■節子への挽歌3363:みずからが生きたいと思う世界に生きる
節子
昨日、節子のことをいろいろと思い出しながら、挽歌を書いていたのですが、そこで思い出したことがあります。
自らの症状がかなり悪化したころ、花かご会の仲間たちが見舞いに来てくれました。
その時、驚いたことに、節子は会いたくないと言ったのです。
いつもは、喜んで会っていたのに。
たぶんやつれてしまった自分をみんなには見せたくなかったのでしょう。
なにしろ、花かご会では、元気な節子で通っていたはずですから。
せっかくお見舞いに来てくださったのに、玄関で帰ってもらうのは、私には心苦しいことだったので、ずっと気になっていました。
昨夜、お風呂に入りながら、その時のことを思い出しているうちに、節子と一緒にお風呂に入っていた頃のことも思い出しました。
節子は病状がかなり進行した後は、一人でお風呂に入るのはいささか危険でしたので、いつも一緒に入っていましたが、風呂上りに姿見の鏡で自分の姿を見ながら、その異様な痩せ具合を嘆いていました。
体重も40キロを切っていましたので、節子にとっては、誰かには見せられない姿に感じていたのでしょう。
私にもすまなさそうに、なぜか謝ることもありました。
しかし、不思議なもので、私には、その異様な痩せ具合も異様には感じませんでした。
人は、見たいものを見たいように見るものです。
いかに異様に痩せていようと、私に見えていたのは、以前と変わらない節子でした。
私たちが見ている世界は、目によって受容したものを編集して生み出されたものです。
ですから、編集の仕方で、世界は変わって見えてきます。
言い換えれば、私たちは、「みずからが生きたいと思う世界」に生きているのです。
しかし、人には「適応性無意識」なるものが働いているとも言われます。
ですから、その「みずから」は、自分の意識だけで設計できるわけではないのですが。
せっかくお見舞いに来てくれた仲間たちに、節子はなぜ自らをさらせなかったのか。
それは、節子の見栄だったのかもしれません。
節子は、仲間たちの心の中に、元気な自分を生きつづけさせたかったのかもしれません。
花かご会のみなさんは、いまも我孫子駅前の花壇の手入れを定期的にやっています。
その姿を見るたびに、あの時のことを思い出します。
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