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2016/11/21

■節子への挽歌3367:あの節子さんの佐藤さん

節子
このブログでも案内しましたが、一昨日、民主主義をテーマにしたフォーラムを開催しました。
そこに、わざわざ北海道から参加してくださった方がいます。
節子もよく知っている武田さんの友人です。
武田さんから紹介されて挨拶をしました。
そうしたら、「あの節子さんの佐藤さんですか」と言われました。
こういう言い方をされたのははじめてです。
もちろん彼女は、節子の知らない人です。
きっと武田さんが、この挽歌のことを話したのでしょう。
それで読んでくださったのだと思います。
しかし、なにやら不思議な気分です。
最初に「節子」の名前が、初対面の人の口から出てきたのですから。

節子は一度も会ったこともない、その方の中で、ある意味では生きているのかもしれません。
そして、私もまた、そのついでにその世界に小さな居場所を持っているわけです。
人の生き方はいろいろです。

現世で生きる人の人生は、限られています。
しかし、現世に限定しなければ、人はさまざまな生き方ができます。
私の心の中には、生者よりも、生き生きと生きている死者もいます。
彼らが、私の人生を支えていると言ってもいいかもしれません。

そういえば、その一昨日のフォーラムで、20年ほど前に会った人に会いました。
当時、彼は高校生でした。
20年ぶりに声をかけられても、とっさには思い出せませんでした。
若者だけではなく、私に近い年齢の方たちにも20年ぶりで会いました。
私が覚えていない人も、向こうは覚えていてくれました。

ちなみに、北海道の女性の中で生きている節子は、どんな人なのでしょうか。
人は記憶の中に生きています。
しかし、その記憶の世界は人によって違います。
人が生きているとは、どういうことなのだろうか。
そんなことを考えさせられました。

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コメント

先日のフォーラムで武田さんにご紹介頂いた 札幌の赤沼です。pcに触れてまだほんの数年でして 未だに毎日pcを開く習慣になっておりません。 当日初めてお目に掛かった佐藤さんに いきなり節子さんの名前を口にした私に びっくりされたことでしょう。武田さんに教えて頂いたわけではなく 節子さんへの挽歌を幾度となく読ませて頂き 昔も今も変わることなく深い愛情で結ばれているご夫婦にとても感動しました。 白いブラウスに花束を手にした知的で素敵な女性という印象がずっと私の中に残っていました。一度もお会いしたことのない方でしたが 私の中では 女性としてあるべき姿として節子さんが存在している事 ご主人である佐藤さんにお伝え出来て良かったです。武田さんはわたくしの新しい友人ですが佐藤さんのこと とても尊敬されておいでですね。これからもリンカーンクラブが益々発展されますよう 願っています。

投稿: 赤沼 真保子 | 2016/11/22 19:36

赤沼さん
ありがとうございます。
そうだったのですか。
ばたばたしていて、ゆっくりお話しできなかったのが残念でした。
でもまたいつかお会いできるでしょう。
東京にまた来る機会があれば、ぜひお声をおかけください。
妻も喜んでいると思います。

投稿: 佐藤修 | 2016/11/22 20:23

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