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2016/11/23

■節子への挽歌3369:「朝来た」「僕頑張った?」

節子
NHKテレビの「にっぽん紀行」で、「29歳で逝ったあなた 伝説の棋士を巡るたび」という番組を見ました。
子どもの頃からネフローゼを引き受けた村山棋士の話です。
まさに、壮絶な、しかし輝くような人生を生き抜いた話に、ついつい見入ってしまいました。
テレビをかけたら偶然にやっていたので、途中からなのですが。

最期を看取った看護師の方が、最後の言葉を覚えていて、話してくれました。
「朝来た」「僕頑張った?」の二言だったそうです。
看護師の方は、その言葉は、とても死を迎える人の言葉とは思えなかったと言われました。
たぶんそれは、言葉ではなく、その時の村山さんの全体の雰囲気がそうだったのでしょう。
言葉こそ違いますが、まさにそれは、私が感じている節子の最後の言葉と同じです。
節子は最後の日には言葉を発することはできませんでしたが、ずっと一緒に寝起きしてれば、言葉を通さずとも、言葉は伝わってきます。
「朝が来た」
「昨日も頑張った」
その、節子の思いは、家族には無言のまま伝わったものです。

途中から見たので、正確ではありませんが、村山棋士は難病があればこそ、将棋に全生涯をかけたようです。
彼にとっては、病気あればこその将棋人生、つまりその両方を正面から引き受けたのです。
難病であることへの愚痴や不満は言わなかったようです。
見事としか言いようがない。
些細なことで自らの不運を嘆きたくなる私とは大違いです。
村山棋士は、29歳の人生とはいえ、いのちを燃焼させきったのです。

節子は、いのちを燃え尽きさせることができたでしょうか。
まだ言葉がなんとか話せるときに、「いい人生だった」と苦しそうに言ってくれたのが、私の大きな救いです。
その時に、「私もいい人生だった」と応えなかったのが、いまとしては後悔の念でいっぱいです。
その時には、とても言える言葉ではなかったのですが、節子と別れて10年近く経って、ようやく素直にそう思えるようになってきました。

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