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2016/11/08

■節子への挽歌3353:コインの裏表

節子
昨日、湯島の事務所に行ったら、事務所の前の道路が封鎖されていて、警察官がたくさんいました。
すぐ近くの宝石店に泥棒が入ったそうです。
かなり大きな事件だったようで、夕方近くまで道路は封鎖されていました。
28年も、ここにいると、いろんな事件に遭遇しますが、盗難事件は初めてです。

盗難事件の話を聞くと、つい考えてしまいます。
盗難するほうと盗難されるほうと、どちらが幸せだろうか、と。
こたえは明確です。
盗難されるほうが幸せです。
なにしろ盗難されるほどのものを持っているのですから。
それに、好き好んで盗難する人は、多くはないでしょう。
幸せではないからこそ、盗難行為に追い込まれたと思います。
盗難事件によって、格差が少し平準化されるとも考えられます。
こういう私の発想は、なかなか節子には受け入れられませんでしたが、拒否はされませんでした。
私には心やすまる伴侶だったのです。

問題を少し変えましょう。
先に逝く妻と残された夫は、どちらが幸せか。
私は、自分がその当事者になるまで、先に逝く人の方が幸せでないと思っていました。
実際に体験してみてわかったのは、先に逝くものが幸せかもしれないということでした。
見送る悲しさと見送られる悲しさ。
死別に限らず、別離を考えれば、やはり見送った後の寂しさは何とも言えません。

しかし、最近は、やはりいずれも同じだという気がしています。
そんな明白なことに気づくのに9年もかかったのかと笑われそうですが、私の場合は9年かかってしまいました。
もし、問いを「どちらが幸せか」ではなく、「どちらが不幸せか」と立てていたら、最初から答えは明白でした。
どちらも不幸なのですから。
「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」とトルストイは書いています。
9年かかって、私が気づいたのは、「幸福もまたそれぞれに幸福だ」ということです。
幸福にも、いろいろある。
先に逝った節子も、遺されてしまった私も、それぞれに幸せだったのかもしれないという気になってきました。

すべてはコインの裏表。
最近、その意味が少しわかってきたような気がします。
盗難の話から、おかしな話になってしまいました。
盗難も死別も、ないに越したことはありません。

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