■節子への挽歌3349:瞑想な1日
節子
昨日の午前中は、結局、「老子」の最後の2つの章を読みました。
朝、書いた挽歌の中で、「荘子」について触れたのですが、それで思い出して、「老子」を読み直してみたのです。
と言っても、私の好きな最後の2章だけです。
それは、「小國寡民」と「聖人之道」の章です。
「小國寡民」は有名な話なので、書くまでもありませんが、私も老子と同じように、そういう社会が理想と思いますが、残念ながら、それを完全に受け入れるには、いささかの「小賢しさ」を身に着けてしまったため、たぶんその一員にはなれないでしょう。
それで、せめて最後の章に示された「聖人之道」を目指したいのです。
しかし、これもまだまだ私には難しい。
老子は、こう書いています。
信言不実。美言不信。善者不辯。辯者不善。知者不博。博者不知。聖人不積。既以為人。己愈有。既以與人。己愈多。天之道。利而不害。聖人之道。為而不争。
漢字ばかりなので難しそうですが、要は、こういうことです。
美しい言葉には真実味がない。
口の達者な人間はほんものでない。
本当の知者は物識りではない。
聖人は蓄めこまないで、
なにもかも他人に与えて、
己れはいよいよ豊かである。
天の道は万物に恵みを与えて害を加えず、
聖人の道は事を行なって人と争わない。
いつもこうありたいと思っていますが、なかなかそうはなれません。
言葉で語り、知識をひけらかし、何かを欲しがり、争いから自由になれません。
老子は、「不争」をもって「徳」としますが、私は、いまだ些末な争いさえも克服できずにいます。
昨日は、座禅を組んだわけではありませんが、瞑想の1日でした。
いろいろと思うことも多く、もしかしたら少し生き方を変えられるかもしれません。
おかげで、今朝の寝起きはとてもいい。
時に「瞑想な1日」もいいものです。
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