■節子への挽歌3348:静かに瞑想
節子
もう11月です。
11月は、寒い雨の朝で始まりました。
心まで冷え冷えする雨です。
できるだけ自然に従って生きようと思っているせいもあって、こういう日は、一人静かに身を縮めて時間を過ごしたい気分です。
しかし、そうもいきません。
朝からパソコンに向かっています。
パソコンは、ネットを通して世界につながっていますので、いろんな話が入ってきます。
先日開催した「看取りの文化」のサロンを巡って、何人かの人が投稿しています。
細菌学者は破傷風菌の話を紹介し、音楽家はブラームスを論じ、画家は荘子の論を展開しています。
いずれも興味ある話題ですが、今回は議論に参加せずに、読むだけに徹しています。
昨日も、そのサロンに参加した人が湯島に来ました。
そこでは、キューブラー・ロスが話題になりました。
死にゆく人々との対話集「死ぬ瞬間」の著者のロスです。
彼は、それを映像にしたいと考えています。
死の話題は、語りを誘うのかもしれません。
今日は、死を語るにはいい日かもしれません。
空を厚い雲が覆っていますが、そのすぐ向こうに彼岸はあり、死はすぐ近くにあると感じられるような日だからです。
寒さと陰鬱さで生命の躍動は抑えられ、涙なしに死を語れそうな日だからです。
しかし、そういう時には、死を語るべきではないでしょう。
あまりにも近すぎるからです。
荘子を語った画家は、荘子の「万物斉同」を語っています。
生も死も万物斉同の例外ではなく、大きな変化の流れの一部だと荘子は語っています。
死は終わりではなく、別世界への目覚め。
私たちは今、夢の中にあるのかもしれないわけです。
今日の午後は、雨が上がるようです。
雨が上がるまで、身心を縮めながら、寒さに身を任せようと思います。
パソコンはやめて、外を見ながら、瞑想するのがふさわしい。
そういう気になりました。
なった以上は、そうしなければいけません。
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