家は、荘子の「万物斉同」を語っています。
生も死も万物斉同の例外ではなく、大きな変化の流れの一部だと荘子は語っています。
死は終わりではなく、別世界への目覚め。
私たちは今、夢の中にあるのかもしれないわけです。

今日の午後は、雨が上がるようです。
雨が上がるまで、身心を縮めながら、寒さに身を任せようと思います。
パソコンはやめて、外を見ながら、瞑想するのがふさわしい。
そういう気になりました。
なった以上は、そうしなければいけません。

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