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2016/11/22

■節子への挽歌3368:津波と夢

節子
大きな地震の揺れで、今朝は目が覚めました。
東北にまた大きな地震が起こり、津波も発生しました。
昨日、ある集まりで、まさに地震の話になり、最近はたくさんの人が大地震を防ぐための「気」を送って、それぞれが少しずつエネルギーを引き取っているのだというような話を、ちょっと怪しげに紹介して下さる人がいました。
怪しさはありますが、私はとても納得できました。
最近また津波の夢を見る人も増えてきているという話もありました。

3.11の大津波が起こる前、私も大津波の夢をよく見ました。
津波に追いかけられて、みんなで山を登っている夢も何回か見ました。
小高い場所ではなく、まさに山でした。
山の坂から後ろを見ると、すぐそこに、市街地ではなく、一面の海が見えたのを今でも鮮明に覚えています。
あるいは、津波に沿われた後の廃墟に残されて私自身の夢も見ました。
なぜか石造りの廃墟後の上に、私だけが取り残されていました。
なぜこんなにも津波の夢を見るのだろうと思っていたのですが、しばらく夢を見なくなってから、あの地震と津波が起こったのです。
その後は、津波の夢はまったく見なくなりました。
単なる偶然かもしれませんが、ちょっと気にはなっていました。

最近は、津波の夢は見ませんので、昨夜の話には、私はただ聞く一方でしたが、まさかその翌日に津波のニュースを聞くとは思ってもいませんでした。

きわめて不謹慎な話ですが、地震が来ると、私は時々、このまま世界がすべて終わればいいと思うことが、いまでもあります。
すべてが瞬時に、です。
もう「別れ」は体験したくないからです。
終わる時は、すべてが一瞬にして、終わってほしい。
そうであれば、誰も悲しむことはないでしょう。
「別れ」の辛さは体験した人でないとわからないでしょう。
そう思うと、私が死んでも、悲しむ人がいないような生き方に、そろそろ変えていかなくてはいけないという気もします。
それこそが、悟りの生き方ではないかと、この頃思うようになってきました。
死んだ後に、誰かを悲しませることだけはしたくないものです。

夢の話に戻れば、最近また夢をよく見ます。
節子はほとんど出てきません。
不思議なほど、知らない人ばかりでてきます。
しかし、遠い昔、会ったこともあり、なぜか会いたがっていたような気がする人ばかりです。
それに、彼らとよく議論しています。
何を議論しているかは思い出せないのですが、ちょっとアカデミックな感じが残っているような場所での議論です。
津波の夢が、もしささやかな未来につながっていたのだとしたら、最近よく見るこうした夢は何を意味するのでしょうか。

今日はどんな夢を見るのでしょうか。
ようやくいろんなことが終わり、懸案事項だったことも、今日なんとか先が見えてきました。
少しずつ、私も平安を取り戻しているようです。

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