■節子への挽歌3354:ショックによる認知力の低下
節子
突然のショックは、人を一時的に狂わせます。
とても評判の高いシェフが、自分が経営する店を倒産させてしまいました。
発生した債務弁済のため、住んでいた家を売却し、夫婦で転居することになってしまいました。
幸いに、その人をシェフとして仕事をしてほしいと言う人が現れました。
そこで仕事を始めたのですが、どうも様子がおかしい。
あれほどしっかりしていた人なのに、調理した料理に時々、おかしなミスがあるのです。
調理場でみんなを指導する立場にあるのに、指示がころころ変わってしまう。
一緒に働いている人たちは、そのおかしさに次第に気づいてきたそうです。
どうも一時的な自閉症もしくは認知症状況が生じているようです。
そこで、その方をよく知っている人は、病院で検査をしてもらったらどうかと本人や家族に伝えたところ、そんなはずはないと全く受け入れてもらえなかったそうです。
そればかりか、その人やその家族との関係性まで壊れそうになってしまったそうです。
その話を聞いて、私は他人事ではないなと思いました。
節子がいなくなってしばらく、もしかしたら、私がそうだったかもしれないと思ったのです。
それほどひどくはなかったかもしれませんが、あきらかに判断力が狂っていた。
認知力の低下はもちろん起こり、感情の起伏はバランスを崩していたように思います。
私の場合は、どうしてもやらなければいけない契約的な仕事はしていませんでしたし、幸いにそれまで通りのところで住み続けられました。
近隣の人たちも、そして遠くの友人たちも、いろいろと気遣ってくれましたから、そのことが深刻化することはありませんでしたが、もし引き続き、そのショックを引きずることになっていたら、どうなっていたかわかりません。
娘たちは、たぶん私の異常さを気づいていたと思いますが、娘たちもまた、程度は私ほどではないとしても、母親を喪ったショックの中でおかしくなっていたのは、私にもわかります。
他者のおかしさはわかっても、自らのおかしさはわからないものです。
その話を聞いた時に、私も何とかその人に検査をしてもらいたいと思いました。
しかし、それもまた難しい。
みんな後になって気づくのです。
心身の異常は、体験した人でないとなかなかわかりません。
鬱病治療で評判が高い医師は鬱病経験者、統合失調症治療で評判のいい医師は統合失調症経験者だと言われます。
自分が体験しないとなかなかほんとうのところはわからないものなのです。
福祉の世界も、まさにそうです。
この話は、先日、相談を受けた話です。
私がいろんな人から相談を受けるようになったのは、私がいろんなことを体験してきたからなのかもしれません。
自分で少しだけでも体験していると、相談の意味が分かるのかもしれません。
それがわかるのかもしれません。
人は相手のことを最初の数秒でわかってしまうものなのだそうです。
最近、いろんな人からどうしてこんなに相談を受けるのだろうと思っていましたが、それは私がやはり呼び込んでいるのかもしれません。
わたしが、むしろいろんな形で、SOSを発しているのかもしれません。
相談を受けると相談を持ちかけるとは、これもまたコインの裏表です。
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