■節子への挽歌3366:六郷満山
テレビで国東六郷満山霊場の番組を見ました。
大分の国東六郷満山は、神仏習合の起こったところとも言われます。
昨日、20年ぶりくらいに偶然出会った、高天原神座宮祭主の知人と国東半島の話や神仏習合の話をしていたのですが、今日はまた偶然にも、その話につながるテレビ番組を見てしまったのです。
国東の六郷満山は2003年に一度、これもまた偶然に訪ねたことがあります。
大分の国見町に転居していた知人に頼まれて、そこの大光寺に講演に行ったことがあるのですが、その帰りに彼女がそこを案内してくれたのです。
私は、当時、六郷満山を全く知らず、お寺のご住職に、西の比叡山とも言われていると聞いて、案内してもらったのです。
その頃、節子の病気が発見されて1年目、藁をもつかみたい気分の時でした。
空港に向かう途中に立ち寄ったので時間があまりなく、両子寺と文殊山寺を足早に回っただけなのですが、その時はたぶん気が萎えていて、何も感じませんでした。
霊気さえ受け止められなかったのです。
なにしろ気分はどんぞこに近く、講演自体、友人からは褒められましたが、私としては満足できるものではありませんでした。
それに、講演した夜、お寺の本堂の裏に一人で泊まったのですが(なぜそうなったのか、これも記憶がありません)、真夜中に金縛りにあうなど、いささか、不思議な体験もしていました。
ですから、何をお祈りしたかさえ、記憶が全くありません。
ただただ長い階段を上ったことだけしか覚えていません。
今日、テレビで見て、なんとなく思い出した程度です。
その時、節子の胃がんの話を知った国見の人たちが、がんに効くという民間療法の霊芝というのをくれました。
他にもいろいろと貰いました。
残念ながら、どれも節子に奇跡を起こすことはありませんでした。
やはり私の祈りが弱かったのかもしれません。
六郷満山のことを、もっと知っていたら、違っていたかもしれません。
いまから思うと、あの頃は、私が一番おかしくなっていた頃かもしれません。
世界から現実感がなくなっていたのです。
そんな時に、なぜ国東半島まで出かけたかと言えば、それにはそれなりの理由があるのですが。
両子寺の石段をテレビで見ながら、あの頃に戻って、もう一度やり直せたら、奇跡を起こせたかもしれないとふと思いました。
昔を思い出すと、なぜか、悔いばかりが浮かんできます。
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